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他人との比較。もういいって。

今日あった2つの出来事から、「他者との比較」について考えたい。

まず、1つ目。
大好きな人が運営しているコミュニティに入って、今日初めての集まりがあった。
初の集まりでは、自己紹介とコミュニティの在り方、自身の考え方みたいな部分を共有してもらう会だった。
そこでは「他人」と比較するのではなく「過去・今」の自分と比較することで、自分らしく生きることが出来るのだと教えてもらった。

わたしもそう思う。そうだと思う。分かる、だけど人と比較することでしか、自分の存在価値が見いだせない。
無意識のわたしが、そう嘆いているのが分かった。

それから、もうひとつ。
久しぶりに、面接をしてもらった。就職活動の一環として。
そろそろ、就活した方がいいのかなという焦りからの選択だった。

そこでは、将来の自分のありたい姿を想像するのがいいと教えてもらった。
これも知ってる。将来の姿を描くことで会社に自分が何を求めるかを明確にすることができ、その企業とマッチするのかを判断することができる。
それも分かっていたが、10年後どころか卒業後の自分さえも予想がつかない。
未来予想図を描く方法が分からなかったので、こうなっていた自分ってどうやって見つけるんですか?と聞いてみた。

すると、人事の方が「いろいろな経験をあなたはしていると思うの。だけど、全部を引き受けたわけじゃないでしょ?やりたいこと・やりたくないことってどこかで判断して、いろんな経験をしてきたと思う。じゃあその違いはどこにあるのかを考えてごらん。そしたら、自分の選択するときの動機が分かるし、選択したものを継続する方法も分かるはず。」
と、教えてくれた。

先日、自己分析は散々したなどと豪語していたが、わたしにはまだ自己分析が足りなかったようだ。

次の用事まで2時間ほど時間があいていたので、他者との比較・自分のモチベーションが維持できる時について紙に書きなぐってみた。

そしたら、わたし。
他者に、人と比べて評価されるのが大っ嫌いな自分に気づいた。

負けず嫌い。
とことん勝っていたい。負け戦は絶対にしたくない。って勝てるフィールドを選んで戦っていたわたしは、誰かに勝手に比較されて評価されるのをとことん嫌っているのだ。

例えば、就活。
いろんな人と比較され、あぁこいつよりあの人の方がうちには合いそうだと思われたら、理由もなくお祈りメールを送られる。
知らないところで、誰かに、知らない同級生と比較され、劣をつけられている。これ意味が分からなくて大嫌い。一発勝負である話し言葉、わたしは大の苦手。だから、話すで闘う場面をことごとく避けてきていたように思う。

それから、マッチングアプリ。
いろんな女の中から、こいつを彼女にしたくない。この女、彼女にしたくないと知らない男に勝手に判断される。
知らない男に、知らない女と勝手に比較され、劣をつけられる。同じ女でくくって、知らない人と比べられて、理由も言われず音信不通になる。
これも嫌い。

わたしは、誰かに低い評価をされることをとことん嫌っている。
完璧主義ってやつだと思う。
自分のこと大好きだから、常に自分が価値あると評価される環境にいたい。
これまた、わたしの傲慢でプライドの高い自分が出ていることに嫌気がさした。


高校3年生の進路が決定した後、友人とバカみたいな話をして笑うことがめんどくさくなっていた。
そんな自分を悟られないように、わたしは読書に明け暮れた。
休み時間も、誰も近寄るなというオーラを放つかのように、本に没頭していた。

それから、大学生に。
バイトに彼氏に、授業をサボるのがいいみたいにされる女子と比較されるのが嫌で、わたしは起業するんだ~と、いつも周りの人と違うことをして比較も出来ないようなフィールドを選択していた。

おかげで、友人は「変わってるものね」と、普通を理解したがらないわたしを受け入れてくれるようになった。

また、わたしはあなたたちと違うから、みたいなオーラを無意識のうちにまとっていたせいで、いつの間にかゼミの友人からは「ミステリアスな人」だと印象付けられており、就活時には「大手に入ってそう」「バリキャリっぽいよね」などと、実際の自分とは大きく異なるイメージをつけられていた。

でも、わたしはそれで居心地が良かった。
大手に就職した人にも内定をもらっている人にもマウントを張られなかったから。
この人に、マウントを張っても無駄だと思わせることに成功した。

このようにわたしは、他人に比較対象にされることをことごとく避けて生きてきた。だから、自分も他人と比べた落ち込むなんてことは、ほとんどなかった。おかげで大学生活は、充実していて楽しい日々だった。

「変わってるね」と言われることが誉め言葉に感じることもあった。

しかし、大学卒業を目の前に、ひとりで生きていかなければならない現実を目の当たりにする。
就職して安定的なお金を得ることが確定している友人を、勝手に自分の比対象にしてしまうようになった。
そしたら、自分には卒業後に何も決まっていない虚無感に襲われた。

そう、これは他人との比較が原因で。

今を生きているわたしは、充実していて楽しいはずなのに、
将来のことで決断できていない自分を他人と比較することで、
焦りと不安に襲われて、無価値な自分だと自己否定をしてしまう。

あまりにも、不健康な状態。

他人との比較がことごとく自分をよくない精神状態に追い込んでいる。
もう嫌だ。他人と比較してもいいことがない。

去年の自分と比較したら、去年のわたしには想像もつかなかった充実した日々を送れているのが今だ。
それなのに、卒業までのタイムリミットと他者との比較が、この幸せな日々をかみしめる暇もないくらい焦りをもたらしてくれる。
最悪。

他者との比較をしていなかった大学1年生、2年生のあの日々を思い出そう。わたしは何者にでもなれる。とワクワクしていた日々をもう一度取り戻したい。

そこで大きなトリガーとなっている、他者比較。
多分、これ環境変えるだけで自然になくなる気がする。

少しの間、学校行くのをやめて現実逃避の中で、
自分が何をしたいのか?何をするべきなのか?
孤独の時間を最大限に使って、自分と向き合う必要がありそうだ。

この答え出たら、またnote更新に言葉として書き起こそう。
その答えがしっくりくるか、こないかは自分の文章を読み返すわたしが理解できるはずだから。


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