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【前編】未来へとつなぐ放課後バトン

願うはみんなの幸せ。放課後NPOアフタースクールは経営体制を変更しました

小学校施設を活用し、地域市民と共につくる子どもがまんなかの放課後の居場所「アフタースクール」を日本全国で実現したいと立ち上がった放課後NPOアフタースクールは、本日2024年6月10日に法人設立15周年を迎えました。そしてこの度、経営体制が変更となり、前・副代表理事 織畑研を含む内部理事3名が退任、島村友紀、正村絵理が新たに副代表理事に就任いたしました。
 
私たちは活動開始以降、アフタースクールの運営に加えて多種多様な企業とパートナーシップを結び、全国各地で体験機会を創出。放課後を通じて子どもたちの可能性を広げることに挑戦し続けています。近年は自治体や放課後の居場所運営者支援など、伴走者として日本の放課後をより良くしていくことや社会への啓発活動にも積極的に取り組んでいます。
今、私たちは場づくりの実践と社会の変革を両輪で行う組織に生まれ変わろうとしています。外部環境も激しく変化していく中で経営の役割を明確化し、私たちが目指す未来に向かって職員一人ひとりが強みを発揮できる組織となっていくためにこの度の体制変更に至りました。
 
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今回のnoteでは、コミュニケーションデザインチーム(広報)の鈴木が理事メンバーに、どんな想いで放課後NPOに向き合い、これからの未来に何を願うのか、お一人おひとりにお話を聴いてきましたのでご紹介いたします。


織畑 研さん|「アフタースクール」のはじまりも未来も、”人の想い”がつくり続けていく。

放課後NPOアフタースクール創設者の一人であり、活動開始以来、「アフタースクールとは何か」に誰よりも向き合ってきた前・副代表理事の織畑研さん。法人化前を含めると20年以上に渡って放課後を信じて活動されてきました。アフタースクール第1校目である、新渡戸文化アフタースクールは、開校から13年が経った今もトップランナーとして新たな挑戦をし続けています。現在、放課後NPOアフタースクールは15の小学校で放課後の居場所運営を行なっており、織畑さんの現場づくりは、いつも私たちに刺激と学びをもたらしてくれます。あたたかく思いやりがあり、誰よりも自分自身が子どもたちとの放課後を楽しんでいる織畑さんのお人柄も、「アフタースクールとは何か」に大きな影響を与えてきてくれました。

鈴木:織畑さんは、「アフタースクール」という現場を誰より追求されているように感じます。織畑さんの中で大事にしていることはなんですか?

織畑:子どもたちはもちろんのこと、大人のことも考えるということです。子どもたちが自分らしくいられたり、夢中になれる場所であることなど、その重要性はもちろん変わらないけれど、アフタースクールは親や家族の場所でもあるということを大切にしています。だから保護者の方に何かお願いをされたらその場で断るようなことはせず、どうしたらできるかを一緒に考えていきたい。だいぶ変わってきたように思いますが、活動開始当時、子どもを預けることに罪悪感を強く感じている保護者の方がとても多かったです。「ここは自分のための居場所でもあるんだ」と保護者の方にも思ってもらえるアフタースクールでありたい。人と人の関係性があってのアフタースクールなので学校の先生や市民先生、スタッフも同様ですね。

鈴木:立ち上げ時期の相当な苦労の上に今の放課後NPOがあると思いますが、この規模感や活動内容になっていることを当時想像していましたか?

織畑:全然できていなかったですね。周囲からも必要性を疑われたり、これが本当に仕事になるのかなと自分も信じきれなかったりした面もありましたが、とにかく子どもが楽しい活動を目指してひたすら取り組んでいたところから「アフタースクール」という仕組みになっていったことは大きな一歩だったと思います。私だけが常勤職員だった頃、ひとり自宅アパートで働き、電話対応していたのが懐かしい(笑)。

鈴木:大きな変化を体感してきましたよね。そうした中でこれから先、織畑さんはどんな未来を放課後NPOに願い、どのように関わっていきたいですか?

織畑:自分の子どもにお父さんは学童の先生だと思われています(笑)。
それも正しい一面ではあるけれど、世の中に放課後の新しい仕組みをつくっているよと伝わる日が来るといいなと思います。近年、現場スタッフの成長支援にも力を入れていますが、私は放課後NPOに入ってきたみんながそれぞれの想いもアフタースクールで形にできることを応援しています。難しくもありますが、それが場をつくる楽しさでもあると思うので、みんなの成長を支えられたら嬉しいです。そして自分も含めて放課後の場をつくる人の想いこそが、仕組みと合わせて日本中に広がった先に、「学校の放課後にこんなアフタースクールがあったらな」と夢見て立ち上がった放課後NPOの、見たかった未来が待っていると思うのです。


有坂絢子さん |これからの放課後を信じている。宝物のような仲間が広げてくれるから。

直営アフタースクールの新規開校が続いていた頃に、教育サービスを展開する企業から転職され、多拠点マネジメントの礎をつくりながら常に<人>に向き合ってきた有坂絢子さん。私たちが大事にしたい「アフタースクール」をどう社会に広げていけるのか、自治体協働や運営者支援に取組む事業開発チームを立ち上げ、未知なる挑戦に対し、多様な人との共創を楽しみながら走り続けています。

鈴木:入職当時はアフタースクール開校ラッシュの頃ですね。振り返って印象的だったことはなんですか?

 有坂:会社員をしていた頃、教育業界で新規サービスやプロダクト開発をし、世に出していくような仕事をしていました。どうしたら放課後の魅力が伝わるか、子どもたちがたくさん来てくれるかを念頭にしつつ、一方で複数校を同時に開校するには効率的に、ある種テクニカルに進めなければ対応できなかったので、開校準備に追われていた頃はとにかく活動設計をして、講師を探し、イベントを企画して打ち出すといった形で経験からできることを整理して進めていました。そんな私に「なんだかプロモーションみたいでちょっと…」と伝えてくださった方がいて、”そうか、違うよね”と気づけたんです。大人の利ではなく、子どもたちへの想いをお伝えし、受けとめていただけるコミュニケーションでありたいと。今ほど職員は多くなかったけれど、放課後NPOの仲間とのコミュニケーションを重ねる中で、社会人経験など関係なく自分で考えて行動する多様で素敵な人たちがたくさんいて、放課後NPOの温度感や私はここに立ったぞという感覚を持てたことが印象的でした。 

鈴木:有坂さんにとって「アフタースクール」の魅力はなんですか?

有坂:たくさんありますが、スタッフ一人ひとりが子どものことをよく見ていることですね。150人とか子どもたちが来ているような現場でも、一人の子どものことを真剣にミーティングで話している姿にいつも胸を打たれます。私も親なので、こんな人たちとなら安心して子育てができるとあたたかい気持ちをいつももらっています。放課後NPOにとって子どもたちが大事なのは言わずもがなですが、”その子をみている人”がどれほど大切かを実感する日々です。みんなが宝物。

鈴木:現場に立つ人の魅力に触れてきた有坂さんのこれからのチャレンジはなんですか?

有坂:先ほど前職の話を少ししましたが、”人と向き合う”仕事は私にとって初めての経験でした。でも前例がないものをつくっていくのはライフワークでもあるくらい好き。「アフタースクール」で培ってきたことを全国に広げていくのは大きな挑戦ですが、広げるのも受け取ってくださるのも”人”。
多くの大人が関わる放課後をサステナブルにより良くしていくには、この大人の皆さんがモチベーション高くいられる状態が大事だと思っています。正解があるわけではないからこそ、組織の仲間や放課後を通じて出会う様々な皆さんと試行錯誤も楽しんでいきたいです。私が信じてやまない放課後に想いを持つ人たちのプロフェッショナリズムがあれば、確信を持って放課後の価値転換はできると思っています。一緒につくっていきましょう!


押塚岳大さん |変化し続ける社会の中で、15歳の放課後NPOはきっと、”自分”を知る時

団体の立ち上げ初期から関わり、各事業の創設や発展に取り組まれてきた押塚岳大さん。ご自身の子育てや地域活動から放課後への関心と課題感を持って参画。前職は音楽業界。放課後NPOアフタースクールの歴史を音楽とパッション、そして子どもも大人も優しく包み込む愛情で支えてきてくださいました。団体内外につながりと深化をもたらし続けてくれる存在です。

鈴木:押塚さんが放課後NPOに関わり始めたのがちょうど2011年。新渡戸文化アフタースクールの活動が始まった頃ですよね。当時の想いをお聴かせください。
 
押塚:週末に自分の子どもも含めて地域の中で子育てできる場を少しずつやり始めながら、これってすごく重要な時間だなと思っていました。この子たちが毎日いろんな大人とも関わって、社会で子どもが育っていくような状況にできたらいいのにと思いながら放課後の時間について調べ始め、出会ったのが「子どもたちの放課後を救え!」※です。本を握りしめて当時開校したばかりの新渡戸文化アフタースクールへ行き、「やりたかったことがここにある!」と感動したのを今でも覚えています。
※団体設立にも深く関わった川上敬二郎さん著「子どもたちの放課後を救え!」は、設立初期の放課後NPOアフタースクールの活動について細やかに紹介されています。
 
鈴木:運命ですね。そうした想いをもって放課後NPOにジョインされた押塚さんですが、団体の中では、企業連携(現・ソーシャルデザイン)事業の立ち上げをし、長らく企業さんとの取り組みでご活躍されてきましたよね。

押塚:そうですね。振り返って印象的だったことはたくさんありますが、企業さんとの取り組みは本当に素晴らしい経験をもたらしてくださいました。様々なプロジェクトが生まれ、全国の放課後の居場所にプログラムを届けてきましたが、そこにはいつも感謝が溢れているのですよね。子どもたちがこの時間を楽しむ姿に、私たちだけでなく開催先の支援員のみなさんも、市民先生も、企業のみなさんもみんなが嬉しい気持ちになり、気がつけば感謝の言葉が何度も交わされます。また、被災地の子どもたちに向けた取り組み等、今行動すべきことを共にする時間は、私たちが子どもたちと向き合うことは何かを常に考えさせてくれました。
 
鈴木:社会と放課後の居場所がつながる意義を全身で感じますよね。企業連携事業といえば押塚さんというイメージがある方が内外に多かったと思いますが、近年アフタースクール事業統括として、現場に向き合われていますね。
 
押塚:様々な企業と連携して、全国の放課後と新たな機会をつなげていくことも世の中に大きな流れの変化を生み出す大切な動きですが、放課後NPOの本丸は、「アフタースクール」が社会に開かれた場になることだと思います。2015年から公立小学校でアフタースクール運営ができるようになったことも団体にとって非常に大きなことでした。”社会の中で子どもを育てる”が実現できるということをみせていける場になると。
そこにはいろんな想いの大人、いろんな環境の子どもがいるけれど、アフタースクールがあることでなんとかなると思えたり、この町に住み続けたい、幸せに生きていけると感じられる。アフタースクールは、そういう場所になれる可能性がものすごくあると思うのです。力不足を痛感する日々ですが、そこに携わらせてもらえるようになったと思い、これからも挑戦を続けたいです。
 
鈴木:最後に、15周年を迎えた放課後NPOアフタースクールの未来に何を願いますか?
 
押塚:よく自分たちを子どもの年齢で例えたりしますよね。15歳は中学3年生から高校生になる年です。私の長男は今年高校を卒業しましたが、高校に進学した時に押塚さん家の子から、一人の人間としてデビューしたように感じました。いま、私たち放課後NPOという存在が責任も持たせてもらいながら本当の意味で社会にデビューしたタイミングかもしれません。ここから自由と責任をもってどう社会の中で作用していくのか、そして私たちはどのように私たちであり続けるのかを考えていく年になったのだなと思います。社会は私たちが想像する以上に多様で変化をし続けています。そのことをよく知り、理解し、変化していくことを受け入れていけるといいなと思います。もしかしたら「アフタースクール」が今の形じゃなくても、現場で体現してきたことを大事にしながら世の中でちゃんと必要とされるように、変化を恐れず飛び抜けていける未来を見られたらと願っています。


<後編へ続きます>
【後編】未来へとつなぐ放課後バトン