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コラム「境を越えた瞬間」2023年8月号-小熊広道さん‐

プロフィール

小熊 広道(こぐま ひろみち)

  • NPO法人イコール 副理事長

1968年5月29日生まれ
北海道恵庭市出身
1990年からボランティアで障害者運動を始め、2004年4月に札幌市豊平区月寒でNPO法人イコールを設立。

理事長の荒さん(右)と自分(左)
イコール事務所で


「どう生きるか」


私は、21歳の時、1989年7月に札幌市内の精神病院の閉鎖病棟に入院していて、突然我に返った。


それまで、東京でフリーターをしながら原発反対運動などをしていたが、失恋などがきっかけでノイローゼになり、東京の街中を2日間ほど徘徊し、そのうち幻聴や幻覚が始まり、記憶喪失となり、気付いたら札幌の病院にいた。

お医者さんに我に返ったことを話すと、私は2週間ほど前に両親に抱えられ、札幌の精神病院に来て、重度の自律神経失調症と診断され、1年は入院するのではないか、との見立てで、閉鎖病棟へ入ったそうだ。

その後、1週間の自宅療養をして、服薬しなくても大丈夫だったので、そのまま退院した。


恵庭の実家に帰って、それまでの記憶を取り戻しながら、今後、自分はどう生きていくか、真剣に考えた。

実は、東京で記憶が無くなる直前に不思議な体験をして、死んでしまう事への恐怖は無くなっていた。
生きることだけ考えればよいのだという確信を得た私は、やりたい事や仕事などは何も見つからず、逆に嫌な事を考えると、周りで泣いている人がいない社会に生きたいと思った。


そこで、思い当たったのが、東京で重い障害を持った女性と健常者の男性のご夫婦。
ご夫婦が地域で生きるために一生懸命に活動していたことを思い出し、電話で、「なぜそんな運動をしているのか、詳しく聞かせてもらえないか」とお願いすると、快く1週間ほど滞在させてもらい、お話を聞くことができた。

その女性は、大阪で生まれ、生後半年ごろ、ハシカによる高熱で、軽度の脳性麻痺となり、片足の動きが少し悪いだけで、石けりもできたし、普通の子と変わらずに遊んだりしていたそうです。
彼女が小学校に入学するとき、たまたま大阪大学の先生が来ていて、「こういう子は、それなりに行く所がある。」と、数年後にできる施設に入れられることになり、それから現代医学では考えられない手術を2度も受け、歩けなくなるどころか、両手もまともに動かせない身体にされ、しまいには子宮を取らなければ自宅に帰ってくださいと言われ、貧しい実家では彼女を介護する余裕もなく、泣く泣く生理を止める手術を受けたのです。
その後、自殺未遂などもしたが、自分のような障害を持った人の人権を取り戻すための運動を、国や東京都や市に対して福祉行政の改善を求める活動をしている。


一通り話を聞き終えるころ、私は声もなくただ泣いていた。こんなに大量の涙が一体どこから出てくるのか不思議なほど、涙が止まらなかった。


考えてみれば、その時が「境を越えた瞬間」だったと思う。
そもそも精神障害者としては、立派な当事者でもありますが。


私は、そのご夫婦に、「これから自分は障害者が苦しまないように力になりたいが、福祉の勉強をするために大学などに行った方が良いか。」と聞いたところ、

「あなたの涙が本物なら、学校などへは行かず、とにかく沢山の障害者に会って話をしなさい。学校へ行くと、本当に大切なものが見えなくなってしまうから、学校は勧めない。」

と言われ、その通り地元の恵庭市に帰り、手探りでボランティア活動を始め、1992年から札幌市へ移り、数名の障害当事者の方と札幌市に対して介護保障を求める運動を開始した。
その年は4つの複雑な制度をフルに使っても1日9.5時間の介護制度しかなかった。

24歳の時、鹿野さんのボランティア中

当初の夢は、1日24時間の介護制度の実現だったが、2006年にその夢は何とか叶えることができた。東京のご夫婦が所属していた「全国公的介護保障要求者組合」の皆さんには、感謝しきれない程の支援をしていただいた。

しかし、問題はまだまだある。

共感する仲間を増やして、楽しく改善させていきたい。
定年退職したら、沖縄で猫を飼って静かに余生を楽しむのが今の夢です。


境は至るところにあります。目に見える境もあれば目に見えない境もあります。境がないと壊れてしまうものもあれば、境があるから困ってしまうことがあるのかもしれません。
毎月、障がい・福祉・医療に関わる方に「境を越えた瞬間」というテーマでコラムを書いていただいています。
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