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多読か少数精読か

「原点に帰る」

私は、人から見ると読書家と言われるかも知れない。この間、かなり多くの本を読んできた。しかし、中学生の頃まではあまりきな本はなかった。高校に入り、少し背伸びをしたくなった。鞄の中には常に「朝日ジャーナル」が入っていた。そして、友人のすすめで読んだ五木寛之にはまってしまった。ところが、「そんな本ばかり読んでいないで、こういう本を読みなさい。」、と国語の先生から言われた。

それは柴田翔の「されど我らが日々」だった。最近、本棚を整理していて高校時代を思い出していた。十代の頃読み描いた思いとは違っていた。なるほど、人は、経験によって感じ方が違ってくるのかと、読み終えて感じた。

私の手元には、教育に関する本がかなりある。その中で、とても大切にしている本がある。一冊は、遠山啓・銀林浩著「水道方式入門 整数編」だ。指導法や、教材製作に行き詰まると必ず取り出し読み始める。この本、実は3冊購入している。既に2冊は読める状態ではなくなった。

それほど読み切ってきた。今ある本も、大分年季が入ってきた。この本は、私を支える本の一つだ。そして、J.S.ブルーナーの「教育の過程」、べライター・エンゲルマンの「新幼児教育法」、森伸三の「修身教授録」と続く。ここに出てきた本は、少数精読のごとく、何度も何度も読み返している本だ。ここに、自分自身が心に抱く教育の原点がある。

他に、認知心理学・発達心理学・神経生理学・大脳生理学など教育に直接間接に関係する医学の専門書も本棚に並ぶ。幼児教育者の中には時に脳科学者と自身を錯覚するような発言があるとコメントがあったが、その通りだと思う。私も、「滑らないよう」発言に注意している。

子ども達には、様々な本に接して貰いたいと思う。幼児期にこそ様々なタイプの本に出会うべきだと思う。絵本・図鑑・辞書・百科事典等々、多読であろうと、少数精読であろうと、本を通して未知なることを学ぶことが大切だ。すると、解らないことが多く、何度も何度も読み返すことになる。

それが、書かれていることを知るという、読みの中の「読み取る」という読みに繋がる。時間をおいて読むと、その時の、自分の思考が蘇ることがある。新たな考え方や発見に出会うこともある。私にとって、捨てる本はない。今、ニュースで図書館にある「アンネの日記」が破かれる被害が数多く出ている事を知った。情けない話しだ。

政治的な背景があるのか、人種差別的な背景があるのか、いずれにしても、こうした行為自体人間として恥ずべき事だ。陰で隠れて行うことだから、正々堂々と主張できない行為だからこうした行動をとらざるを得ないのだろう。本を大切に想う人は、こうした行為はしない。犯人は、もっと本を読むべきだ。本は読むもので、破くものではない。多読も少数精読も犯人には関係ないかも知れないが。

2014/2/26


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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