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常識が崩れるとき

「先天的か後天的か」

連日、警察から小出しにされる「佐世保髙1女子殺害事件」情報に、私達は振り回されているようだ。この10年前後に起きた事件、とりわけ若い世代が引き起こした事件には今まであった犯罪に至る方程式は通用しなくなってきている。一般常識を越えた犯罪に理解不能の大人達は言葉を失っている。知識や常識では判断できない事件が相次いでいることから、この事件は、より困惑の色が濃くなってきた。

 家庭環境、教育環境、社会環境等々、考え直す点は多々あることは間違いないことだが、私達は抜け出せない迷路に入ってしまったのだろうか。

 今回の髙1女子の小6~髙1迄の行動は常軌を逸している。ここで、2つの原因を考えなければならない。それは、こうした行動をとる前に遡らなければならない。つまり、誕生から幼児期、小学生低学年時代、そして高学年までの育て方がある。それは、生活面の過管理・生活面の過干渉・精神的圧力・肉体的圧力・過度な期待・行きすぎた学習干渉及び躾け、そして、事故。事故には、出産時の事故、その他交通事故、日常の脳にダメージを負わせるような事故を指している。これらは、脳(脳の機能的問題・外因的問題等)に問題を抱えていないかを前提としている。後天的な問題として考える事ができる。対して、先天的な例としては、生まれながらの脳障害である。犯罪者履歴は、こうした問題を抱えていた者が多数いるという報告がある。それは、問題行動の原因が脳にあるからだ。それが、例え無意識であっても、脳の問題に変わりはない。全て神経疾患に起因すると言われている。

 すると、今回の事件も常識の範疇を超えた所に位置しているのだろうか。場合によっては、複合的要因による問題も考えられる。先天的に持っていた脳障害に加え、後天的な問題が加わり引き起こしたとも考えられる。先日、番組が始まる前に、出演されていた「佐々木かをり」さんとも話していたのだが、精神鑑定と脳の精密検査を受けさせることをすべきではないかという話になった。それは、何度も言うが私達の常識の範疇を超えているからだ。医学的、科学的検証が必要な時代となった。それは、脳科学などの進歩が可能にした犯罪分析の結果でもある。人間の行動を左右する脳について、より専門的な検証が待たれる。動機無き殺人と言われる今回の事件は、学力的発達と精神的発達(一般で言う常識的判断・感情のコントロール等)のアンバランスな形で起こっている。誰の目から見ても、あこがれる家庭であった筈の家族が、今や世間の目から隠れるような生活をおくることになった。だからこそ、この事件の本質をしっかり探る必要があるのだろう。

 子どもの凶悪犯罪が起きると、直ぐに子ども以外の犯人を捜す傾向がある。誰かに責任を被せていく、そんな印象を持つ。集団的魔女狩りが行われる。一番怖いのは責任のない傍観者だ。そうして安心感を持つのかも知れないが、我が身の事として捉え、家族皆で語ることも有りではないだろうか。被害者の気持ちになり、その家族の気持ちになると、どうしても「何故、我が子に」ということばが先に立つ。

 この事件の解明には時間がかかるだろう。しかし、被害者のご家族が納得のいく解明など有りはしない。被害にあわれた、松尾愛和さんのご冥福と、ご家族の精神的回復を祈らざるを得ない。

2014/8/1


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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