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不器用な子ども達

「大人社会を映す鏡」

子ども達の不器用さが目立つ。そう感じている方は多いだろう。昨日、新潟県長岡市にある保育園の園長と話をさせて頂いたが、最近の傾向として子ども達の不器用さをあげておられた。全てに於いて徹底される園である。子ども達の変化を見逃さず対応される行動力、教育力には脱帽する。また、今回の話とはそれるが、0歳から園に通っていた卒園生が、中学の社会体験授業の一貫で、園を訪れたそうだ。彼のご両親は、数年前離婚され、その後お父さんが引き取り、まさしく手塩に掛けて育てられたという。最近になり、お父さんは再婚されたらしい。この事がきっかけか、彼は次第に心を閉ざし、いかにもという服を着るようになり、頭にはそり込みも入れていたそうだ。その姿を見た、彼を0歳から見てきた年配の主任先生が、別室に呼び寄せ一喝したそうだ。すると、彼は主任先生のことばに、素直に従い別の服に義替え、笑顔で園の子ども達と接したと園長が嬉しそうに語った。人は、見てくれではなく、心に大切なものを持っているはずだ。それを思い出させてくれたのが、保育園であり、保育園の園児であり、先生方だった。人には自分の生まれた土地という故郷があり、そして、もう一つ「心の故郷」がある事を、この主任と卒園生の絆から学ぶ事ができた。園長は、次の機会には皆で「故郷」を合唱する事を決めたそうだ。

今、この園では指先を使う指導を数多く行っている。その一つ一つが以前から伝わる遊びである。例えば、その代表格が「おりがみ」だ。折り紙の基本は3つ、「やまおり」「たにおり」「アイロン」だ。「アイロン」とは、折り目をしっかり付ける動作をこう呼んでいる。「アイロンシュッ!」などとことばを添えて行う。日本の幼児教育の原点がここにある。指先、手のひら、親指と人差し指を基本に、他の指を巧みに使う。実にシンプルだが、優れた要素を多分に持っているのが、昔から伝わる伝統遊びだ。お手玉など、空間認知能力だけでなく、今必要とされている「感覚統合教育」に繋がる要素も持っている。また、着物のを仕立てる際に出た布の切れ端や古着の布を使うなど、ものを大切にする「心」も感じ取れる。コマ回しはどうか、親指と人差し指を使う小さなコマから始まり、紐を巻いた大きなコマ回しへと発展する。単純な遊びだが、子ども達の手先の神経系を育てるには十分だ。

当たり前のような関係だが、筆算を分解するとこの様になる。これはそのまま、因数分解と式の展開へと導かれる。同じように15×15等を計算してみる。自分たちが見つけた計算方法に驚きの声を上げる。すると、当然他の計算にも考えが及ぶ。25×24等はどうするか、今までのようには行かない。新たな思考が巡る。どこかに法則はないかを探り始める。生徒の目は光り輝いている。最終的に、式の展開公式に行き着くことになった。2桁のかけ算から始まった数の真理探究は、その関連性に於いて同じ道を辿っていることに彼らは気付いた。数学でも会話ができる。数学でも夢を語れる。

そんな遊びを知らない子ども達の増加は、幾つもの問題点を孕んでいる。その一つに、子ども同士のコミュニケーション不足があげられる。遊びを通した会話、互いの工夫、伝達、時間の認知、約束、上下関係、小さい子の面倒を見る、指導、仲間意識、憧れ等々、子ども達同士で学ぶ事ができる事は山ほどある。しかし、危険な環境に置かれている日本社会は、経済発展と共に子どもを家の中に閉じ込めた。その代わりに、多くの玩具、ゲーム機を買い与えてしまった。ゲーム世代が今の幼児、小学生を持つ保護者の方々だ。大変申し訳ないが、この世代の方々多くが、子どもの接し方で悩まれている。幼い頃の、子ども同士のコミュニケーションは、親になる為の、一つの登竜門でもある。ここで学べる内容は、育児書には載っていない。

長岡の保育園や幼小一貫教育を目指すプリンスジュニアでは、こうした伝承遊びを積極的に取り入れている。この様な平衡感覚に優れた教育が全国に広まることを期待する。秋から冬になる、この頃になると、寒い北国である新潟県長岡市の園児達の姿を思い出す。雪の降る日、上半身裸で園内を飛び回る子ども達の姿を。

2012/10/5


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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