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「おかしな光景」

2011年から、英語教育が小学校でも行われるようになった。今後、2018年をめどに小学3年生から英語指導が開始される。我が国の英語指導が根底から大きく変化してきた。英語教育は変わる。当然、受験も大きく変化してくるだろう。中学時代、英語の授業で友人が教科書を読むことをとても楽しみにしていた。彼は、とても綺麗な発音で流暢に教科書を読む、聞いていて心地よかった。申し訳ないが英語教師の出る幕はなかった。考えれば、我が国の英語教育は間違いなく受験英語だった。それは、ペーパー上の英語に過ぎなかった。英語をことばとしてコミュニケーションや表現力を学ぶのではなく、紙の上で評価する実践なき言語教育だったように思う。英語を読んだり書いたりする事が好きだった私にとって、英語を文法解釈で展開される授業は苦痛だった。そこで高校時代、都内で有名な英語塾に通い、休日意を決して友人と外国人(アメリカの兵隊さん)の多い横須賀に行き、自分たちの英語が通じるのか試しに言ったことがある。結果はご想像にお任せする。ただ、学校で習った文法通りの英語を話してもなかなか通じなかった。文語体と口語体で会話するようなものだ。この頃から外国へ行きたいと真剣に考え始めた。当時、外国に行くなど夢のまた夢だった。そんな中、深夜、FMから聞こえてくるナレーションに耳が奪われた。城達也さんのジェットストリームだ。受験勉強中であったが、このときばかりは耳はラジオに釘付けだった。遠くヨーロッパに思いは飛んでいた。

私の思いは大学2年生で実現することになる。やはり、実体験が大切だと痛感した。バカな話しだが、イギリスだけであれば問題はなかった。足を伸ばし、フランスへ行ったとき、英語で話しかけたらフランス語で返された。「ここはフランスだよ!」と言われた。そこで慣れないフランス語で必死に話そうとした。すると、今度は英語で返してくれた。これは決して嫌みな行動ではなく、自国のことばを大切に思っている証拠でもあった。そして、困り果てている私に英語で返してくれたのだ。私は、初めて「国際感覚」という意味を理解した。まず、自分の国を知るべきだと。そして自分の国のことばを大切にするべきだと。

「美しい国日本」「国を愛そう」ということばが最近多く耳にする。違和感を感じながらも日々は過ぎていく。そして、昨日、ニュース番組の特集で、我が国の英語教育が放映された。小学校での英語教育の取り組みだった。担任と外国人英語指導で楽しそうに授業が進んでいた。この学校の取り組みは、登校時にも現れていた。外国人講師が校門で出迎え、先生と子ども達、皆英語で朝の挨拶を交わしていた。この光景に私は何かとても違和感を感じたのだ。「ここは、どこだ?どこの国だ?日本ではないのか?」たぶん、こんなことに疑問を持つのは私だけかも知れない。英語教育はとても重要だと考えている。それも、受験英語で、会話などに力を入れてこなかった我が国の英語教育に大きな不満を抱いていた私だ。こうした授業を待ち望んでいた。しかし、それとこれとは違う。「日本語の挨拶もろくに交わせない現状で、英語の挨拶はないだろう」と、とうとう怒りすら感じてしまった。日本の教育には一本筋が通っていない。私は、学生時代の、あのフランスでの出来事を思い出していた。自分の国を愛する。それは郷土や文化、そしてことばを通じて感じることではないだろうか。英語教育は、土台である日本語をしっかり学ばせることが重要だ。自国のことを理解する。それが国際化への道なのではないだろうか。

2013/1/24


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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