見出し画像

コミュニティの未来(かなりあいまいな私論・試論)

最近のデジタル化やAIの興隆を見ていると、コミュニティの未来は暗くて明るいと思う。暗くて明るいとはどういうことか。うっすら考えていることをかなりあいまいに書きたいと思う(無責任・笑)。

個人化・デジタル・AI… この時代の変化がもたらす事象とは


時代の変化と共に「コミュニティ」や「つながり」のかたちは変化してきた。近代化だって都市化だってコミュニティにとってはいろいろ逆風だったけど(自由・人権・移動という強烈なインパクトでコミュニティは大きく変化した)、一方で何かしらの「解放」や「可能性」をもたらしたことも間違いない。明暗は裏表や同時だったりする。

高度経済成長期にみんなが会社員になって職住分離が進み、地域に働きざかりの人が少なくなり、地縁社会が衰退していく。今は共働き世帯も増えて、ますますこの傾向に拍車がかかる。これもコミュニティにとっての大きな変化だ。

資本主義経済の発達は市場経済・消費社会を生み出し、共同体で支え合わなくても生きていける社会構造を生み出した。労働でお金・貨幣を稼ぎ、行政サービスと企業サービスを納税と消費で享受し、一人でも生きていける構造となった。(スマホとコンビニとAmazonでかなり生きていける)

これは非婚化・単身化とも大きくつながっている。共同的関係のわずらわしさをわざわざ人生に組み込まなくても、必要なときにいろいろな人とつながり、自由で快適に生きていけるようになってきた。共同的関係での支え合いがマストじゃない社会になっているのだ。これもコミュニティにとっては大きな構造変化であり、良い面とそうじゃない面の両方がある。

ここにさらに「デジタル」や「AI」が加わってくる。冷蔵庫の中味をカメラとセンサーが探知して、自動的に買い物してくれて家に届く。日常的な買い物も減っていくかもしれない。仕事・職場にもAIが入り込んできて、プロジェクトマネージャーがAIとか、上司との定期面談もAIになるかもしれない。

日常生活や仕事生活での人間同士の接触部分がAIに代替・仲介されて、それがわずらわしさからの解放であったり、効率化→快適さにつながることは十分に考えられる。そこで間違いなく起こることは、「たまたま」「ついでに」「偶然」の人間同士の接触の大幅な低減だと思う。

学校には休憩時間があって、そこでいろいろな「たまたま」「ついでに」「偶然」が起こる。いま出社が回帰しつつあるが、出社して一緒に同じ空間を過ごしているからこそ「たまたま食堂で一緒になって話した」「寄ったついでにコーヒーでも飲んでいこうかな」「偶然ばったり会って立ち話していたら良い解決策をいただけた」みたいなものが起きることがある。必要性から生まれるリアルを中心とした共同性は、その周辺に副産物としてこのようなついでの偶発を生み出してくれる。

この先のデジタルとAIがさらに進む未来は、こういうものが減っていく傾向にあるのではないかと思う。「だから学校はリアルで」「職場はリアルで出社で」という流れには残念ながらならない気がしていて、デジタルとAIの代替・仲介によって、より個人化・分散化していくような気がしてならない。

「コミュニティ」と「つながり」にまつわる未来予測


ここからは未来予測だが、そこで出てくる大きな動きが「わざわざ会う・集まる」(意図された集合)という動きのような気がする。日常的な家事や用事はスマートに機械の力を借りて済ませ、それ以外の時間でわざわざ約束したり場を設けてカフェやイベントでみんなで集まる。日々の仕事や業務はAIアシスタントの力も借りてスマートに済ませ、業務時間外で勉強会や酒場に集まってみんなで過ごす。

機械の力を借りて道具的に済ませる部分と、人間的・精神的・充足的に過ごす部分との棲み分けがより起こるのではないだろうか。昔のように、日常生活や仕事をしていると一緒に(ついでに)人間関係もついてきた時代とは大きく違ってくる。日常生活や仕事をしているだけでは「コミュニティ」や「つながり」に恵まれない構造になる可能性を感じるのだ。

これはなかなか暗い話で、「コミュニティ」と「つながり」をつくることに主体性とスキルを求められることになる。職場に勤めて一生懸命仕事をしているうちに先輩や同僚やお客さんとの豊かな人間関係に恵まれた、なんていうストーリーとはだいぶ違う。「コミュニティ」と「つながり」をわざわざつくるスキルをみんな持っているわけではない。「つながり格差」がより生み出されやすい自由主義的な構造になる。

一方で、明るい面もあるかもしれない。自分の人生に「人間的・精神的・充足的に過ごす時間」を入れていくということに自覚的な個人が増えていくかもしれない。また、個人のつながる意欲とスキルに任せずに、「自然と偶然につながれる場」を社会に・地域に用意しようという動きが活発になるかもしれない。

この話はなかなか興味深いので別な場でも論じようと思うが、いずれにしてもデジタルとAIがより進んだ未来は、「道具的な関係(必要性に基づいて発生する関係)」と「人間的な関係(自ら求める楽しくて満たされる関係)」の使い分けがより進みそうな予感がする。そして、デジタルとAIが進めば進むほど、逆説的に「コミュニティ」と「つながり」の重要性が増していく社会になると思う。「コミュニティ」と「つながり」が、個人や地域や社会の貴重な資源となり、国や自治体も社会保障していこうという動きも出てくるかもしれない。

コミュニティの運営スキルや場づくりのスキル、ファシリテーションやコーディネーションのスキルもより需要が高まっていくだろう。そして、一人ひとりが自分に合ったコミュニティとつながりを探し見つけ参加する「コミュニティ活動力」もより重要になっていくだろう。がんばりましょう。

by  CRファクトリー  呉 哲煥

■NPO法人CRファクトリー
  https://crfactory.com/

■『コミュニティマネジメントの教科書』好評発売中!
  https://crfactory.thebase.in/items/26459854

■「白熱コミュニティ教室」YouTubeにて開校中!
  https://youtu.be/qGkzB3YX3KU

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?