わたし記念館
「わたしの話」
というと、どこか、遠慮しないといけないと思ったことはありませんか。
「自分の話ばかり」
「自慢話」
「自己主張強すぎ」
と言われることを恐れ、本当は話したいことを話せず、当たり障りない話でなんとなくやり過ごす。
特に、日本人特有の「慎ましくあるべき」文化は根強く、自分を主張することはよろしくない、と、今でもそんな風潮を感じます。
確かに、他者に経緯を払わず自分の話ばかりして、押し付けてくるような人はわたしも苦手だし、そんな人に対して一切興味は湧きません。
乱暴な言い方ですが、「そんな不毛な時間に付き合う暇はない」そう思ってしまいます。
多分、それは日本に限定せず、どんな世界にも言えることかもしれません。
だけど、「わたしの話」をしてくれたその顔が、ずっとわたしの中に残っている人たちもいます。
年齢、国籍、聞いた場所を問わず。
初対面でそれっきりなのに、話を聞き、一緒に泣いたこともあります。
いまでもそのことを思い出すと心のどこかにある隙間にふぅっと風が当たります。
それは、その人の「わたし」をそっとわたしに開いてくれて、見せてくれたからだと思います。
そして、そんな人たちには、わたしも「わたし」を開きたくなりました。
わたしは日本人では「変わっている」方らしく、「外国人みたい」と言われます。
それは、自分の意見をいつも持っているから。
だけど、気にしぃな部分も大きく、特に若い時は社会にバランス良く適合するのが難しかった。
イタリアに留学してから、わたしなりの社会との関わり方を見つけました。
人を、どこかに所属している人間ではなく、肩書きなどではなく、人間としてちゃんとお互い認識し、異なる意見でもハートから話す、そんな人と人との関わり方が心地よかったんです。
そして、感情がぶつかり合い、仲違いしたり、また仲直りしたり。
とても自分に正直な人たちでした。
お互いが自分に正直だから、認め合える、そうゆうことなのかな。
人は、人に関わることによって、自分が経験できなかったことや、思いつかなかったことに出会い、豊かになる、わたしはそう思います。
そして、数々の「わたし」が「わたし」として、外に開かれ、お互いを認め合うことができたら、もっと世の中の空気が美味しくなるんじゃないか、わたしはそう思います。
なので、わたしは
il mio museum わたし記念館
という活動を始めようと思いました。
Il mioは、イタリア語で「わたしの」という意味です。
日本では、ミュージアムの意味合いが曖昧で、だからこそ、多種多様な趣旨のものがありますよね。
そういう、どこか委ねたような振れ幅があるところは、ある意味日本の良さだと思っています。
記念館は、有名な人や、功績がある人たちだけのものではないと思うのです。
その人たちも、はじめは小さな「わたし」から始まったんだと思います。
わたしに、わたしを開いてください。
Just esisto
ただ存在するということ
それを、もっともっと、肯定したい。
そして、それぞれの「わたし」が「わたし」であることに、よろこびがありますように。
「il mio museum わたし記念館」では、
各々の「わたし」を見つけ、共有して、わたしの集合体である「みんな」がちょっと嬉しくなる、そんな方法を探っていきます。
こちらのInstagramにて、今後更新してゆきます
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