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知らぬが仏というのなら、仏はほっとけ

知らぬが仏;知らぬが仏とは、知れば腹が立ったり悩んだりするようなことでも、知らなければ平静な心でいられるということのたとえ。また、本人だけが知らずに澄ましているさまを、あざけって言うことば。                http://kotowaza-allguide.com/si/shiranugahotoke.html

「知らぬが仏だったのに」とここ一ヶ月の間に何度口にしただろう。たくさんお世話になった言葉である。



「知らないでいたほうがいいこともあるのよ」「少し何かの片鱗を見てしまったような気がした。もし知ってしまってもいいことはない、だから知ろうとすることはしなくなったの」                             そう口々にいう人々。知る権利の放棄、知ってしまったところで変えられないものへの苛立ち、隠され続けた事実への戸惑い。だが知らなかったところで、その事実があることに変わりはない。少なくとも自分の見えている、自分の管轄している世界にはその事実はないだけの話である。


「果たして、それでいいのだろうか?」


何がいけないかは正直なところ人によって異なるのかもしれない。だが、知らなかったで済まされていけないこともあるはずなのである。



知らないというのは、罪深いような側面もある。知らないというのと知ろうとしないというのはイコールノットだが、目を背けてはならないことを私たちは無意識に意識から排除する。                            見たいものだけを見る私たちだから仕方のないことなのだろうか。


だが、知らぬが仏というのはケースバイケースだと私は声を大にして言いたい。(私は知的好奇心が強すぎるので、全てを知りたい)

だから私は言う。


「知らぬが仏というのなら、仏はほっとけ」


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