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BTS "Whalien 52" 愛してるって伝えたい〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.020

寂しく孤独なクジラ
こうして独り歌うさ
孤島みたいな俺でも
明るく光る事ができるだろうか

寂しく孤独なクジラ
こうしてもう一度歌ってみるさ
返事のないこの歌が
明日に届く時まで

Whalien 52


この広い海 その真ん中で
一匹のクジラが寂しく独り言ちる
どんなに叫んでも届かないことが
身に染みる程に寂しいよ
ひっそりと口をつぐむさ

どうだっていい 
どうなったとしても 
もう何も気にしない
寂しさって奴だけが
俺の傍でとどまる時
完全に独りになって
寂しく掛ける心の鍵

誰かは言う
「こいつすっかり芸能人になったな」
だから何だ そうだよ
まあ、いいじゃないか
誰も傍に残らなくても
それで充分だ

俺を侮る言葉は直ちに壁となる
孤独でさえも お前らの目には
偽りの姿に映る

その 壁に囲まれて
俺の息が詰まっても
あの水面上目掛けて


寂しく孤独なクジラ
こうして独り歌うさ
孤島みたいな俺でも
明るく光る事ができるだろうか

寂しく孤独なクジラ
こうしてもう一度歌ってみるさ
返事のないこの歌が
明日に届く時まで

もうやだ もういやだ
キリが無い無線ひとつ
いつかは届くだろう
あの地球の反対側まで 全て
もうやだ もういやだ
盲目のクジラたちさえ
俺に気付けるだろう
今日も また 歌うよ


世界は絶対に気付かない
俺がどれ程哀しいのかを
俺の痛みは混ざらない水と油
必死に俺が海面で息つく時が
気力の限界
寂しき海の中の子ども

俺も知らせたいよ
日々 俺の価値を
不安で吐気がして
いつでもステッカーは耳の下に
決して終わらない
何故か終わりは無いし毎度地獄
時が過ぎても冷たい深淵のネバーランド

でも いつも考えてる
今 背を丸め眠るとしても
夢はクジラらしく
迫り来る大きな賞賛が
毎日俺を踊らせるから
自分らしく泳いでいる

自分の未来を目指して行け
あの青い海と己のヘルツを信じて


寂しく孤独なクジラ
こうして独り歌うさ
孤島みたいな俺でも
明るく光る事ができるだろうか

寂しく孤独なクジラ
こうしてもう一度歌ってみるさ
返事のないこの歌が
明日に届く時まで


母さんは
海が青いとおっしゃった
遠く 力の限り
お前の声を出せ
そう おっしゃった

だけどどうすればいい?
ここはとても真っ暗で
周りみんな別の言葉を話す
別のクジラたちだけなのに

これ以上は無理だ、母さん
愛しているって言いたいよ
ひとりでする輪唱
同じ楽譜の上を折り返すよ
この海は酷く深くて
それでも俺は幸せなんだろうな
(涙が出ても、誰も気づかないから)
俺は "Whalien"


寂しく孤独なクジラ
こうして独り歌うさ
孤島みたいな俺でも
明るく光る事ができるだろうか

寂しく孤独なクジラ
こうしてもう一度歌ってみるさ
返事のないこの歌が
明日に届く時まで

もうやだ もういやだ
キリが無い無線ひとつ
いつかは届くだろう
あの地球の反対側まで 全て
もうやだ もういやだ
盲目のクジラたちさえ
俺に気付けるだろう
今日も また 歌うよ


韓国語歌詞はこちら
https://m.bugs.co.kr/track/30075279

『Whalien 52』
作曲・作詞:“hitman” Bang, Slow Rabbit, SUGA, ​j-hope, RM,  Brother Su ,
 Pdogg


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今回は、BTSのミニアルバム第4集「화양연화(花様年華) Pt.2」に収録されている "Whalien 52" を意訳してみました。ここからは内容の考察をしていきたいと思います。


1.決して届かない声

もうこの話は周知の件かと思われますが、タイトルにある「whalien(whale+Alien)」という造語と「52」と言う数字は「他の鯨が聴き取れない52Hz帯の周波数でしか鳴くことができない鯨」の存在に由来しています。2021年に本屋大賞を獲った小説の題材にもなっていますね。

「世界一孤独な鯨」とも表現される「52ヘルツの鯨」をエイリアンになぞらえ主人公としているこの歌詞は、中身を開いてみるとバンタンメンバー自身の視点で書かれていることがわかります。

ラップパートの方は孤独に苛まれる生々しい感情を表現していて内容も重め。それに対してボーカルパートは孤独を受け入れつつも未来に対する希望を胸に抱く、前向きな感情が綴られています。

トラックには終始鯨の鳴き声を模したような高音が用いられていて、人間の声では表現し難い音域の音が持つ独特な浮遊感が曲全体を包み込んでいます。

それでは、ラップラインが手掛けるそれぞれの歌詞を個々に紐解いてみましょう。


2.ユンギが語る「孤独」

この歌詞がバンタン自身の目線で語られているものであるのではと推測する理由がSUGAのパートにあります。

새끼 연예인 다 됐네
(こいつすっかり芸能人になったな)

https://m.bugs.co.kr/track/30075279

この明らかに悪意に満ちた捨て台詞がいつどこで彼の元に転がり込んだのかは分かりませんが、バンタンがアーティスト活動をする中で目や耳に容赦なく入ってくるネガティブな意見に基づくエピソードである事がうかがえます。

軽率に投げつけられるぶしつけな言葉たちが彼らの周りを囲うように「壁」を作り、その内側へと追いやられてしまう様子、そして、その壁のせいで孤独を感じている姿でさえもそういうふり●●をしていると見られてしまう、という事が、ユンギの言葉で語られています。

この曲のラップ詞は、個々の「素」の部分を、ステージネームではなく一個人の名の元に、痛みを承知でさらけ出しているような感じがします。

ユンギ氏については、既に花様年華Pt.1のイントロで私的なストーリーを展開済みですが、この曲の歌詞においてもその同一線上にある思考や記憶が下敷きになっている事は明らかだと思います。

「孤独」をテーマにするにあたって、敢えてリアルな私情を持ってくるような意図があったのかもしれません。

ユンギはユンギらしく、そういった周囲のネガティブ要素を全部ひっくるめて「だからなんだ」と蹴り上げるスタイルを貫いています。


3.ホソクが語る「孤独」

ホビのパートで印象的なのは、読むと瞬時に感情を「体感」できる秀逸な比喩表現です。

例えば「水と油」。
水と油が混ざらない事を私たちは経験として良く知っています。あのどうしようもなく分け隔たっている関係を、和解も解決もできないという哀しみの有り様に例えています。

更に「水面上でだけ息をする」鯨の習性。
哺乳類でありながら長く潜水する鯨も、呼吸をする為に水面に上がります。人間も水中で苦しくなれば同じ動作をするので、水面に上がる前の息苦しさや呼吸ができた時の充実感などはほとんどの人が理解できる感覚だと思います。
その感覚を、バンタンとして人前に出ている時間(水中)と素の自分でいる時間(水面上で呼吸をする瞬間)に例えているのだと思われます。관심(関心)は言い換えると「周りに対する配慮や気遣い」となりますので、「呼吸をする時が関心の終わり=水中にいる間は気を張り続けている」という事に。そこで私は「관심 끝(関心の終わり)」を「気力の限界」と意訳しました。

そして「耳の下のステッカー」の件。
これは先に答えを見つけて下さっていたARMYさんがいらっしゃったのでぜひ検索していただきたいのですが、このステッカー、パッチタイプの酔い止め薬の事らしいんですよね。(三半規管が弱めのホソクさんらしいアイテム選択だなぁとこっそり思っています。)

その酔い止め薬が何とリンクしているかというと直前の「걱정의 멀미를 해(不安の吐気がして)」の部分なのですが、これはおそらく、ステージに上がる前などに感じている強い不安や緊張から発症する実際の体調不良の事を言っているのだと思います。吐き気がするほどの緊張…考えただけでも気が滅入りますね…ステージ上では誰よりもいきいきと踊っているようにしか見えない彼ですが、きっと素の部分では人一倍気を遣って苦しむ事が良くあるのではないかと推察します。

素のホソクとしてのそういった弱い部分をさらけ出した後、ちゃんと希望を見せてくれるのが우리 희망、J-HOPE。「背中を丸めて寝るとしても夢は鯨らしく(大きく堂々と)」、「毎日自分らしく泳いで(踊って)いる」と前を向いて締めくくっています。


4.ナムジュンが語る「孤独」

例えその全てが未だ明らかになっていないとしても、この世に生まれて来たからには必ず母親の存在があるだろうという前提を元に「オモニ(お母さん)」を登場させる事で「52ヘルツの鯨」の存在をより一層温度感のあるものにしているのがRMパートです。

ひとりきりで広い海を泳ぐ52ヘルツの鯨にとって、母親の存在は唯一の拠り所なのでしょう。孤独が待ち受けていると知りながら、希望と母親への想いを胸に親元を離れた52ヘルツの鯨の姿に、バンタンメンバーの姿が重なります。

ところが、彼らを襲った孤独は想像を遥かに超えるものでした。
歌っても歌っても誰も声を重ねてくれないまま、同じ曲を孤独に繰り返し続ける。
言葉も通じず、意見も受け入れられず、存在も肯定されない辛さに、「もう無理だ」と弱音を吐露します。

ただ、「愛している」と言いたいだけなのに。

それでも最後に、そんな状況にありながらも「~걸=~だろうなぁ(独り言の推量を表す語尾)」の文体で「俺は幸せなんだろうな」とつぶやきます。

理由は「泣いても誰も気づかない」から。

孤独であるが故に泣いているのを誰にも気取られれず、要らない詮索を招いたり誰かを心配をさせたりする事が無いのならそれはそれで円満だ、という悟りでこのパートは締めくくられています。


5.孤独が故の唯一性

才能や意識が他と比べて成熟していればいる程、当の本人が感じる孤独感は色濃いものになると思われます。

スターと呼ばれる人のほとんどは、おそらくそういう孤独をひた隠しにし、美しい部分だけを見せる為に心血を注ぐのだと思います。

その行為が更に周囲との溝を深めることもあるだろうけれど、溝が深ければ深い程、皮肉にもスター性は高まっていく。孤独であればある程、唯一無二の存在になっていく。

そういう孤独の権化みたいなアイドルだった女の子を私は一人知っているのですが、彼女は孤独を貫き通し所属していたアイドルグループから「卒業」ではなく異例の「脱退」をすることになりました。

この52ヘルツの鯨を題材にした "Whalien52" の歌詞を読んで、私はその女の子の事を頭の端っこで思い出しました。もしかしたら彼女も、自分の本当の声を聴いてもらうために、自分の伝えたいことを伝えられるようになるために、自分のヘルツを信じて脱退を選んだのかもしれないな、と。

ですがバンタンの事を追うようになって、私の中の「スター=孤独」という構図は良い意味でリセットされました。彼らは誰も到達できない孤高の地に立っているはずなのに、今にもそこに手が届きそうな感覚になる。こんな不思議な親近感を感じる事ができる存在はそれこそ唯一無二、この世に彼らしかいないのではないかと思ってしまうくらい。

喜怒哀楽を授かった代わりにひとりでは生きていけなくなってしまった人間の、本来あるべき姿がそこにあるような気がして、今日も、彼らの姿を画面の向こうに探してしまいます。

人間は人間をどこまで信じることができるのか?
人が信じ合うとは一体どういうことなのか?

彼らを見ていると、そういったシンプルな疑問にもちゃんと答えがあるのだと思わせてくれます。

そんな姿すらもきっと、この歌詞で書かれている「孤独」の上に成り立っているに違いないのですが…。

この "Whalien52" の歌詞に「孤独」という呪いがもたらす結果を明るい方へと導く力があるのは、この歌詞自体が正に進行形で孤独を経験している彼ら自身の唯一無二の「声」であるからなのでしょう。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

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