見出し画像

Agust D "AMYGDALA" 早く僕を救ってくれ ~日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.095

僕のアミグダラ
ここから救ってくれ
さあ 早く引き出してくれ

AMYGDALA



あなたの名を僕は知らない
あなたの名を僕は知らない
あなたの名を僕は知らない
最近気分はどう
あなたの名を僕は知らない
記憶で旅行
消したいこと
最近気分はどう

1993年
僕が 生まれた月に
母さんの心臓の手術
あらゆることがたくさんあったね
何がこんなに多事多難なのか
覚えてさえいない記憶も
全部取り出してみよう ひとつずつ
全部取り出してみよう ひとつずつ

あゝ 最善の選択
次なる適切な選択
次の次に善い選択 選択 選択
望まなかったこと
僕にはどうにもならないこと
さあ 拾って仕舞おう ひとつふたつ
そう ひとつふたつ
そう ひとつふたつ

あなたの名を僕は知らない
記憶で旅行
あなたの名を僕は知らない
さあ 消してみようひとつずつ
そう ひとつずつ

僕のアミグダラ
早く僕を救ってくれ
早く僕を救ってくれ
僕のアミグダラ
さあ僕を引き出してくれ
さあ僕を引き出してくれ
僕のアミグダラ
僕のアミグダラ
ここから救ってくれ
さあ 早く引き出してくれ

そう本当に
ありとあらゆることが多かったね
耳元では 母さんの心臓時計の音
伝えることができなかった
僕の事故の報せと
仕事中にかかってきた電話は
父さんの肝臓癌の報せ
最善の選択が合っていることを願う
それもまた全て通り過ぎてしまったのであって
故に この数多の苦痛は僕のためのものなのか
絶え間ない試練は
僕を殺せなかったし
今一度僕は 蓮の花を咲かせる

あゝ 最善の選択
次なる適切な選択
次の次に善い選択 選択 選択
望まなかったこと
僕にはどうにもならないこと
さあ 拾って仕舞おう ひとつふたつ
そう ひとつふたつ
そう ひとつふたつ

あなたの名を僕は知らない
記憶で旅行
あなたの名を僕は知らない
さあ 消してみようひとつずつ
そう ひとつずつ

僕のアミグダラ
早く僕を救ってくれ
早く僕を救ってくれ
僕のアミグダラ
さあ僕を引き出してくれ
さあ僕を引き出してくれ
僕のアミグダラ
僕のアミグダラ
ここから救ってくれ
さあ 早く引き出してくれ


韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6197077
『AMYGDALA』
作曲・作詞:Agust D , 장이정(JANGYIJEONG)


*******


今回は、BTSのSUGAがAgust D名義で発表する三枚目の、また、商業的に発表される初のソロアルバムとなる2023年4月リリース「D-DAY」収録の "AMYGDALA" を意訳・考察していきます。


1.倉庫整理

「D-DAY」リリースに合わせて行われたライブ配信の中で、"AMYGDALA" 制作時のエピソードについての言及やMVの解説がユンギ本人によってなされています。↓

(34:11~AMYGDALAの話題)

この配信によると、2020年コロナ禍でツアーが中止になり、精神的に辛かった時期に撮影されたという「IN THE SOOP」の前後にこの楽曲を作業したと彼は振り返っています。
同じ頃、自発的に受けていた(おそらくメンタルケアの)レクチャーで脳の一部である扁桃体(AMYGDALA)のことを知った彼は、扁桃体の存在と関わり方を解説され次のように理解したとのこと。

扁桃体は「家の中にある見たくないゴミを入れておく倉庫」。
倉庫の中に蓄積したゴミは整理をしないまま放っておくと腐敗するが、家ののことなので中に入って整理をしなければならない。

否定的な感情を生み出す要素の〈管理及び評価〉をしている「倉庫」の整理をするにあたり(メンタルケアの)先生からアーティストならではの方法として曲を書くことを勧められたユンギは、「方言が爆発するかのように出る」ようにいつになくスラスラと曲も歌詞もすぐに書けたと、"AMYGDALA" を制作し始めた当時を振り返っています。

また扁桃体といえば「IN THE SOOP」の中でラプラが回し読みしていた小説『アーモンド』も思い出されますが、あの時点ですでに本と同じテーマで楽曲制作をしていた最中であったことを考えると、その偶然の出会いに鳥肌が立つ思いです。本を読んでより感化された彼が、扁桃体そのものを歌詞やタイトルに取り上げることを選んだのは自然な流れだったのだと思われます。

怒りを原動力としているいう自己認識で数々のネガティブな感情を歌い上げてきたAgust Dですが、その全ては彼の感情の倉庫整理の結果であり、「ほとんど全て終わった状態で、解決した状態で出している。苦しまずに克服した状態で出しているんです」と前述の配信で話しています。

否定的な思考の源は何だったのか。その理由を解き明かし、心に負った傷を癒すための「倉庫整理」が、彼にとっては他でもない音楽であったのだと。

"AMYGDALA" を制作したことで "D-Day" の歌詞にもある「過去はただの過去である」と言える人間になった、と話す彼が纏うこの上ない穏やかさの中に、Agust Dという存在の大きさを感じざるを得ません。


2.自分にはどうにもならないこと

"AMYGDALA" の歌詞の中には、彼自身の人生に起こった個人的かつ具体的な出来事がいくつか描かれています。
それらこそが彼の胸の内の倉庫にしまい込まれていた「見たくないもの」たちのことであり、他人の我々ですら胸が痛くなるものです。
むしろしまっておいた方が良いのではと心配してしまうようなそれらの出来事を敢えて楽曲として世に送り出した音楽家の彼が、自ら選んだその癒しの道を共に歩く覚悟を決めて、その経緯に寄り添ってみたいと思います。


■家族のこと

ユンギのご家族というと、슈취타ep.8で話題になっていた2016年のコンサート「花様年華 on stage : epilogue」での光景がその関係性を推し量るための糸口なのではないかと思います。

だいぶ遅れてARMYとなった私ですが、このシーンについての言及はつたないアミ活を初めた後比較的すぐに目にしたと記憶しています。
どちらかと言えば普段は感情を表に出すことなく、ステージ上でも力強いラップが印象的だと彼のひととなりを捉えていた当初、突然ステージ上で最敬礼をして肩を震わせる姿は他の場面における彼のどの様子とも全く結びつきませんでした。

その後私はバンタンやAgust Dの歌詞を片っ端から読み漁るうちに彼の過去を少しずつ、断片的に知って行くことになるのですが、最も衝撃的だったのは、あれ程の才能と確固たる個性を兼ね揃えながら家族に音楽の道に進むことを反対されていた、という経緯です。↓

そしてその後、彼が対人恐怖症や鬱病を発症し上京したご両親と共に精神科を受診した際には、「この子がよくわからない」と言われたという歌詞が。↓

出典があやふやなまま各所で言い伝えられている「書いた歌詞を親に破り捨てられた」件ですが、ナムさんと二人でゲスト出演したKBSのラジオ番組「Super JuniorのKiss The Radio」の2013年7月28日放送回で言及されています。(放送の公式アーカイブは残っていませんが、動画検索をするとヒットします。公式ではないのでリンクは貼りません)
聴き取って和訳してみたところ〈学生時代に勉強は良くする方だったか〉という話題で、「音楽をしたいと考えていたが両親がどうしても反対していて”勉強しろ”と言われ、歌詞の紙も取って破られて…僕の目の前で」と打ち明けています。

また、"대취타" で取り上げられた思悼世子サドセジャの顛末は、相容れない親から圧力を受ける彼自身の姿にもどこか重なります。

これらの散らばっている要素を繋げるものが、"사람(People) Pt.2" の「十分に愛されなかった子」というフレーズです。
この1行を読んだ時、私は背筋が凍るような思いをしました。
それは、私自身の過去の記憶と重なったと同時に、自分が愛されていなかったと彼自身が自覚している(であろう)ことに衝撃を受けたからです。
(この件に関する詳しい考察は以下の記事にて↓)

"AMYGDALA" の歌詞には、そのように十分に満たされていたとは言い切れなかった関係にあったと推測されるご両親の、健康に関する言及があります。

自分の誕生と同時期に行われたお母様の手術。
楽曲 "이사(Moving On)" の歌詞で既に彼は当時のことを振り返って歌詞にしており、アルバムレビューでは母親への尊敬と愛を込めたと明かしています。

そして、スケジュール中に届いたお父様の病の報せ。

更なる「多事多難」は彼自身の身体にも起こっています。


■事故のこと

2020年11月、ユンギは肩の手術とリハビリのため年末にかけて活動を休止しました。↓

公式発表で練習生時代の2012年に起きたとされている交通事故については、当初は事務所はおろか、後に共にデビューを迎えることになったメンバーにも明かされてはいなかったようです。先に2016年Agust D "마지막(The Last)" の歌詞で言及された後、2018年のドキュメンタリー「Burn The Stage」Ep.3に収められているシーンでその事実を初めてメンバー全員の前で口にしたことがリアクションから推測できます。

事故のことを「전하지 못했던(伝えることができなかった)」理由もそこで語られています。この時、真相を飲み込んでしまったことで過去を過去と言い切れなくなり、負の記憶が「倉庫」に保管されてしまうきっかけになったのかもしれません。


■「選択」と「後悔」

これら "AMYGDALA" 曲中で描かれている出来事以外にも「倉庫」に保管されていた負の記憶があったことは、過去の楽曲歌詞や "AMYGDALA" のMVを観ることで窺い知ることができます。
"AMYGDALA" MVはトラウマのフラッシュバックを想起させ、演出とわかっていても観るのが辛いシーンが続きます。

人間とはそんな負の記憶がよみがえる度に後悔を繰り返すものだという見解を、いくつかの歌詞の中に見つけることができます。彼は人を「後悔の動物」であるとまで表現しています。↓

"AMYGDALA" の歌詞は、そういった負の記憶が生まれた瞬間を一つずつ振り返り、それぞれがそれぞれの「最善の選択」から生まれた、自分の力では避けようのない出来事だったのだと理解しようとしているものになっています。
つまり、自分はやれるだけのことはやっていたのだから、悪い結果であっても後悔せず、変えられない過去は過去でしかないのだと割り切るまでの過程を綴っているのだと思われます。

최선의 선택들이 맞았었길 ※1
(最善の選択が合っていたことを願う)
그 또한 모두 지나가 버렸기에 ※2
(それもまた全て通り過ぎてしまったことであるのだから)
그래서 이 수많은 고통은 날 위한 것일까
(それ故この数多くの苦痛は僕のためになることなのかな)
끊임없던 시련은 날 죽이지 못했고
(絶え間ない試練は僕を殺すことができなかったし、)
다시금 나는 연꽃을 피워내
(今一度僕は蓮の花を咲かせる)

※引用文に付けた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6197077

※1 ~길=~길 바라다…~であることを願う・望む(参考
※2 기에(~するものだから)…持論の根拠を説明する(参考

正しいと信じて選択した結果が正解だったことを望むが、その結果さえも全て過ぎていってしまったことだからこそ、波瀾万丈だった人生も自分にとっての糧となったのだろうか?との自問に対し、

絶え間ない試練にも屈することがなかった自分を再確認すると共に、何度となく訪れる苦難の中でも再び「蓮の花を咲かせる」力があるのだから、糧になっているに違いないのだ。と、答えを導き出します。

この「蓮の花を咲かせる」のフレーズは、"D-Day" の歌詞ありきの引用です。

미움이 가득한 세상에
(憎しみが満ちた世界に)
증오는 더더욱 불필요하네
(憎悪は尚更不必要だね)
연꽃은 진흙탕 속에서도 찬란하게 꽃피우기에
(蓮の花は泥の中でもきらびやかに花を咲かせるものなんだから)
아등바등 남과 비교 열등감 자기혐오
(ねちねちと人と比較 劣等感 自己嫌悪)
이런 것들로 향해 오늘부로 총구를 겨눠
(こういうことに向かって今日を以って銃口を向ける)
―― "D-Day" より

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6197074

※「꽃피우기에(花さかせるから・ので)」は前の文'世界に憎悪は不要'の理由ではなく、本来기에は後に来る文の根拠の説明が仕事なので、「蓮の花のように泥の中でも美しく咲く花があるのだから、比較や自己嫌悪とはもう決別する」という意になる。

こうして「ひとつずつ ひとつずつ」負の記憶を倉庫から取り出しては、後悔を打ち消し自己嫌悪との決別を丁寧に試みていく。この癒しの過程が人によっては音楽を「聴く」ことである場合も有る中で、ユンギにとってそれは音楽を「作る」ことだったのだと本人が配信で振り返っています。


3.傷は自分で作るもの

今回アルバム「D-DAY」リリースにあたっては"해금(Haegeum)" 、"AMYGDALA" の2曲についてMVの制作が行われました。
前述の配信にて本人が解説した通り、これらのMVについてはリリースから遡る事3年の2020年「D-2」"대취타(Daechwita)" 制作時点で既に自作のシナリオとコンテが存在しており、撮影監督の元に渡されていたとのこと。コロナ禍で変更になってしまった兵役履行計画に対応するように、その撮影スケジュールも変更されていったようです。

"대취타(Daechwita)"、"해금(Haegeum)" 、"AMYGDALA"
この3つのMVに共通するもの。
それは「傷・傷跡」、そして「様々な〈立場〉や〈時代〉の自分」です。

配信でのMV解説中に映像を止めた彼は、このように話しています。

これは(「D-DAY」)全体を貫くメッセージがたくさん入っているMVですが、僕の今この苦痛とこういう悲観的な考えは、今時間が経ってみると僕が自分自身で作り出し続けていたものだったんです。
解釈を少し変えていたなら、その当時に僕が考えを少し変えていたなら「あまり辛くなかったんじゃないか?」という考えで、そんなことをちょっと視覚化させようとしました。

https://weverse.io/bts/live/4-117656809

この言葉を補足してくれる発言がドキュメンタリー「SUGA: Road to D-DAY」ハイライト映像で取り上げられています。MVの打ち合わせと思しきシーンで〈目の傷がなぜできたのか〉を「必ず見せたいこと」とし、「傷や傷跡は全て本人が作るものだから」と続けています。↓

演出意図のひとつとして「傷が出来た訳をみなさんが推測できるものを作りたかった」ことを配信の中で明かしてくれた彼は、最終的な解釈は観る者に全て委ねるとしています。

私なりの解釈は、

  • 倉庫にしまいこんでいたトラウマは、実は自分自身が作り出したものだった。(傷)

  • 後悔に及んだ結果も、時が経ち立場を変えて多角的に見てみると、そこまで悲観的なものではなかった。(様々な職業・立場・時代の自分自身)

  • 辛かったこと、悲しかったことは、無闇やたらと掘り返さずに適切に整理をすれば片づけることができる。(傷跡)

といったことになるのかなと…。

本当に辛く、悲しい状況に現在進行形で直面する人は、なかなか「早く助けて、ここから救って」と声をあげることができないものかと思います。目の前の問題に真摯に向き合っている人ほど、自分が気を強く持たねばと思ってしまうもの。
あるいは、辛い立場にある自分に様々な理由で気付くことができずにいる人もたくさんいるかもしれません。傷跡に気付くきっかけは、人それぞれなのだと思います。

扁桃体が負の要素だと評価した状況が増えすぎて倉庫が機能を果たさなくなる前に、向き合って整理することを試みてはどうか。また、辛いなら救って欲しいと叫んでみるのはどうか。という可能性の提案、ひとつの指針、ひと筋の光をもたらすような…聴く側にとっての "AMYGDALA" はそういう楽曲なのではないかと思いました。



今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
🐱