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Agust D "사람(People)" 後悔の動物 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.088

お前の平凡はむしろ俺の特別
お前の特別はむしろ俺の平凡

사람(People)


あゝそよ風よ
行きずりの人よ
染み入る人よ
俺はどんな人?
俺は良い人?
それとも悪い人?
評価は様々
ただ、俺も人

皆 生きていくだろうね
皆 愛するだろうね
皆 色褪せてゆくだろうね
忘れられるだろうね

人々は変わるね 俺も変わったように
この世で生きることは 永遠ではない
全てが過ぎ行く ハプニング

ううん… 何故そんなにかしこまるの?
何故そんなにぎこちないの?
何故そんなに仰々ぎょうぎょうしいの?
ううん… 俺はそんなに大そうな奴か?
俺はそんなに手に負えないか?
俺はそんなに…俺はそんなに…

まあ、いっか
掠め過ぎ行くとしても まあ、いいさ
まあ、いっか
傷つくとしても まぁ、いいさ

時にはまた 痛むかもしれない
たまには悔しくて涙するかもしれない
まぁ、いっか
そうやって生きるとしても まあ、いいさ

涙が流るるままに流れゆく
彼方の果てには何かがあるのかもしれない
特別な人生 平凡な人生 それなりに
良いことが良いことなんだよ まあ、
良いことが良いことなのさ

万事思い通りにはならないね
不便は全て甘んじて受け入れるさ
劇的な状況の反復は
人生を疲弊させもする
人々とはそういうものさ

無ければ 有って欲しくもあり
有れば無くなって欲しくもある
誰が人は知恵の動物だと言ったのか
俺が思うに、
後悔の動物なのは明らかなのに

人々は変わるね 俺も変わったように
この世で生きることは 永遠ではない
全てが過ぎ行く ハプニング

お前の平凡はむしろ俺の特別
お前の特別はむしろ俺の平凡

お前の平凡はむしろ俺の特別
お前の特別はむしろ俺の平凡

まあ、いっか
掠め過ぎ行くとしても まあ、いいさ
まあ、いっか
傷つくとしても まぁ、いいさ

時にはまた 痛むかもしれない
たまには悔しくて涙するかもしれない
まぁ、いっか
そうやって生きるとしても まあ、いいさ



韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6195273

『사람』
作曲・作詞: Agust D , Pdogg


*******


今回は、SUGAがAgust D名義で2020年5月にリリースしたミックステープ "D-2" の収録曲 "사람サラム(People)" を意訳・考察していきます。



1.感情のタイムカプセル

ソロアルバム「D-DAY」収録曲となる "사람 Pt.2 (feat. IU)" の先行配信を機に、IUちゃんのYouTube番組「IUのパレットEp.19(2023年4月10日公開)にゲストとして出演したユンギ。番組には "사람 Pt.2" と縁のある楽曲 "사람" についてのトークと、パフォーマンスをする姿が収められています。↓

ここで彼は "사람" が元々、2017年の "Intro: Serendipity" が出るタイミングでJiminのソロ曲用のビートとして既に作業を開始していたものだったことに言及しています。「D-2」リリース直後のV LIVEでもこの件について触れています。↓

※45:33~が "사람(People)" の話題。

作業中散々聴いた楽曲をリリース後に敢えて自分では聴こうとしない、といった内容を前述の「IUのパレット」で語っているユンギですが、この "사람" をある時偶然耳にした際には、歌詞がその時の心境に刺ささり自分で自分の楽曲に涙した、と打ち明けています。

自分で自分の過去作に涙するという状況は、楽曲に限らず極めて稀なことだと私は思うのです。
彼がその時その時の自身の感情にどれだけ真っ向から立ち向かっているのかが、あらためてよくわかるエピソードなのではないかと思います。

では、彼の楽曲制作当時の感情とは、どんなものだったのでしょうか。


2.対「人」恐怖の克服

サビで繰り返される「뭐 어때ムォ オッテ」というフレーズは、上手くいかない誰かを「なんでもないよ、どうでもいいじゃない」となぐさめる言葉であり、自分自身に対しても「なんてことない、どうってことない」と言い聞かせることができる言葉である、とのこと。↓

음... why so serious? ※1
(うーん…なぜそんなに真剣なの?)
Why so serious? why so serious?
(なぜそんなに真剣なの?なぜそんなに真剣なの?)
음... I'm so serious? ※2
(うーん…俺はそんなに手に負えないか?)
I'm so serious? I'm so.. I'm so..
(俺はそんなに手に負えないか?俺はそんなに…俺はそんなに…)

뭐 어때
(何てことないさ)
스쳐 지나가면 뭐 어때
(すれ違って過ぎて行っても どうってことない)
뭐 어때
(何てことないさ)
상처받으면 뭐 어때
(傷つくとしても どうってことない)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195273

※1 serious…(態度が)真剣な、(状況が)深刻な、(程度が)相当な、(問題が)手に負えない、等(参考
※2 平叙疑問文(参考

「人」とひと言で言っても、その場限りで終わる人もいれば、自分と長く関わることになる人もいる。
"사람" の歌詞はまず、そんなたくさんの人々の中で自分はどんな「人」なのか、という自問から始まります。良い人なのか、悪い人なのか。

そしてサビ前では「なぜそんなにシリアスなのか?俺はそんなにシリアスか?」と疑問符が並びます。

「serious」という単語が含んでいるニュアンスを拾ってみると、
・「なぜそんなにserious(真剣)なのか?」という問い
→既知の間柄だった人がなぜか畏まってよそよそしくなってしまった状況
・「俺はそんなにserious(手に負えない)か?」という問い
→周囲が自分に対して必要以上に気を遣うようになってしまった状況
…活動が軌道に乗り評価が上がれば上がる程に、周囲の人々の態度が変わっていく。このような環境が推測できるのではないかと思います。
中には嬉しい変化もあったでしょうけれど、これらの問いからは人の変化に対する「戸惑い」が伝わってきます。

しかし彼は歌詞の中にもあるように、「自分も変わったように周りも変わっただけ」、「人は永遠の存在ではなく、変化し続けいずれ色褪せ忘れ去られるものだ」という見解をすでに得ています。
自分が今どう見られているのか、今どう評価されているのかを意識しすぎることはあまり意味がなく、また、その変化をいちいち憂いても仕方がないのだ、ということを。

また、"Whalien 52" の歌詞でこの「뭐 어때ムォ オッテ」が登場する部分は "사람" の歌詞とリンクしています。

누군 말해 새끼 연예인 다 됐네
Oh fuck that, 그래 뭐 어때 누군가 곁에
―― "Whalien 52" 歌詞

https://music.bugs.co.kr/track/30075279

誰かは言う
「こいつすっかり芸能人になったな」
だから何だ そうだよ
まあ、いいじゃないか
誰も傍に残らなくても
それで充分だ
――"Whalien 52" 考察記事より

https://note.com/nozomiari/n/n8f624d4f69e2

ユンギはかつて対人恐怖症を抱えていた時期があったことを "마지막(The Last)" の歌詞で示していますが、それを踏まえた上でこの持論を眺めると、彼がどうやってその恐怖と共存しようして来たのかがわかるような気がします。

自分が周りからどう見られているか、周りにとっての「良い人」でいることができているか、それを全く気にせずに生きて行くことは難しい。
でも、これだけたくさんの人がいて、人の数だけ異なる「良い人」の基準があり、そして各々の意見は常に変化し続けていることを考えればもう、

まあ、いっか。どうってことない

と片付けてしまうことが賢明である。
例え誰かの一時の評価に自分が傷付けられたとしても、その意見も、意見を述べたその人も、そして自分ですらも変化していずれいなくなる。だからいちいち誰かにとっての正解をひとつずつ律儀に出そうとして、こちらが悩む必要はない。

彼がたどってきた対人恐怖の克服までの道のりについてはどんな解釈も推測の域を出ることは決してありませんが、「どうってことない」に至るまでの葛藤がこの歌詞の端々から感じられるように私は思います。


3.「後悔」発生のメカニズム

歌詞の後半には、キーワードのひとつである「後悔」の文字を見つけることができます。

누가 사람이 지혜의 동물이라 했나
(誰が人は知恵の動物だと言ったのか)
내가 보기에는 후회의 동물이 분명한데
(俺が見るには 後悔の動物が明らかなのに)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195273

この「後悔の動物」は、その後アルバム「BE」収録の "Blue & Grey" にも登場しています。

今も尚有る 青い疑問符は
果たして不安なのか、憂鬱なのか
もしかして本当に後悔の動物なのか
それとも孤独が生んだ僕なのか
――"Blue & Grey" 考察記事より

https://note.com/nozomiari/n/n70d8c833ae7e

「後悔」
してしまったことを後から悔やむこと
(悔やむ=残念に思う=思いが後に残る)
参考

後悔をあまりしない人、しないように気を付けている人、してもすぐに忘れる人…同じ「人」でも、生まれつき後悔とは無縁の人もたくさんいるかと思います。
私は今は「しないように気を付けている人」であろうと思いながら過ごしています。が、昔は…特に十代のころは、毎日が、毎時間が、毎分毎秒が後悔の連続でした。

夜になるとその日自分が発した言葉や取った態度が頭の中で反芻され、こう言えばよかった、ああすればよかったと、決して撮り直すことのできないシナリオを書き直し始めて止まらなくなるのです。
自分が言った言葉を周りはどう思っただろうか、あの時どうすれば正解だったのだろうか、と、ひとりで悩んでも答えが出るはずのないことを永遠に考え続けている子どもでした。

今思えば、親の転勤で何度も生活環境が変わり、既に出来上がっている輪に入れてもらうため、常に人の顔色をうかがって生きてきたことによる当然の結果なのだとわかります。
加えて子どもに興味が無い親だったので、学校で何があったかなんて一度だって聞かれた記憶がありませんし、人間関係が上手いっているのかどうかなんて心配されたこともありませんでした。
当然、自分から誰かに相談するという選択肢もなく、相談したら解決するかもしれないという可能性に気付くこともなく、ひたすら毎晩心の中で「ひとり反省会」を開く。

「後悔の動物」という表現は、あの頃の私にぴったりだと思います。

元々自信のない回答を間違っているとわかっていながら繰り出した結果、答え合わせすらできずにいる状態、それが「後悔」。

後悔発生のしくみは、ただ単に「もしも」の世界を想像してより良い異なる結果を求めているだけではないのだと、私は思います。

そんな後悔のスパイラルから抜け出すための術もまた、「뭐 어때ムォ オッテ」の心構えで自分を無条件に肯定することなのかもしれません。


4.ないものねだり

またさらに、気を付けて読みたい箇所がもうひとつ。

없으면 있고 싶기도 있으면 없고 싶기도 ※3
(なければあって欲しくもあり あればなくなって欲しくもある)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195273

※3 -기도 (하고)…~したりもする(参考

まさしく「ないものねだり」な心境と、その真逆の状況を並べたものになりますが、ここには人に変化をもたらす大きな要因が含まれているのではないかと思います。

平たく言えば富と名声、確かな地位と厚い人望…持つ人と持たざる人の間にいつしか必ず軋轢をもたらすこれらの「人」特有の価値観は、時に人間を「嫉妬」の渦に突き落とします。
それまで良好だった人間関係に変化を引き起こす嫉妬。近い経験をされた方も少なくないのではないでしょうか。

嫉妬が引き起こす「隣の芝生は青く見える」現象に対してユンギは、こんな見方を示しています。

너의 평범함은 되려 나의 특별함 ※4
(君の平凡さはむしろ俺の特別さ)
너의 특별함은 되려 나의 평범함
(君の特別さはむしろ俺の平凡さ)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195273

※4
・평범함=평범하다(平凡だ)の名詞形
 특별함=특별하다(特別だ)の名詞形
・되려=도리어(かえって、逆に)(参考

「万事思い通りにはならない」芸能人としての人生において「不便を甘受して」「劇的な状況を反復」している彼は、人気を得る代わりに「疲弊」をしている。
嫉妬を理由に態度を変えたり攻撃をしてくる者たちには、彼が、彼らが抱えているそんな負の要素が見えていなかったりもします。

「特別」を望んで「平凡」を厭う者たちは後を絶たないが、「不便を甘受して」「疲弊」している者の側からしてみればそんな「平凡」が「特別」なものである。
残念ながら、嫉妬に狂う者たちがそのことに気付くのは難しいでしょう。

妬み嫉みが引き起こす負のムーブに対抗するために必要なのは、ここでもやはり「뭐 어때ムォ オッテ」の心構えなのかもしれません。
成功に罪はないのだと胸を張り、雑音を聞き流す図太さも大事なのだと思います。

「平凡」に生きていれば目や耳に入ってくることのない星の数ほどの「人」の言葉は、彼らの糧となる一方、時には刃となってしまっているかもしれない。

深い愛、大きな期待を送ることが彼らへの応援に繋がるのだと信じてはいますが、その一つ一つに応え続けようとすること、正解を出し続けようとすることがどれだけ「劇的な状況」であるのか、一般人である私の経験値では想像が追いつきません。

ただ、かつて自分が陥っていた「誰かの正解になろうとしてなれなくて、後悔を繰り返す日々」のあの残酷さは思い出すのも辛いです。

正解を出すことだけが、人に愛される条件ではない。
「まぁ、いっか」で守れる自分があるのならそれでいい。
そうして生きてさえいればこそ、なのだと思います。



今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。