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Agust D "사람(People) Pt.2" あなたは愛されるに値する 〜日本語選びにこだわる和訳歌詞 no.089

人生は 抵抗と服従の間の闘いと言うけど
俺が思うに、淋しさとの闘いだね
涙が とめどなく溢れ出てきたら
あなたは 泣いてもいい
あなたは 愛されることにも既に十分なのに

사람 Pt.2 (feat. 아이유)


そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
そうでしょう? そうだよね?
何であろうと わかっている

そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
もはや 誰もがわかっている


愛という言葉は
もしかすると瞬間の感情の羅列
条件付きだね
俺は何を愛しているのか
十分に愛されなかった子
だから 何よりも慎重なタイプ
俺はね 願わくは慎重な関係性
わかってるじゃないか
永遠は 砂の城
穏やかな波にも
力無く容易たやすく崩れる
喪失は何故なにゆえに悲しいのだろうか
実を言うと
怖ろしいことが 悲しいんだよ


遥か遠くへ
あなたはいってしまった
遠ざかってゆく
遠すぎる彼方へ
あなたはいってしまった
受け入れなければならないんだ


そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
そうでしょう? そうだよね?
何であろうと わかっている

そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
もはや 誰もがわかっている


あなたは何故に悲しいのだろうか
実は怖ろしさが大きいんじゃない?
共に未来を描いていた俺たちはいないし、
築いた砂の城たちを
壊してしまったのは俺たちだよ
勝ち負けのないゲームだと言うけど
俺は いつでも敗北者
全てを捧げると言っていた俺たちは
全てを壊すよ
そして去るね 愛であれ 人であれ
全てが利己的なせいだ


遥か遠くへ
あなたはいってしまった
遠ざかってゆく
遠すぎる彼方へ
あなたはいってしまった
受け入れなければならないんだ


そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
そうでしょう? そうだよね?
何であろうと わかっている

そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
もはや 誰もがわかっている


さすらう人 さすらう愛
愛の終わりは果たして何だろうか
数多あまたの人 擦れ違った愛
愛は愛で完璧なのだろうか
そうだね 利他的なことが
もしかしたら かえって利己的だね
君のためにという言葉はすなわ
俺の欲張りなのだから
欲を捨てたら幸せになるのか
満たせなかった 出来損ないの虚像

人生は
抵抗と服従の間の闘いと言うけど
俺が思うに、淋しさとの闘いだね
涙が とめどなく溢れ出てきたら
あなたは 泣いてもいい(泣いてもいい)
あなたは
愛されることにも既に十分なのに


そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
そうでしょう? そうだよね?
何であろうと わかっている

そう、だから今 時間はまだ
まさしくここにある 進むために
もはや 誰もがわかっている


韓国語歌詞はこちら↓
https://music.bugs.co.kr/track/6195621
Agust D『사람 Pt.2 (feat. 아이유)』
作曲:Agust D , EL CAPITXN
作詞:Agust D , EL CAPITXN


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今回は、BTSのSUGAがAgust D名義で発表する三枚目の、また、商業的に発表される初のソロアルバムとなる2023年4月リリースの「D-DAY」先行配信曲 "사람サラム(People) Pt.2" を意訳・考察していきます。

フィーチャリングボーカルに起用されたのは、2020年5月リリースのシングル "eight" に続き、今回が2度目の共同作業となるIUちゃん。
(彼女との共演が再び叶った経緯への言及は有料コンテンツ「SUGA: Road to D-DAY」にあり)
ユンギがゲストとして出演した彼女のYouTube番組「IUのパレットEp.19(2023年4月10日公開)では、楽曲制作時やレコーディング時のエピソードを交えたトークとライブが収められています。↓


1.繋がりへの渇望

この "사람 Pt.2" は、リリースより3年前に既に作業していた楽曲であったことがMV Shoot Sketchで本人によって明かされています。(同内容はBillboard誌のインタビュー記事にもあり)

Agust D 三部作の最終章を飾る曲に相応しいとして三年間「寝かせておいた」と彼が語るこの "사람 Pt.2" は、 "사람(People)"(2020年5月リリース)という過去作ありきのタイトルとなっています。

この "사람"、「D-DAY」活動中のインタビューの中で、自作曲の中でも特に愛着を持っている楽曲として何度もその名が挙げられています。"사람 Pt.2" は元々は別のタイトルであったけれど、同じ「人」をテーマにした楽曲でもあることから最終的に "사람 Pt.2" としたという経緯があったことが、インタビュートークで語られており、加えて「슙디의 돌아온 꿀에펨(シュプDの帰って来たHoneyFM)」では "사람" と同時期に "사람 Pt.2" も制作されていたことが明かされています。

歌詞の内容を見渡してみても二曲に具体的な共通項があるというわけではありませんが、「人」にまつわるふたつの物語は、それぞれにそれぞれの切実な「訴え」が込められています。

私が感じたそれぞれの楽曲から感じるイメージ↓
"사람" → 雑踏の中でなぶられながらも、自分に向けられる誤解や偏見への対処法を見出そうとする姿。「個人 対 多数」「憤り・諦め」のイメージ。
"사람 Pt.2" →自分と関わりのある誰かに対して、与え/与えられるもの=愛についての不在とその理由について。「個人 対 個人」「望み・渇望」のイメージ。

どんなに恨みを抱いて憤慨しても、どんなに渇きを覚えて絶望しても、人は決して一人では生きていけない。
人との関わり・繋がりが充実しているからこそ独りが心地よいと思う瞬間が生まれるのであって、完全なる孤独に人は怯え、淋しさに涙する。

MVのラストではユンギの独り語りが挿入され、"사람 Pt.2" は「コロナ(ウイルスの影響)で色々なことが出来ない時、ものすごく“全てを失ってしまった”と考えていた時に書いた曲」「僕自身にしてあげたかった話」であったとその経緯を振り返っています。

人と人とが物理的な断絶を余儀なくされ、精神的にも孤独を強いられた時期を怖れずに振り返ることが少しずつできるようになり始めた今、当時の想いが詰まったこの楽曲が公開されることの意味は大きいのではないかと思います。


2.時間はまだ「ここ」にある

海外のARMYも発音し易いようにシンプルに書いた(出典)というサビの英語詞は、コロナ禍の感情であることを考慮すると、あらゆることが止まってしまい自由を失った状況においても前に進むための時間はまだここにある、という前向きな確信のようなものが感じ取れます。また、その確信自体が、彼が「自分自身にしてあげたかった話」のひとつでもあるのではないかと思います。

So time is yet now
(だから 時間はまだある 今)
Right here to go ※1
(まさにここに 進むために)
I know you know ※2
(そうだよね そうでしょ)
Anything does know ※3
(何であろうとわかっている)
So time is yet now
Right here to go
Nobody doesn't know anymore ※4
(もはや 知らない者は誰もいない)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195621

※1 right here…(まさに)ここに/ここで(参考
後ろのto goはhereに対する形容詞的用法にはならない(「ここ●●に行くため」ではない)と判断
1行目と2行目で「進むための時間はまだ今まさにここにある」というニュアンスと解釈

※2 I know =~だよね(参考)/You know=~でしょ(参考

※3
・anything=(肯定文において)何でも(参考
・does knowは強調の「do+動詞」(参考
IであろうがYouであろうが「何であっても~だよね/~でしょ」というニュアンスと解釈

※4 anymore=もはや~ない(参考
nobodey(誰もいない)+doesn't(~しない)で二重否定
知らない者は誰もいない=ひとり残らず知っている

一向に正常化する気配のない停滞した世界で、いたずらに過ぎて行く膨大な時間をただただ費やすしかなかった2020年。目の前にある時間が「前に進むためのもの」であるという当然のことにあらためて気が付くことができた環境は、あるいは身の回りに溢れていた幸せが崩れてゆく様を目の当たりにせざるを得ない状況でもありました。


3.無条件の愛

「僕は前に書いたフレーズを持ってくるのがちょっと好きみたいです」と2019年12月に "SUGA's Interlude" がリリースされた時期のV LIVEで話していたユンギ。(9:35あたり)↓

この話題のきっかけは "SUGA's Interlude" と "Tommorow" の歌詞の類似性についてのARMYからのコメントでしたが、これ以外にも共通のフレーズを別の楽曲で用いた例が彼の作品の中には複数件見受けられます。

その中のひとつとして "사람 Pt.2" には、"Savage Love (Laxed - Siren Beat) (BTS Remix)" にある歌詞との共通項があります。

사랑이라는 말
(愛という言葉)
어쩌면 순간의 감정의 나열
(もしかすると瞬間の感情の羅列)
조건이 붙지 나는 무얼 사랑하는가
(条件が付くね 俺は何を愛するのか)
(中略)
알잖아 영원은 모래성
(わかってるじゃないか 永遠は砂の城)
잔잔한 파도에도 힘없이 쉽게 무너져
(穏やかな波にも力なく容易く崩れる)
―― "사람 Pt.2"

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195621

사랑이란 어쩌면 순간의 감정의 나열
(愛とはもしかすると瞬間の感情の羅列)
조건이 다들 붙지 난 뭘 사랑하는가
(条件が皆に付くね 俺は何を愛するのか)
영원이라는 말은 어쩌면 모래성
(永遠という言葉はもしかすると砂の城)
잔잔한 파도 앞에 힘없이 무너져
(穏やかな波の前に力なく崩れる)
―― "Savage Love (Laxed - Siren Beat) (BTS Remix)"

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/5993862

また、"eight" のユンギパートにも「영원이란 말은 모래성(永遠という言葉は砂の城)」というフレーズが登場します。
これらの楽曲のリリース上の時系列は "eight"(2020年5月) → "Savage Love"(2020年10月) → "사람 Pt.2"(2023年4月)となりますが、歌詞が生まれたタイミングは "사람 Pt.2" が最も先であったと꿀에펨ックルFM(7:48あたり)で本人が言及しています。

ここにある「조건이 붙지(条件が付くね)」の言葉の裏には「無条件」という対義語が前提としてあり、後に続く「난 뭘 사랑하는가(俺は何を愛するのか)」の問いは

俺は無条件に何を愛するのか?
俺は何なら無条件に愛することができるのか?

という自問であるのだと私は思いました。

「愛」という言葉について꿀에펨ックルFMの中でその意味を確認するくだりがあり、
辞書的には
・ある人や存在を非常に愛おしんで大切に思う心
・人間の経験の根本的な部分のひとつ
・強力で意味の有る関係を形成し、目的感を感じることができる/人生の意味を見出すことができる
・大きな喜びと大きな悲しみの源泉と成り得る、我々を人間たらしめる必須的な部分
であると紹介しています。

無条件の愛、それは「無償の愛」とも表現されるものですが、一般的にこの損得を顧みない愛の形を代表するものは何といっても「親の愛(またはそれに代わる存在の愛)」なのではないかと思います。

人として生まれた以上は誰もが手に入れる権利を持ちながら、一定数の「持たざる者」が必ず存在する「親の愛」。
それを当たり前に受けて育った方にはなかなか伝わらないかもしれませんが、自分が「持たざる者」であることに自分で気づくことができるのは、親離れをした後であるということを私は実体験としてお伝えしたいと思います。

「愛されていない」と渦中で気づくことができればまだ、第三者に助けを求めたり直接疑問をぶつけることもできるでしょう。
でも、衣食住+教育面で不自由なく育てられているうちは、自分に何が足りないのかなんて気づかないものなのです。

自分は他の人と何かが違う。でもその答えが何なのかわからないまま大人になり、私の場合は自分に子どもができて、やっと気づくことができました。
私には、抱き締められた記憶も遊んでもらった記憶も褒められた記憶も喜んでもらえた記憶もない。有るのは無視・不在の記憶だけ。自分の存在が親にとっての幸せなのだと実感できたことが一度もない。
私には、無償の愛を与えてくれる人はいない。
悲しいけれど、自分に欠けているものの正体がわかった今はある意味すっきりしています。

なぜこんな話をしたかというと、歌詞の中の以下の部分に、強く共感を持ったからです。

충분히 사랑받지 못한 아이
(十分に愛されなかった子ども)
그래서 무엇보다 신중한 타입
(そういう訳で何より慎重なタイプ)
나는 말야 원해 진중한 사이
(俺はね 願う 慎重な間柄)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195621

私の話に彼の歌詞や人生を引き込みすぎるのは失礼極まりないとはわかっていますが、例えば、例えばです。
私の家のような、仕事で全く家にいない上に会えば必ず自分を否定してくる父親と、ただ黙々と家事をこなすだけで腫れ物を触るように子どもの気持ちに深く触れてこようとしない母親がいたとします。
父親はお金を稼ぐことで子を育てているつもりでいて、他は何の頼りにもなりません。
母親は放任主義だと周りに公言し、夫に尽くすだけで子どもに何があっても見て見ぬふりをしてばかり。
そこに「無償の愛」はなく、「十分に愛されなかった子ども」が気付けば大人になってしまうだけ。

「無償の愛」を受けずに育った子どもは、どうすれば愛されるのか、どうしたら愛すことができるのか、そんな簡単なことがわかりません。
なので、大人になってしまってから不意に「無償の愛」を受けることになってもどうすれば良いのかわからず怖れを感じ慎重になり、逆に「無償の愛」を捧げようとしてもその方法がわからず、不器用な程に慎重にならざるを得ない。
自分の領域と相手の領域が互いに守られる範囲で慎重に関わる方が救われる。「無償の愛」を受けても与えても、どこか居心地が悪いのです。

ユンギは「Agust D」収録曲 "마지막(The Last)" の歌詞の中で、精神科を初めて受診した際にご両親が「この子がよくわからない」とおっしゃったと書いています。自分自身も自分がわからない、親も自分を理解できない。じゃあ誰がわかるのか?と怒りをぶつけています。

「無償の愛」を無意識のうちに実感できる環境で大人になれば、人の存在・人の心にも永遠に変わらないものが宿り得るのだという感覚が自然と備わるのではないかと思います。誰かが自分のことを自分以上に大事にしてくれている、知ってくれている。その感覚は「信頼」の種です。その種から根や芽が出て、人は人としてより強く成長することができるのだと思います。

自分を大事にしてくれる存在も、証明してくれる存在もなく、永遠に変わらないものがこの世にあるという実感も湧かない。「無償の愛」を知らずに大人になった時、永遠という概念はただの言葉、ただの文字の羅列以上の何ものでもなくなってしまう。

「永遠は砂の城」という表現は、永遠という言葉が指すものが何なのか本当の意味で理解することが出来ないまま積み上げた、形ばかりの「愛」の姿であり、永遠に変わらないものなど在り得ないとどこかで思っていることの表れでもあるのだと私は思います。
故に穏やかな波にも崩れ去ってしまう。誰かの気持ちなんて、誰かの存在なんて、所詮簡単に崩れてしまう儚いものでしかないのだ、と。

「無償の愛」の不在がもたらす喪失感、怖れ、悲しみを自覚した上で彼は、その今更埋まりようのない絶望的な空白を満たす術を説く言葉を置いています。
これも、「自分自身にしてあげたかった話」のうちのひとつであるのだと思います。

삶은 저항과 복종 사이의 싸움이라는데
(人生は抵抗と服従の間の闘いだと言うけれど)
내가 보기에는 외로움들과의 싸움이네
(俺が見ることには淋しさとの闘いだね)
눈물이 터져 나오면 그대 울어도 돼 (울어도 돼) ※5
(涙が溢れ出てきたら あなたは泣いてもいい)
당신은 사랑받기에도 이미 충분한데 
(あなたは愛されることにも既に十分なのに)

※引用文につけた和訳は直訳
https://music.bugs.co.kr/track/6195621

※5 터지다…(土手などが)切れる、一度にどっと出る、突然噴き出る

「無償の愛」の不在は許容力を奪います。何をやっても一番近しい人からの肯定が得られない状況が気付けばそこにあり、拒否権もなく自立するまでの間ずっと続けばそりゃあ「自分なんか」と、卑屈にもなります。

希薄な人間関係の中で生きていくのは、弱音を吐くことも休息を取ることも、自分を労わることも始めから知らずに、酸素の薄い高山でひたすら何かに耐えながらひとり頂上を目指す、あるいは、砂漠の真ん中で水も摂らずに見たこともないオアシスをひとりで探す、そういう過酷なもの。
しかも、何故自分がそのような状況に置かれているのか理由もわからず、抵抗と服従を行き来しながら孤独に耐え続けなければならない。
もちろん、泣き方なんてものも知りません。泣いても誰も助けてくれないことを、当の昔に知ってしまっているから。

そんな卑屈な人間には、自分が既に十分愛されるに値する存在である、という、本来言葉で知る必要のないことを敢えて言葉で言い聞かせる必要があるのだと思います。正に、この歌詞のように。

私にとって、人生の答え合わせみたいな歌です。


4.誰が為の

歌詞には「利他的/利己的」という対義語が登場します。
「誰かの利益になる/己の利益になる」ことを優先するという姿勢を表す言葉ですが、このうち「利他的」な考えを持つか否かは、前述の「無償の愛」を受けるか否かが大きく関係していると思います。

私は贈り物をするのが苦手です。
相手が何を求めているのかがわからないのに、その「何か」を選ぶことが苦痛で仕方がありません。逆に、贈り物をいただくことにも慣れていません。いただいたからにはお返しをしなければならないと思うとそれがまたどこかで辛いのです。
꿀에펨ックルFMでプレゼントの話をユンギがしているのを聞いて、大きく頷いたのは言うまでもありません。)

プレゼントを贈り合うような損得のない関係性とはすなわち、「勝ち負けのないゲーム」であると言えるのだと思いますが、私は物を貰う度に、物をあげる度に、相手の期待にそえない「game loser」の気持ちになってしまう。

贈り物は相手の利益を思ってする利他的な行動の際たるものだと思うのですが、プレゼントを贈るという行為が完全に利他的であるか、といわれれば、私はそれはNOだと思います。
贈る側は、自分が贈るもので自分の評価を上げたいという気持ちをゼロにすることができないからです。感謝されたい、良く評価されたいという気持ち抜きに物を選ぶことはできない。完全に利己的な行動だと思います。

その人の為に良かれと思ってしたことが何故か裏目に出るならば、それは自分が自分を納得させるためだけにしたことであったかもしれないと気づくべき時なのかもしれません。

この利他的/利己的のくだりの中で、私は彼の決別してしまった友人のことを思い出しました。"First Love" や "어땠을까(Dear My Friend)" で語られている人物のことです。
"사람 Pt.2" を読んだ今思えばおそらく、当時家族以外で最も親身になって彼に寄り添い支えてくれた人物であったのではないかと思います。その恩もあってか、逆に支えなければならない状況になった時は献身的な行動を取っていたことも書かれていますが、結局、その人との関係は壊れたまま修復されなかったことが歌詞を読むとわかります。

「はるか遠くへいってしまった」ことを「受け入れなければならない」としているのは、この時のことをあらためて振り返っているのかもしれない、と思いました。
その人の為を思ってしたことが自分の欲でしかなかったことが疎遠になった原因であるとしつつも、「欲を捨てれば幸せになれるのか」と問うてもいます。正解を出せないまま「반쪽짜리 허상(半分の虚像)」は「채우지 못한(満たされない)」で今もそこに在り続けています。

ただ今回「まだ時間はある」とサビで繰り返している言葉たちからは、生きている限り完全には解決することのない人間関係に対する希望や、寛容性を感じることができます。前に進むための時間はまだ残されているのだと。

内省を突き詰めた世界が本当に凛々しい歌詞でした。
愛の不在を明かしながらも、愛の詰まった楽曲です。



今回も最後までお付き合い下さりありがとうございました。
🏰