見出し画像

「面白い」とは何か。

「面白い」とは何かについて考えていました。

私は仕事が楽しいのですが、先日「何が楽しいのか」尋ねられました。
自分が楽しいと思ってやっていることを改めて問われると難しいものだなと感じました。
私は仕事の内容自体を”楽しい”と思っていたようですが、どうやら違ったようです。

仕事をするとき、一定の目標を設定すると思います。また目標値に向けてのPDCAを繰り返していく過程で、失敗や成功を繰り返して学習していきます。

「どうやらその過程を楽しんでいたようだ」ということに気づきました。
だとすると、何をやっていても楽しいのではないかという結論にたどり着きます。極論はYESであり、やはり苦手なものに対して、いくら取り組んでいても辛いよなと思います。
では「どこで何をやっていても楽しいのではないか」という問いが生まれます。もしかしたら、そうかもしれないと思いながら、「おそらく違うな」と疑問が生まれました。

「どこで」やるかも重要であると気づきました。「どこで」というのは場所ではなく、仕事から生み出そうとしている場所つまりサービスなのか仕事の対象となるものを指しています。自分がその対象に可能性を感じているかが重要だと気づきました。この場所で自分が仕事として行ったアクションにより何かが生まれるであろうという期待値を持って取り組んでいる状態かと思います。

また「だれと」やるかも重要なのかと考えていました。こちらはYESであり、NOであるという解が出ました。誰かとコミュニケーションを取る上で、共通言語が必要になりますが、そのような共通言語と一定の共通理解を持つ人がその場所にいる必要はあると感じました。やはり何でも一人でやるということは不可能で、自分で行う仕事で足りない部分は補いながら進めていくことで、より良い形を目指せると感じています。

ただ「だれか」がいないと仕事ができないのかというと、仕事の面白さにおける重要度としては、「自分が決めた場所で目標値に向けて試行錯誤している状態」が面白いのだとしたら、その場所にいない「だれか」を見つけてくることもできます。「だれか」は目的に向けての手段の内のひとつであろうと感じました。

そしてまた「だれか」という点と類似していくるのですが、職場であればメンターとなる上司がいるのが一般的ですが、仕事をしていると上司との面談も重要な要素だと感じています。ただ本当に上司がいないと仕事ができないのだろうかと考えてみると、Noという答えに辿り着きました。

ということで、何を言いたいのかというと「面白さ」は自分に起因しており作り出すものであるということを学びました。

ちょうど読んでいた書籍と、今自分で考えた事柄が重なり、抽象度を上げて考えられたことで、モヤモヤとした部分に一つの解がでて少しスッキリしています。という記録です。


この記事が参加している募集

読書感想文

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?