📕 The Babylonian Captivity

★★★★☆

文学や映画には、表面的には別な物語を装いながら、目に見える事象よりも雄弁に現実を語ってくれる作品が多数ある。フィクションを介することで、介するからこそ、世界がより鮮明に、自分の足下と地続きに見えてくるという感覚は、本好き、映画好きなら、誰しも経験があるのではないだろうか。

２０２２年２月に始まった、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻。状況は悪化の一途を辿っている。ウクライナ・アイデンティティの基盤となっているキエフ大公国（９〜１３世紀）の崩壊以降、幾度となく繰り返されてきた諸外国による分割統治、ソヴィエト連邦へ併合を経て、１９９１年（日本では平成３年）になってようやく達成された、現代国民国家としての独立。それからわずか３０年後の今、また危機に瀕し、強国に蹂躙されているウクライナ。その歴史をこうして俯瞰するだけでも、その心中察するに余りあるというものだけれど、そこで思考停止してしまうのが嫌で、ウクライナ人によるウクライナの物語（フィクション）を探した。そしてたどり着いたのが、この一冊だ。

The Babylonian Captivity
be Lesya Ukrainka

ごくごく短いこの物語は、新バビロニア帝国によるユダヤ人の強制移住という紀元前６世紀の出来事（Babylonian captivity ＝ バビロン捕囚）をモチーフとした戯曲で、朗読劇向けに書かれたらしい。

主人公エレアザルは、ユダヤ人でありながら宮廷歌手としてバニロニアに仕えており、その報酬として、バビロニア都市内の一室と望むだけの数のユダヤ人奴隷を与えられたと言う。そのことを同胞たちから強く非難されたエレアザルは、ハープを手に取り、宮廷で披露した歌を彼らの前で歌う。それは幸福、自由、尊厳を奪われた男の悲劇の物語だった。歌詞を通じて彼の真意を知った民衆は、エレアザルと和解する。そして彼は、いかなる苦難に遭おうとユダヤの魂は死なずと高らかに宣言する。看守からテントへ戻るよう命じられ、ユダヤ人たちはちりじりになり、舞台は暗転する。最初は遠くで小さく響き、やがて大きなうねりへ変わりながら迫りくる音と、右往左往する松明の火が、ユダヤ人の反乱とバビロニアの混乱を文字通り暗示する。

古代の史実をモチーフとしながらも、本書で照らし出そうとしているのは、紛れもなくレーシャ・ウクラインカ自身が生きた時代であり、それは今のウクライナが置かれている状況と酷似している。当時のウクライナは、ロシア帝政下にあり、帝国による弾圧と同化政策は熾烈を極めていた。「ロシアに与せねば人にあらず」ぐらいの理不尽さだった。ロシア国内の抗議運動について「我々は、くずどもと裏切り者を愛国者と常に見分けることができ、誤って口の中に飛び込んだ小虫のように吐き出すことができる」と述べたプーチンの顔が思い浮かぶ。

レーシャ・ウクラインカことラリーサ・ベトリーヴナ・コーサチは、作家の母と進歩的思想を持った文官の父の間に生を受け、さらに親戚には１９世期ウクライナを代表する知識人たちがいた。幼い頃から結核を患っていたために、学校へ行くことはできなかったけれど、自宅で高度な教育を受け、また本人もよっぽどの向学心を有していたに違いなく、19歳の頃には『東洋民族の古代史』という教科書を妹のために著すほどの才人に成長した。いくつもの言語を使いこなし、古今東西の文芸や社会事情に精通した彼女は、詩人、作家、文芸評論家として活躍するのみならず、女性解放やウクライナ民族自決といった社会運動を牽引する活動家でもあった。現代ウクライナでも英雄の一人に数えられており、女性として唯一、その肖像が紙幣デザインに採用されている。

Lesya Ukrainka on a Ukrainian banknote via Wikimedia Commons

被抑圧の渦中で普遍的な物語を武器に団結と抵抗を試みる、The Babylonian Cpativity の主人公エレアザルの姿は、史劇という鏡に彼女自身が生きる「今」の逼迫した社会情勢を映し、ウクライナ人の精神的決起を促そうとしたレーシャ自身と重なる。そして僕は２０２２年のウクライナの「今」を、彼女の作品というフィルターを通して見つめ直し、より身近な問題についても考えている。

１９世紀の作品をできるだけ現代調に英訳したものとは言え、史劇、戯曲独特の文法には不慣れで、読む進むにはかなり苦労した。それでも出会えてよかったと思う。

• ★★★★★　出会えたことに心底感謝の生涯ベスト級

• ★★★★☆　見逃さなく良かった心に残る逸品

• ★★★☆☆　手放しには褒めれないが捨てがたい魅力あり

• ★★☆☆☆　読み直したら良いとこも見つかるかもしれない

• ★☆☆☆☆　なぜ書いた？

• ☆☆☆☆☆　後悔しかない

Eat English, Cook English