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嫉妬するよりされる人に

たまたま聞いていたお気に入りの芳麗さんのvoicyで蜷川実花さんが言った言葉らしい。

結構な地殻変動だった。なぜならわたしは常に嫉妬されないように生きてきたから。とりたてて美人でも優秀でもない。大企業に勤めたり、自分しかできないクリエイティブな仕事もしていない。それなのになぜか嫉妬されることが多い人生なのだ。

中学までは田舎の学校ということもあり、授業は部活の朝練で寝ていても、まわりの塾に行ってる友達より良かったと思う。塾や予備校には一度も通ったことはない。このころは成績に関する嫉妬だった。それでも優秀な子が集まる進学校では全然ふるわず中の下以下だったと思う。ただ嫉妬される立場を手放せたことは自由と喜びでもあった。

今思えば恋愛でも度々嫉妬されてきた。断っておくが全然もてる人生ではない。今の夫と付き合ったときから、一定数の女性に嫉妬され冷たくあたられてきた。ちなみに夫はそれなりに好青年だが誰もが振り返るような美男子でも話術に長けている男でもないのだ。(すいません。わたしは好きですよ。)ともかくなんでそんなに嫉妬されるのかわからないということがわたしを苦しめた。

自分が不釣り合いな不美人だからじゃないのかと常に自分に自信はなく、女性陣には必要以上に優しく接するように心がけた。すべての女性と友達になりたかったし、なれると信じていた。憧れることはあっても嫉妬することはあまりなかったので、する人の気持ちがただただ理解できなかった。

思い返すとよく悩み相談にあるような空気のように扱われたり、疎んじられるといった経験がわたしにはあまりない。かわかわれることはよくあったし、人をいじるのが苦手なのでいじられ役を引き受けることは多かった。気づくと輪の中心になることも多かった。もしかして、これが嫉妬される原因なのか。

大人になった今はあからさまに嫉妬されることはなくなった。3人子どもを産んだことは欲しい人には羨望にみえるかもしれない。あからさまな嫉妬をうけたことはないけど。

しかしながら今の自分にこの言葉は価値観を変えるくらい耳に響いた。嫉妬されるくらいがよいって思える、自分を信じる強さがないと言えない言葉だ。わたしもそれが欲しい。嫉妬されないように立ち回るより全然健やかで軽やかなのではないか。

嫉妬を恐れていたわたしは今一歩を踏み出そうとしている。必要以上にへりくだったり自分を卑下したりしない。ようになりたい。


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