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わたしへの手紙 ことばが紡ぐ自分との旅

日々とめどなく溢れる言葉たちを救いあげるように見失わないように書いていく。noteを書くことはだんだんわたしの一部になりつつある。よく作家や漫画家がインタビューで自分が面白いと思うものを書くと語っているが、その感覚がずっとわからなかった。彼らは天才だから自分まで楽しませることができるんだ、とずっと思ってた。

しかしnoteを書き続けていると、実はわたし自身が一番救われていることに気づく。面白いという感覚とは少し違う。それは昨日の3日前の、そして1か月前の自分に会いにいく旅のようだ。あの時あんなことを考えていたんだと知る。それがどれだけ今のわたしを慰めてくれるか。そしてこの文章が明日、一か月後、そして10年後の自分を励ましてくれるかもしれない。わたしはわたしのために書いている。それでも読んでくれ感想までくれる人たちがいることも同時にとてもうれしいのだ。

実は14歳から10年後の自分に手紙を書くという行為を続けている。30代はまだ書けていないので14歳と24歳だけなのだけど。手紙を読むと不思議でくすぐったいような気持ちになる。手書きのルーズリーフをひらくと当時流行っていた丸文字で涙みたいな句読点のまるを書くこの少女は本当にわたしなのだろうか。14歳のわたしは確かにそこにいる。未来に夢をたくさん膨らませて、ちょっと窮屈そうでまっすぐで。内容はもう覚えてないほど稚拙なものだ。24歳の手紙は当時の彼、今の夫の実家に滞在してるクリスマス休暇に書いた気がする。覚えているわけではなく、手紙を繰り返し読んだ記憶だ。まだ結婚もしていなくて2人の未来や自分の将来を不安に思っている、色々なことに揺れている若いわたし。

その2年後に結婚して仕事をして3人の子どもを産んでベルギーに移住までして大変だけど楽しくやっていること。これからどうなるか全く予想はつかないけど不安より楽しみが大きいこと。40代はさらに想像がつかない。音楽が好きなおっとりした長男、おしゃれやアイドルが好きなおしゃまな長女、いるだけでまわりを和ませてくれる甘えんぼの末っ子はいったいどんな10年後を迎えているのだろうか。30代のわたしからの手紙を読んでこんなこともあったなあと目を細めているのだろうか。それがベルギーなのかフランスや他のヨーロッパなのか、はたまた全く別の大陸なのか想像もつかない。


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