ふるさとは遠きにありて思ふもの
来週水曜についに3年ぶりに日本に一時帰国する。こんなに日本を離れたことは初めてだ。あっというまだったような。日本に恋焦がれていた時期はとっくにすぎてしまった。食べ物は今はある程度のものは手に入るし、日本人の友人もできた。本もなんとか貸し借りしながらまわっている。わたしが日本に置いてきてしまったものはなんなのだろう。
1年目は何もかもが新鮮で。フランダースのベルギー人はみな背が高く英語が上手でフレンドリーでルーヴェンは美しく清潔な街だった。2年目、皆が背が高くブロンでもなく、皆同等に蘭語意外に英語や仏語や流暢なわけでもないと知った。頼んだホットサンドイッチが冷たかったり、バスで後ろから来た人たちが当たり前に先に乗ったり、どこか雑でこだわりが少ないことにいらだった。名物といわれるチョコレートもスタンダードでそこまでひねりもなく徐々に食べなくなった。そして3年目、ルーヴェンで交わされる多言語な会話に再び魅了されている。カフェではチョコレートの代わりにシナモンロールやレモンケーキ、フルーツタルトなどが大好きになった。
息子の補修校でベルギーに住む様々なバックグラウンドをもつ日本人と知り合った。日本に10年以上帰国してなく、先日帰り「全然昔と変わってなかった」と言った息子の同級生のお母さん。また3歳からアジアアフリカで過ごしヨーロッパで高校大学を卒業しベルギーで働いている方は毎年日本に帰っているそうだが、おばあちゃんちに行くといった感覚らしい。自身も補習校育ち。日本にずっと帰国してない日本育ち、日本に住んだことがほとんどない一時帰国組、どちらが日本に近いのだろうか。わたし達が感じている目に見えないふるさととの繋がりは、いったいどこで明確になるのだろう。
よく行くスーパーでおすしを作っているおじさんには日本人?と話しかけられ仲良くなった。どうやらチベットで僧侶をしていたそうだがインドにビザもなく18年間、長く滞在しその後ベルギーに難民として住むことになったらしい。中国に住んでいる家族には許可がおりずずっと会えていないらしい。彼にとっての故郷はいったいどういったものなのだろう。許可がないと自由に家族に会うこともできない。けれど今自由なベルギーに住むことは幸せなんだろうと思いたい。そしてそんな境遇をもつ人がベルギーにはきっとたくさんいるのだ。知らないだけで。
母が好きだった室生犀星の詩を思い出す。実はこれはよくいうふるさとを懐かしむ詩とは違うらしい。
ふるさととの関係は簡単ではなく複雑だ。そして懐かしい郷愁を誰もが持っているのだろう。たとえ帰ることが叶わなかったとしても。
先日スーパーで今年の夏休みに中国の家族に会いに行くんだと話しかけられて、すごくうれしかった。いつか日本にも遊びに行きたい、とも。
ふるさとは街や国ではなく、そこに住むわたし達を待っている誰かなのだ。ふるさとを形づくっている家族や友人に早く会いたいと思う。
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