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ふつうの教員が一般社団法人を立ち上げる話 〜序章〜

こんにちは、高知県で会いに行けるセンセイをしているのざたんです。

ふつうの教員である私が、一般社団法人を立ち上げて「場」の運営を始めようとしています。

その経緯や進捗をお伝えしていこうかと。

はじめに

現役教員をしながら、会いに行けるセンセイという活動しています。詳しい詳細はプロフィールをご覧ください。

ことの発端はいつだったんでしょう。
いつのころからか「場」をつくる人となってきました。

振り返ると「場」が欲しい

「会いに行けるセンセイ」を始めた頃から、いろんな立場から教育の課題、悩みを出し合って、教員とか、教育研究者とか、教育に対する特権意識ある人以外の声を大切にして、誰でも教育について話せる「場」が必要だなと。

待ってても、何も起きないので、自分で作ってしまえばいいのかと感じながら。モヤモヤってしている日々を過ごしてたんですよね。ここ数年。

教員だとできないのか

教員だから、教員だけやっていなきゃいけない訳でもないですもんね。パラレルワーカーって存在がいるわけで、それが教員であってもいいじゃないかなと。

教員って、子どもたちにもっとも身近な大人から与えられる影響をもっているんだろうと感じてます。仕事を1つしか選べない呪いのようなものを子どもに植え付けているのは、教員の働き方が単一化されていることにあるんじゃないだろうかと。

「学ぶ環境をつくること」が、教員のお仕事だと思っているんです。対象はそれぞれあるんでしょうけど、子どもだけじゃなく大人も混ざって学ぶ環境が大事だと感じています。だから、学校では学校の学ぶ環境をつくればよくて、学校外にはそれとは違った学ぶ環境をつくればいい。

ボクは教員という立場に立っているので、学ぶことに対しては、専門的な部分を持ち合わせていますし、学びがどのような方向に動こうとしているのかの情報に多く触れることができる。学校の中と外とに場を構えて、学校の外でも並行的に何かの業を行う人であってもいいんじゃないのかなと。

「いない」ではなく「感じない」

ふと思うと、地方に移住して「学ぶ大人を見ない」んですよね。大人が学んでいないというわけではなく、大人が学んでいるのを見かけない・感じられない。大人って学んでいるんだーって子どもたちが感じることができると、ちょっと変わってくるんじゃないのかなと。

ひょっとしたら、ボク自身が学校に勤務しているからそうなってしまったのかもしれないですけど。企業に勤めてたいときに、仕事をしているではなく、異様な感じでインプットしている大人に出会うというか、感じるというか、「あぁ、これぐらい取り組んでるんだよな」って尊敬してしまうような、リスペクトしたくなるような大人に出会うって体験があったんですよね。業種を越えて、年齢層を越えて。

自分よりも年上でも、同年代でも、年下でも、チャレンジしている人が「いる」という空気の濃さを感じないんです。間違ってほしくないのは、「いない」ではなく「感じない」ってこと。

そんな日々学んで、成長しようともがいている大人が「いる」って感じることが機会として少ないと、移住した身としては感じているのです。

破壊の必要性

他人(特にカルチャーの異なる人)の行動様式・雰囲気・仕草などから、自分の身につけてきたものを破壊するアンラーン(unlearn)って、自分の成長のために必要なんですよね。同じやり方を続けていても上手くいかないときに、思い込みの壁を打ち壊して、突破していく。

馬車の時代に、馬車のカルチャーだけに浸って、早い馬を探し求めていても、自動車にはたどりつけない。車は馬が引くものという常識を壊して「別の動力」を別のカルチャーから持ち込むことで、突破していけたように。そして、置き換わって馬車が自動車に置き換わっていったように。

フィルムカメラの時代に、フィルムのカルチャーだけに浸って、感度のいいフィルムだけを求めていても、デジタルカメラにはたどりつけない。カメラにはフィルムが必要って常識を壊したからこそ、デジタルカメラにたどり着き、スマホに搭載され、画像を認識するスキャン機能まで備わったように。

なので、学校の時代に、学校で学ぶことだけを求めていても、次の学ぶ環境にはたどりつけないのではないだろうかと。それが、都市部にはある程度の濃度が学校外に自然と存在しているんだけども、地方に来ると濃度が低い。そんな思いを抱えていました。

人と機会は集まるもの

2020年頃から、コツコツと学校外で活動したり、発信したり、してきております。昨年ごろから、ご縁をいただくことが増えてきて、幅広い年代の方からお話をうかがう機会を得てきました。

2021年に、アントレプレナーシッププログラムのRyomafrogsが高知で始まりました。

実行委員長であるアルファドライブ高知の宇都宮さんから連絡をいただいて、実行委員としてお手伝いをすることに。高知で、学校外で生徒たちが活動できる環境が乏しくて、学校外から広めていければと感じていたので、ありがたい機会でした。他にも、アントレプレナーシッププログラムに関すること、ICT教育に関すること、学びの多様化について関すること、学ぶことについて相談されたり、伝える機会が自分のもとに集まりはじめてきました。

無いならつくればいい

しかし、実行委員をしながら、伝える機会の提供をしながら、感じたのは「場」の少なさ。集まる環境の少なさといえばいいでしょうか。集まって何かをしようとしても、集まる環境がそもそも無いんですよね。大人も子どもたちもサッと集まって、何かを計画できる「場」がない。

不登校の子どもたちが、フラッと来て学べる空間だったり、オンラインでの通信授業を学べる空間だったり、オンライン講座を受ける環境だったり、そういったことに取り組む人が集まる空間が無い。こうやって、学ぶ人が集まってて「いる」ってことが実感できる環境がそもそも無い。

会いに行けるセンセイの活動をして対話するときに、相手から出てくるキーワードが「場がない」でした。大学生も、高校生も、学校の枠を越えて、学ぶ人がただ集まる場が無い。何かを成し遂げようとする人が取り組んで、到達していく人を感じられる「場」があると、地方のくすぶっている若い人たちも活躍していけるんじゃないだろうかと。

ということを、ボンヤリ設計し始めたことから、歯車は回っていくのです。(続く

最後に

『学ぶこと』が自由であり多様であると認められる環境にしていくことが実現する世の中になるよう自分をその方向へ進めていくことはブレずに活動しつづけます。興味を持っていただいた方は、ぜひフォローを。そして活動をチラ見していただけると嬉しいです。




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