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コミュニティに溶け込む難しさ

日本への本帰国を考え始め、近頃婚約者と一緒に日本に住む外国人のビデオをよく見るようになった。
私の場合日本からイタリアという外国に住んでいるため彼らと状況は逆だが、彼らが日本に住んでいて感じることに共感することがある。

多くの情報発信者は、日本での疎外感について語っている。
アイデンティティの違いから日本社会に完全に溶け込めない感覚があったり、気軽に出かけられる友人ができなかったり、孤独感に苛まれる人も少なからずいるようである。

私もイタリアに住み始めて、当初はイタリアのことを理解してイタリアに馴染めていると思っていたが、こちらで年数を重ねるごとに、理解できても馴染めないことが多くなってきた。

最初の方は少し無理をしながら頑張って友人を作ろうと励んでいたが、それに疲れてきてしまい自然体でいることにしたら、前より連絡を取る友人は少なくなった。
数少ない連絡を取ってくれる友人はかけがえのない存在だ。
そのほとんどは日本人か、外国にバックグラウンドを持つ人である。
いわゆると私たちが咄嗟にイメージする「イタリア人」の友達はほぼいない。

最近4Dエコーで自分の子供の顔が確認できた。とても愛おしい。
父親がイタリア人で、母親が日本人ということになる。

父親側の家族に写真を見せると、顔は私に似ているという。
親のどちらかがアジア人だと、イタリア人には見えず、アジア人に見えると言われた。
素直な感想としてこのように言われたが、もし大勢の人がこのように思うのであれば、これから生まれてくるこの子はアイデンティティに迷うことがあるのだろうなと思った。

イタリアだけでなく、日本でも恐らく同じことが起きるだろう。
イタリアと逆で、日本だと顔の特徴からヨーロッパ人に見えることもあるかもしれない。
片方の親が外国にバックグラウンドを持つ友人は、その親と道を歩いているとじろじろ見られると言っていた。

イタリアで、イタリア人と日本人の親を持つ知り合いがいる。
その周りの人は、私によく彼は日本人らしいかと聞く。
イタリアで育ってきている人なので、本人はイタリア人としての自覚が強いように感じるが、周りのイタリア人は彼のことを日本人ともいう。
彼のようなバックグラウンドは、イタリアとも日本とも深く関わることができるメリットがあるが、反対に片方に入り込もうとしても入り込めないと感じることもあるのだろうかと考えてしまった。

日本もイタリアも、移民が増えてきてはいるが、自分たちの国民に対していわゆるステレオタイプが未だに根付いていると思う。
これがいい悪いではなくて、これまでの国の環境的にこうなっているのだろう。

両親がアジア系だが、イタリアで生まれ育った友人がいる。
生粋のイタリア人だが、その子と出かけると店などで英語で話しかけられることが多い。
私もアジア系だからそのようなことが起こると思うが、頻繁に外国人として対応をされているのかと考えると、自分だったら少しストレスに感じてしまうかもしれない。
その子は気にしていないようで、強い子だと思う。

様々な人種や宗教が長年共存している国では、相手の人種などを聞くことも失礼に当たることもあるらしい。
このような国で暮らした日本人がイタリアに来ると、親日家のイタリア人に日本人であることで褒められたりすると不思議らしい。
これはイタリアのコミュニティに入り込めていないことにもなると思うが、一方でとても親切にしてもらえることもあるので、悪いことだとも思わない。
一度役所に行った時の受付の方が親日家で、色々と私の心配をしてくれたことがあり、今でも印象に残っている。

あまり考えにまとまりがないが、私はイタリアのコミュニティに入り切れていなくてもいいと思っている。
現地の人のように振舞えなくてフラストレーションを抱えることもあるが、自分はこのコミュニティに入っていないと割り切ることで、ストレスを感じないこともある。

自分の子供はどうなっていくかはわからない。これから日本もイタリアも少しづつ様々なアイデンティティを受け入れていくようになっていくだろうが、自身が何人なのかで悩むこともあると思う。
自分を国という枠組みで固めず、地球人として自身を持って成長していってくれたらいいと願う。

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