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『平家物語』奈良炎上~どうにかできなかったのかなぁという思い

奈良炎上

『平家物語』巻五「奈良炎上」は、平清盛の命令で重衡しげひらが奈良(南都)を攻めたところ、民家に放った火が延焼して、興福寺も東大寺の大仏も焼け落ちてしまい、戦さとは無関係な、老僧、学問僧、児たち、女、こども、童たちにも大勢の死者がでた事件を、現場で目撃しているかのような臨場感あふれる筆致で描いています。

戦さに勝者はいない

とくに大仏を焼いた罪は『平家物語』で大きく取り上げられいて、清盛は、奈良焼亡の約二ヶ月後、その報いで高熱にうなされて”あつちしに”します。妻の二位尼は、清盛が死ぬ前に、地獄の閻魔庁から迎えが来て「南閻浮提なんえんぶだい金銅こんどう十六丈の盧遮那仏るしゃなぶつ(東大寺の大仏)を焼き滅ぼした罪によって無間むけん地獄に堕ちることが決まった」と告げる夢を見ました(巻六「入道死去」)。その後も、平家に味方した城助長が「南閻浮提金銅十六丈の盧遮那仏を焼き滅ぼした平家の味方をするとはけしからん」という声を聞いて急死したり(巻六「嗄声」)、源氏追討の祈祷に関わった神官や高僧が急死しています(巻六「横田河原合戦」)。

指揮官(大将軍)の重衡しげひらも、一の谷合戦で生け捕りにされた後、源頼朝に呼びつけられて鎌倉に下り(巻九「千手前」)、奈良に送られて木津で処刑されました。

『平家物語』の作者の眼

歴史物語は、”歴史”をどのように切り取って料理するのかが作者の腕の見せ所。同じ”歴史”を題材にしても、作者ごとに出来上がったものは違います。

『平家物語(覚一本)』を読んでいて、私がしばしば感じるのは、どうにかできなかったのかなぁという物語作者の思いです。

「奈良炎上」の冒頭、奈良興福寺の僧たちが以仁王の挙兵に協力しようとしたかどで、清盛が奈良に攻めてくるといううわさが流れます。僧たちはすぐにうわさに反応して蜂起。興福寺を氏寺とする摂政は「おまえたちに言い分があるのなら、なんどでもきちんと伝えるから」と言い、騒ぎを鎮めようと二度にわたって使者を奈良に派遣しますが、僧たちはもとどりを切って追い返します(髻を切ることは、人前でズボンを脱がせるほどのひどい仕打ち)。

清盛は「よいか、衆徒が乱暴をはたらいても、おまえたちは決して乱暴するな。武装するな。弓矢は持つな」と言って鎮圧軍を派遣します。武士は戦さのプロ集団、僧たちはアマチュア集団、だから清盛は手加減をしたのですが、僧たちは捕らえた兵たち60数人の頸を刎ねました。そこでついに清盛の堪忍袋の緒が切れて、官軍を派遣することなったわけです。

戦さは始めないのが一番、それ以外ない

「だから弱い奴は、強い奴の言うことを黙ってきいておけばいい」、そんなことが言いたいわけではありません。

何度も引き返すチャンスはあった、『平家物語』からは、そのように読み取れます。では、どうすればよかったのか。

結論はでないまま、現代のウクライナの戦争と重ね合わせて、ずっと考えています。

#わたしの本棚   『平家物語』新編日本古典文学全集 小学館

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奈良炎上の原文と現代語訳はこちらから閲覧とダウンロードが可能です。
映像と合わせてごらんください。(原文は映像にあわせて一部カットしています)

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