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絵で読む『源氏物語』これはどんな場面~源氏物語絵色紙帖 花宴(一)

源氏物語絵色紙帖 花宴(一部加工) 京都国立博物館蔵 ColBase

照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜おぼろづくよにしくものぞなき(月の光が明るすぎることもなく、暗すぎることもない、春の夜の朧月夜にまさるのものはない)

古今集に採られている、大江千里の和歌、意味を一言でいえば“朧月夜って最高♡”。「朧月夜に似るものぞなき」もほぼ同じ意味です。

月がぼんやりと霞んで見える春の夜に、「朧月夜に似るものぞなき」と有名な和歌の一節を口ずさみながら、弘徽殿の細殿を歩いてくる姫君、それを見つめる源氏の君。どきどきする場面です。

宮中の花宴

 旧暦の2月20日、内裏の南殿(紫宸殿)の左近の桜の前で花見の宴が催されました。帝をはじめ、東宮(第一皇子/母は弘徽殿女御)、中宮の藤壺の宮も参加します。自分ではなく、藤壺が中宮になった(立后した)ことに腹を立てていた弘徽殿女御も、見たい気持ちをがまんできずに参加しました。恒例の作文会や舞楽が行われ、源氏の君は見事な漢詩を披露し、また東宮に促されて、ほんの少し、さりげなく舞ってみせ、いつものように人々の称賛を独り占めにします。

後日の左大臣とのやりとりから、この日の花宴の演出をしたのが、源氏の君だったと明かされます。何でもできてしまうのだなあ。

弘徽殿の細殿

内裏図(説明追加) 出典 日本国語大辞典 JapanKnowledge

弘徽殿【こきでん】
平安内裏の後宮の殿舎の一つ。清涼殿の北、麗景殿と相対して、その西にあり、皇后、中宮、女御などの居所として使われた。母屋は中央を馬道(めどう)で南北二つに分け、東は渡廊により常寧殿へ、北は切馬道によって登華殿に通じていた。西庇は長さ九間、南北に細く通じているので細殿ともいわれた。(下略)

三の口【さんのくち】
建物の第三番目の戸口。弘徽殿の細殿のものは、北から三番目の戸口をさすといわれる。

出典 日本国語大辞典 JapanKnowledge

宮中で花宴が催された夜、酔っ払って好い気分になった源氏の君は、なんとかして藤壺の宮に近づくことができないだろうかと、飛香舎(藤壺)をうかがいますが、きっちりと戸締まりされていました。がっかりした源氏の君はさらに後宮を歩き回ります。

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弘徽殿の細殿にお立ち寄りになったところ、三の口が開いている。弘徽殿女御は、うへ御局みつぼね〈帝の寝所の近くにおかれた、弘徽殿専用の休息用の部屋〉にそのままお入りになっていたので、人少ななようすである。奥に通じる開き戸も開いていて、人の気配もない。『こんなふうにして世の中の間違いは起こるんだよね』と思って、そっと中に入って様子をうががう。人はみな寝ているにちがいない。なんと、とても若くてかわいらしく、並の身分ではなさそうな人の声が「朧月夜に似るものぞなき」 と朗詠しながら、こちらに来るではないか。源氏の君はとてもうれしくて、袖をとらえた。女は、恐ろしいと思うようで、「いやだ、うす気味悪い。いったい誰」と言うけれど、源氏の君は「何も恐ろしくありませんよ」と言って、

深き夜のあはれを知るも 入る月のおぼろけならぬちぎりとぞ思ふ(真夜中のすばらしい風情がわかるのは、沈んでいく月のようにぼんやりとしたものではなく、明らかに、前世からの定めであなたと私が結ばれるのだと思います)

と詠み、そっと抱き下ろして、戸を締めた。思いがけない出来事に驚きあきれている様子は、とても好ましくかわいらしい感じである。ふるえながら、「ここに、人」と言うけれど、「わたしは、誰からも許されているのだから、だれかを呼び寄せたとしても、どうということはない。ただ騒がないで」とおっしゃる声から、この君〈源氏の君〉だったのだ、と分かって、すこしだけ安心した。

弘徽殿の細殿に立ち寄りたまへれば、三の口開きたり。女御は、上の御局にやがて参上りたまひにければ、人少ななるけはひなり。奥の枢戸くるるども開きて、人音もせず。『かやうにて世の中の過ちはするぞかし』と思ひて、やをら上りてのぞきたまふ。人はみな寝たるべし。いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、「朧月夜に似るものぞなき」 とうちじて、こなたさまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。女、恐ろしと思へる気色にて、「あなむくつけ。こはそ」とのたまへど、源氏「何かうとましき」とて、

深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ

とて、やをら抱き降ろして、戸は押し立てつ。あさましきにあきれたるさま、いとなつかしうをかしげなり。わななくわななく、「ここに、人」とのたまへど、「まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらん。ただ忍びてこそ」とのたまふ声に、この君なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。

皆人にゆるされたれば?

いや、いや、現代でなくとも、許されませんよ。あー、どきどきした。

紫式部は、とくに『源氏物語』の前半の巻々、これでもかこれでもかというように、若き源氏の君の才能、美貌、教養ーー彼のすべてを、人々がほめ讃えたと書いています。

▲紅葉賀巻で青海波を舞う源氏の君と頭中将。容貌も才能も人に抜きん出た頭の中将でさえ、源氏の君と並べば「花の傍らの深山木」(だれも見向きもしない雑木)とあまりな言われようである。
源氏物語図屏風(若菜上・紅葉賀)右雙 梅戸在親筆 19世紀 東京国立博物館蔵 ColBase

〈源氏の君は、スーパーマン、並の人をはるかに超えた存在なの。いろいろな女性とお付き合いするけど、それは源氏の君だから許されるの。だから、並の人は真似をしないで

源氏の君を’スーパーマン‘として描く意図は、こんなところにあるのではなかろうか。考えすぎかしら。

▼源氏の君が姫君を探し当てる場面はこちら

詞 大覚寺空性(随庵)
釈文

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