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演劇としての旅

旅をしていると、自分が色々な物語の助演男優になる機会が多々ある。

人は自分を主人公として、死ぬまで脚本のない舞台を演じ続けるようなものだというのは一つの持論だが、人生という物語を語る時にピックアップされるのは、どうしても非日常的な出来事になりがちである。

旅をする時点で、自分を主人公とした物語の一話が始まっている一方、一緒に旅をしている仲間にとって、こちらはあくまで彼(彼女)を主人公とした物語の登場人物の一人である。
また、旅先で出会った人にとっては、その人の日常に飛び込んできた新しい登場人物となったり、あるいは互いに旅の最中で「非日常同士」の出会いもある。

そこでどんなシナリオやセリフを演じ進めていくべきか、もちろん正解はないのだが、少なくとも私は物語や舞台は面白いものにしたい。
ここで言う「面白い」は「funny」よりは「interesting」の意味合いが強く、自分も楽しめて、かつ周りや聞き手の興味・思考・感情を刺激するようなものだ。

21歳になる頃、私は上海にいた。
半年もない語学留学だったが、その中で中国国内を旅行で数箇所巡っていた。
北京、西安、蘇州、杭州、南京など、訪れる土地ごとに必ず夜はステージのあるバーに仲間と飲みに行っていた。
誰かの演奏をつまみに飲むためではなく、自分が演者になるためだ。

そんな習慣のきっかけとなる出来事があった。

北京から西安へ寝台列車で移動中、友人と「Bar車両」に入ってみることにした。
ロックグラスでウイスキーでも転がす渋い大人たちが集まっているのかと、少しワクワクしながらその車両に着いた。
予想は色々と外れ、そこには10人以上のヨーロッパあたりからの観光客が、顔を真っ赤にしてどんちゃん騒ぎしていた。カウンター内には中国人バーテンダーが無表情で一人立っている。
まだ素面の私たちは若干圧倒されたが、せっかくなのでそこで酒を飲むことにした。

近くにいた金髪で筋肉質なイケメンが英語で声を掛けてきた。

「中国人かい?俺はイギリスから来たんだけど、みんないろんな国から来てるから、それぞれの国歌を歌ってもらってるんだよ!君たちも歌ってくれよ!」

欧米人のこういうノリは嫌いではない。むしろ物語を面白くする予感しかしない、この上なく有難いオファーだった。

しかし、ここで一つの懸念が頭をよぎる。
当時は2005年、大規模な反日デモが一旦収束に向かって間もない頃だった。前年に中国の重慶で開催されたサッカーAFCアジアカップ2004では、君が代演奏時や試合中に激しいブーイングがあったり、日本人サポーターがゴミや食べ物を投げつけられるような場面もあった。
そんな反日感情が露わになった中国の寝台列車で、私は日本人だと宣言して君が代を歌うことを求められているのだ。
カウンター越しに中国人バーテンダーが無表情でこちらを見ている。若くして死をも覚悟しなければならないと思うと、もっと善行や徳を積んでおけば良かったと後悔した。
どうにか察してくれという僅かな希みに賭けて、英国イケメンにこっそり耳打ちをする。

「…じつは俺、日本人なんだ。」

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待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!