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ある優等生の話

「行き詰まるまで頑張ったら、突然ゼロにしたくなる。」

カフェオレに砂糖を入れながら、
ため息交じりに彼女は言った。


幼馴染の私は、
彼女の家がとても厳しかったことを知っていた。

小中学校時代は基本的に学区内でしか遊んではダメで、たった数キロ離れた隣の学区内で遊んでいても、車で強制的に連れ戻されたことがあるほど。規則をきちんと守り、学業成績もトップクラスの優等生だった彼女は、オール5の通知表でないと親から認めてもらえないと泣いていた。そして、親に言われた県外の難関高校を受験したものの失敗し、滑り止めで受かっていた県内の私立高校に進学した。今となれば、高校受験失敗なんて大した問題ではないけれど、15歳の私たちにとってはかなり痛烈なニュースで、合格発表日に泣き腫らした目で学校に挨拶に来ていた彼女の姿が痛々しかった。

中学卒業後も、彼女は優等生で有名だった。

高校が別だったため、彼女の高校時代については詳らかでない。ただ、滑り止めで入った高校でもトップクラスの成績を維持していて、部活にも入らずに放課後は地元の図書館で勉強していると噂で聞いた。人生で一度きりの高校3年間なのに、それを勉強に全振りするのはもったいない、と思ったのを覚えている。高校を卒業して彼女も私も上京し、お互い一人暮らしをしていることを知って、また会うようになった。特待生枠で大学に合格したから、大学でも成績優秀を維持しなければ、という話の後に彼女はこう続けた。


「私、大学まで本当に優等生をやってきたと思うの。でもね、それってたまたま勉強ができただけで、本当に嫌味じゃなくて、勉強ができたから親も先生も褒めてくれてたんだと思う。でも学校や社会で認められる基準がもし勉強じゃなかったとしたら、私は何やってたんだろう。今、何ができるのかもわからないし。テストで高得点を取って通知表で5をもらったって、私に何が残るの?って今は思ってて。最近は、私には何もないって思っちゃう。」


その後の大学時代で成績だけは維持したものの、
リクルートスーツが似合わないという理由で
彼女は就活を一切しなかった。

そして4年後、
優秀な成績で大学を卒業したあとは、
今までの優等生ゲームから降りた。

有名大学卒業という、
どこに出しても一目置かれるであろう履歴書。
でもその職歴欄には、
アルバイトの経歴が5つも6つも並ぶ。
正社員の雇用期間はひとつもない。
「もうこの履歴書は使い物にならないね」
そう言った彼女の笑顔はとても軽やかで、
それなのに、とても脆かった。


大学卒業して5年も経ったころ、
カフェで彼女は冒頭の話をした。

「大学卒業してから確かにすごく楽にはなった。大事にしていたものを全部捨てるのは抵抗があったけど、同じ過程を繰り返しても違う結果が出てこないのも事実でしょ。だから就活はしなかったし、正社員になるのも私にとっては意味がなかった。たくさんアルバイトもしていろんな職場を経験したし、趣味とか、ずっとやりたかったこともある程度やり尽くしたんだよね。でもね、行き詰まるまで頑張ったら、突然ゼロにしたくなる。何度もそれを繰り返してきたし、そしたらまた、これから何をしたらいいかわからない。」



私は彼女の話を聞きながら考えたことがあった。

学校や社会で求められる「こうあるべき」のストライクゾーンは意外と狭くて、無意識のうちにそこから外れると、簡単に不安を感じたりしてしまう。特に彼女のような「THE優等生」は、誰かに認められて初めて存在価値を見出すような経験が多いから、誰にも認められなかったとき、おそらくアイデンティティ・クライシスのような状態に陥って、何もかも辞めてしまうのだと思う。彼女の経歴を聞くと、短期間で辞める経験が本当に多かったから。


もし、その無意識の優等生ループから彼女が解放されるとしたら、

それは、
誰に見られていなくても自分が好きだからやる

みたいなことができたときなんだろうと思う。


Inspired by
となりの雑談 EP.75「やるしかないっ」






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