どこにもいない

書きたいときに書いてます。投稿もテーマも気まぐれです。

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わたしとバレエ -1-

これから書いていく内容は、 ほとんど人には話してこなかったものであり、 すべてを公にするのが良いとも思っていない。 けれど、 ほんとうに「バレエ」というものは重い。 プロのバレリーナなんてなれなかったのに、 いつまでも私を惹きつけ、縛り付け、執着させる。 あまりにも消化できないでいるから、 これは完全に自分のために書きます。 文章にすることで成仏する過去もあると願って。 バレエとの出会い 私が初めてバレエを観劇したのは、おそらく4歳ごろだった。 図書室が併設された

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    • わたしとバレエ -2-

      トウシューズとクラス替え 小学4年生頃になると、トウシューズ(=ポワントとも呼ばれる)を履いてよいか、先生が判断する時期が来る。私の通っていたバレエ教室では、あるポジションを一定時間キープできるか、という試験がひとつの基準だった。 その試験は、先生が受けていいと判断した場合のみ受けられるもので、誰でもいつでも受けられる訳ではなかった。 真面目にレッスンを受けていたつもりだったが、私はかなり長い間その試験を受けさせてもらえなかった。 同級生がどんどん試験に合格してトウシ

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      • ある優等生の話

        「行き詰まるまで頑張ったら、突然ゼロにしたくなる。」 カフェオレに砂糖を入れながら、 ため息交じりに彼女は言った。 幼馴染の私は、 彼女の家がとても厳しかったことを知っていた。 小中学校時代は基本的に学区内でしか遊んではダメで、たった数キロ離れた隣の学区内で遊んでいても、車で強制的に連れ戻されたことがあるほど。規則をきちんと守り、学業成績もトップクラスの優等生だった彼女は、オール5の通知表でないと親から認めてもらえないと泣いていた。そして、親に言われた県外の難関高校を受

        • 夫の扶養から抜け出したい

          「夫の扶養から抜け出したい」 ふと、目の前の彼女がそうつぶやいた。 ストレートで大学を卒業した彼女は、フルタイムで仕事をしていた。25で結婚して夫の勤務先へ引っ越すことになり、仕事は辞めざるを得なくなって夫の扶養に入った。引越し先は縁もゆかりも無い土地だったけれど、事務のパートを始めて現地でも知人ができたようだった。ただ、夫は仕事が忙しくて全然家に帰ってこないし、知らない土地で一人は大変だとよく愚痴っていた。 戻ってきたよ、という連絡が来たとき、彼女は27になっていた。今

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        わたしとバレエ -1-

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        マガジン

        • 私のバレエ史
          2本

        記事

          「婦」

          昨日の夜から部屋が散らかっていて ご飯も炊かないと今日食べる分がない 起きた瞬間からやることリストがフル稼働 休日は何もしたくないとベッドで寝る夫 子供泣いてるよ?と私につぶやく …あなたに生産責任はないの? ご飯を作るの誰? 洗い物するの誰? 部屋片付けるの誰? 洗濯干すの誰? 何も考えずに後ろから乳を揉みしだく夫 「洗濯干してくれたらいいよ」と言ったら 「それならやっぱりいい」 …その欲望は洗濯干し1回分の価値もないわけ? この手の話題はそろそろ飽きられてきて、

          ともだちやめよう

          「明日から友達やめるから!」 こんな残酷で幼稚なことを口走れたのは いつまでだっただろうか。 友達やめると言っても、 次の日また学校で会ってしまうのに。 どちらからともなく謝ったり、謝らなかったり。 それでも、同じ毎日の繰り返しの中で、 自然と元通りの「友達」に戻ったりできる。 今はもう戻らないそんな時代が、 うらやましい。 小さい頃から友達がとても少なくて。 その少ない友達と大切に付き合ってきた。 保育園からの友達がひとり。 中学校からの友達がひとり。 高校でできた友達

          ともだちやめよう