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「婦」

昨日の夜から部屋が散らかっていて
ご飯も炊かないと今日食べる分がない
起きた瞬間からやることリストがフル稼働
休日は何もしたくないとベッドで寝る夫
子供泣いてるよ?と私につぶやく

…あなたに生産責任はないの?

ご飯を作るの誰? 洗い物するの誰?
部屋片付けるの誰? 洗濯干すの誰?
何も考えずに後ろから乳を揉みしだく夫
「洗濯干してくれたらいいよ」と言ったら
「それならやっぱりいい」

…その欲望は洗濯干し1回分の価値もないわけ?

この手の話題はそろそろ飽きられてきて、
随所で語り尽くされているのは知っている。
だから答えを探せば何通りも出てくるし、
答えなんて人それぞれなのもわかっている。


ただ、
自分の身になって初めて、
「婦」の担う重荷に気づく。

毎日毎日たまる洗濯物に洗い物。
掃除機を毎日かけてもなぜか埃はたまる。
24時間稼働する家政「婦」でも対価はゼロ。

視界の中の天井が、体に合わせて上下に揺れる。
自分の中を出入りする異物を不快に感じながら、
夫専属の売春「婦」だとすら思う。

差別的で前時代的な言葉だけれど
あえて「婦」と書きたい。
実態はそんなに変わっていない気がするから。


”男は外で働いて稼いでくるもの”
”女は家事も子育ても旦那の世話もやる”
”外注なんてお金持ちのやることでしょ”
引くほど時代錯誤な文字列だけど、
家庭レベルでは未だに存在すると感じる。

PTAも町内会も中身は「婦」人会だったりする。
色んな人や場所に根回しして、頭を下げて、
でも、決してそれを表立って見せてはいけない。
「女性のキャリア」なんて言葉が通じない地域が
全然、まだある。

家に帰った途端に一切何もしなくなる男たちと
毎日毎日誰かのために動き続ける「婦」たち。
「男はそういうものだから仕方ない」
「自分のやることだって割り切ってる」
そんな言葉で片付けてしまっていいの?


家にいても疲れる、外に出ても疲れる。
そんな絶望的な時期に、こんな話を聞いた。

”家のことでいっぱいいっぱいの時は
どこかに美味しいごはんを食べに行って
エステでもマッサージでも受けに行って
とにかく「誰かに何かしてもらう時間」を作って”


お金がかかるとか、
自分にはもったいないとか、
そう思っていても積極的に取り入れる。


「自分のため」だけの予定を組む。


またすぐに同じ毎日の繰り返しだけど、
たった数時間でも家のことを忘れられる。
そんな時間を持っても、いいんだ。


自分のためだけに外食に行って、

自分のためだけのエステを受けて、

自分のためだけにお金を払ってみた。

誰かが作ってくれたご飯が美味しくて、
何も考えずに横になれる時間が幸せだった。


満たされた気分で帰る道の途中で、
なぜか少しだけ、
強くなれた気がした。


先を走っている「婦」の先輩がたくさんいる。
そんなに強くなれないし、なりたくもないけど、
「婦」である以上は、
きっと強くならざるを得ないんだな、と思った。



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