【わたしとバレエ 1】バレエとの出会い〜レッスンが嫌になって…
はじめに
これから書いていく内容は、
ほとんど人には話してこなかったものであり、
すべてを公にするのが良いとも思っていない。
けれど、
ほんとうに「バレエ」というものは重い。
プロのバレリーナなんてなれなかったのに、
いつまでも私を惹きつけ、縛り付け、執着させる。
あまりにも消化できないでいるから、
これは完全に自分のために書きます。
文章にすることで成仏する過去もあると願って。
バレエとの出会い
私が初めてバレエを観劇したのは、おそらく4歳ごろだった。
図書室が併設された地方の小さな文化会館で、近くのバレエ教室が開催する発表会を見に行った。
演目は『白鳥の湖』。白いチュチュを着てつま先立ちで踊る姿を見た私は、隣にいた父親に「やりたい!」と言ったらしい。
その発表会を主催するバレエ教室に通い始めたのは、5歳になる直前。
やりたいと言ってすぐに始められたのは、母が小さい頃、バレエを習っている友達が羨ましかったから、という理由もあったらしい。
まだバレエの型などできない幼児体型の私だったが、音楽に合わせて体を動かし、飛んだり跳ねたりしていた。
この頃の写真を見ると、バレエというよりもお遊戯という感じで、発表会でレオタードがもらえるのがとても嬉しかったのを覚えている。
(もちろんもらえる訳ではなく、親が買い取っていたのだが…)
レッスンの変化
小学生になると、レッスンが明らかに変わっていった。
未就学児のときは音楽に合わせてスキップするだけだったものが、バーにつかまって基礎の動きを繰り返したり、すごく長い間スプリッツ(前後180°の開脚)をしたり、痛くて長くてつまらないレッスンが増えた。
スカート付のレオタードから、脚のラインがくっきり見えるハイレグのレオタードになったのもこの頃で、かわいくなくて嫌だった。
バレエは基礎の動きを無意識レベルでできるようにならないと、その次の華やかな動きにはつながってこない。だからこの頃のレッスンは基礎固めとして本当に大切な時期だった。
しかし私はそれに気づくはずもなく、ただただレッスンが嫌で仕方なかった。
どうすればこの退屈な時間から逃げ出せるかばかり考えていた私は、ある日とんでもない行動を起こすことになる。
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