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「新しい日常」にモヤモヤ



今日2020.12.、1.「新しい日常」が流行語大賞にならなかった事に心からホッとしている。

本当に、私の中で生まれた瞬間があった。そしてすぐにiPhoneに書き留めた。私はどうも詩人らしいので、書き留める努力、習慣がある。

込めた思いは、日常が素晴らしいものだったと感じる事ができたから、今度、日常を迎えた時、新しい気持ちで、輝ける日常を感じれるはず。

詩は、メモ機能の中で、追記、推敲し、タイトルをつける。一気に書く事もあるが。
このできた「コロナon春」は今、載せないと意味が無いと思った。内容は、完全にその2週間くらいしか通用しないものだった。
桜が終わる頃、公園へ行こう。
という時期思い起こせるでしょうか。
普段、私は詩をかいてもは、すぐには載せない。発表する時は、ダムの決壊大放流大会。死んでから評価されるのが夢。

その「新しい日常」のワードが浮かんで書き留めて、詩を掲載する間に、ある活字誌の「今の気持ち」募集があり、短文だが、このワードを誇らしく使って投稿した。

そして、詩を完成し、2つのSNSとタイムラインに載せた。私の友達は、新しいものに手を出すのは、勇気がないので、タイムラインにいいねくれたのは、妹と姪と、昔からの友人が「まだ書いてんだ」って感じだろう。

その1週間も経たない後、その活字誌の表紙の目次に「新しい日常」とあり、開けば大きい活字なった見出しになっていた。そして、その募集では、そのワードは採用されてなかった。
活字誌に載った、次の日は小池都知事が口にし、信頼してるニュースキャスターが使う、CM等等々。
ものすごいモヤモヤだった。確かに私の中で、思いを込めてできたワードだった。
極平凡なワードだったのかもしれないが、モヤモヤはするわけで。
しばらくは、言わずにモヤモヤしていたが、1ヶ月が過ぎた頃、母にモヤモヤを話した。もちろんわかっていた返しだった。「流行語大賞って有名人がとるものだから。」
流行語大賞で、言葉が先に決まって。受賞者が「えっ?私が受けるんですか?」という場面はよく見る。
それでも、授賞式に登壇する妄想はしたわけで・・・。
その代わりに出てくれたのが、「新しい生活様式」。
私の込めた思いとは、違うし。よかった。
New Nomal等々出てくれてよかった。

11月中に、新語、流行語大賞ノミネート30が、出た時は、胸を締め付けカチンコチンで、見た。「新しい生活様式」が入っていて、本当に心から、胸を撫で下ろした。
人生最大のモヤモヤとして抱えて続けていくとこだった。

言葉を生み出す事している人で、こんな思いものしてる人が、たくさんいるのかもしれない。全くわからないが。

ある意味、言葉を発するものとしての、責務みたいものは、少なからず背負っているのであろう。というこのエッセイもそうなんですが。

流行は、押し出そうしても出せず、追っかけようとしても、追っ付かず。放ってしまえば星屑として消えゆくのかな?格好つけても、わからない。

妄想の中で、
流行語大賞に登壇し、2月に買ってほとんど着れてない薄茶のライダースジャケットを着て、インタビュアから、浴びせかけられる質問に、バッサバッサと、格好よく言い放った台詞は、ここには書くまい。

2020.12.1

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?