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ホロライブに人生を救われた大学生の話

 初めまして!大学3年生のかまたけと申します。初投稿の内容は何にしようかと悩みましたが、『ホロライブ』を知ったことにちなんだ私の大学生活の話を書こうかなと。リア垢だとこういうの書きずらいんですよね(笑)ポエムかよって。痛いよって。それを承知で書いていきます。皆様の「好きなもの」を知ったきっかけやそれで人生が変わったエピソードと照らし合わせて読んでいただければ幸いです。



なんとなくを生きた1・2年生

将来の夢はない

 私が大学に入学する目的は「将来の夢を見つけること」だった。高校3年間はいわゆる進学校のような所に通っており、8時間授業の部活禁止生活が続いた。そのため「なんとなく勉強」して大学に入学し、何でも学べそうな社会学部を選んで勉学に励んだ。高校3年間は勉強の毎日でしたから、大学の4年間は「遊んでやろう」と決めていた。それでも、結局勉強の習慣は抜けず、成績トップを目指して努力していた。

 しかし、私の1・2年生はそれだけだったと感じている。ただ「なんとなく勉強していた」だけの1・2年生。知識が身についたわけでもなく、何かに活用したわけでもない。それって中々「つまらないんじゃないか」と感じていました。高校3年間と同じことしてるなって。当時は勉強して、友達と遊んで、アルバイトをして。ただ、周りには充実した大学生活のように見せたくて。外ずらは「楽しんでいるように見える」けど、心の内は「ずっと虚無感に苛まれている」ような。とにかくそんな定まらない「なんとなく」を生きていました。

好きなものを追いかけたい

 ただ、高校3年間は勉強の毎日だったので、好きなものを追いかけられる日々にはしたいと思っていました。その想いから研究テーマをアニメ関連という少し特殊なものに焦点を当てました。好きなものを勉強に取り入れれば将来の夢は見つかるかなと。今までと違うことしているぞと。そんな考えの下でレポートを書いたり、発表したりと研究に励みました。1人旅にもよく出かけました。旅行先で出会った景色や人は一期一会のもの。そうした新鮮な体験をしていれば将来の夢は見つけるかと思い、旅行も続けていました。

香川県 小豆島 土庄町:エンジェルロード写真


とにかく他の誰も持っていない「私だけの体験や考え」が欲しくて必死になっていたことを覚えています。この時期特有の悩みと言えばよいのでしょうか。自分には何もない。将来の夢もなく、なんとなくで生きてしまっている。そんな焦燥感の中を駆け抜けていったのが大学1・2年生だったと思います。

周りと比べること・人生の絶望へ

 「なにもない自分への焦燥感」が体中を巡っていた1・2年生。実は2年生の頃には学部トップの成績を維持しており、それだけは誇れる自分でした。しかし、トップの自分よりも部活で成果を残し、最初から将来の夢を持って懸命に生きている友人の方が輝いて見える。2年生の後期頃から特に周りと比べることが多くなったように思います。将来の夢もなく「なんとなく生きている自分」への焦燥感。そして誇れるものがないと嘆く自己肯定感の低さ。その感情は少しずつ私を沼へと引きずっていきます。

 そんなタイミングで人生のターニングポイントとも呼べる事件が起きます。2年付き合った彼女との別れと母親の病でした。先に書いておくと母親の病は完治しています。しかし、当初は入院沙汰で家事ができるのは私だけという状態でした。「母親はいつ帰ってくるのか」という不安な気持ちと落ち着かない父親への配慮でメンタルギリギリでした。そして崩壊したきっかけが頼れる彼女との別れでした。

 彼女との関係も繋げず、家族は最悪の状態、そして自分自身への劣等感・焦燥感から来る絶望の感情。生きたいと死にたいを繰り返す毎日の中で私はある配信と出会います。

はじめまして『ホロライブ』

心の底から笑えた時間

 大学から帰るとテレビにYouTubeの配信が映っていました。弟が配信を視聴していたようで。画面にはVTuberと呼ばれる人たちが映っており、可愛らしい見た目をしていました。目に留まって見ていると「アイドルとは思えない言動(良い意味で)」が連発しており、私はその見た目とのギャップに心の底から笑ってしまった。アイドルだけど野太い声を出していたり、漫才のようなやり取りをしていたり、配信にのせて良いのか分からない発言があったり。この人たちはいったい何なんだろうと。

その配信が【#ゆるホロチームカート】いろんなホロメンが車で走りあってるの見たくない~?【常闇トワ視点/ホロライブ】だった。配信時間は2時間を超えていたが、全て見てしまった。当時、Netflixを使ってアニメを見ることも億劫だった私が唯一笑えたコンテンツ。それが『ホロライブ』だったのだ。私はこの時、「ホロライブをまだ見ていられるなら、それで笑える時間が増えるなら、まだ生きていたい」と思った。私はホロライブというVTuberコンテンツに人生を救われたのだ。

その後は推しの白銀ノエル(以下団長)さんの配信を毎日追うようになり、グッズを購入し、楽曲も聴くようになった。私の人生は少しずつ良い風に動いていった。通学中にホロライブを視聴し、楽曲を聴いていると「死んでしまいたい」と思わなくなった。団長の「生きててえらい」という言葉にも救われ、私は最後の力を振り絞ってまずは学年トップの座を守ることを決めた。結果的にその目標は達成したが、そこが重要なわけではない。将来の夢がまだ見つかっていない。その夢が見つかる瞬間に3月出会うことになる。

家に飾っているグッズの一部写真

将来の夢、見つかったよ

 2024年3月16日 17日に開催された『hololive SUPER EXPO 2024 & hololive 5th fes. Capture the Moment』に参加することになった。私が参加したのはStage2と呼ばれるものでときのそらさん・大空スバルさん・兎田ぺこらさんらが出演するステージだった。


 VTuberの現地ライブへの参加は初めてだった。ファンの皆さんはコスプレをしたり、グッズを交換し合ったり、ファンコミュニティで写真を撮影したりでとにかくお祭りのような空気感があった。その様子を見ているだけでも楽しかったが、中でも感動したのが現地ライブだった。そしてそのライブへの参加をきっかけに「将来の夢」が見つかった。

 ライブのどこに感動したのか。ポイントはたくさんあるが、1番は年齢も性別も国籍も関係なく、全員がステージに立つVTuberに向かってペンライトを振っている様子だった。ライブ会場にいる人たちは普段なら顔を合わせることも話すこともないかもしれない。出会わなかったかもしれない。しかし、『ホロライブ』を通じて人が持つ肩書に関係なく、全員が同じことに盛り上がり、感動し、涙している。その光景に私は感動したのだ。

 その経験をきっかけに「私もエンタメ業界に就職してそのコンテンツに触れていなければ出会えなかった瞬間を人々に届けよう」と思った。そしてそれが私にとっての「将来の夢」になった。その空間を作るには演者がいて、運営がいて、クリエイターがいて….と様々な人たちが関わっている。そんな人たち全員が輝ける場所を作りたいと思った。そして輝く人を見たファンもその姿に元気と勇気をもらい「明日への活力」にしていくサイクルを作りたいと思った。『ホロライブ』を通じて私は将来の夢を見つけたのだ。

あなたの「好き」を大切にして欲しい

「好き」を大切にしたから見つけられたもの

 結論として言いたいのは皆さんの「好きなもの」を大切にして欲しいということです。それが将来に繋がっていても、繋がっていなくても。それがあなたの人生を豊かなものにしていくと思うから。後日譚ですが、『ホロライブ』を好きになってから、交友関係が広がり、絵師さんや作詞・作曲家さんのインタビュー記事をよく拝見するようになりました。それによって深められる知見があったり、笑ったり、感動したりする瞬間が増えたと思います。それはきっと私にとっての「好き」を大切にできたからだと思っています。

 なにより別になんとなくを生きていたって良かったんですよね。そんな自分を肯定してあげられるかどうかも大事だったと思います。人生のどん底に落ちても「これさえあれば」と思えるコンテンツがあると少しずつ生活が豊かになっていくのかもしれません。私もそんなコンテンツを作れる人間になります。最後までお読みいただきありがとうございました!





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