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【映画感想】青春アミーゴのジャケットパロディを描いたオタクは観る義務があるとハスりたい:前編 - 『メタモルフォーゼの縁側』


前置き

「セクシー田中さん」の原作者の芦原妃名子先生がお亡くなりになる痛ましい出来事が起きました。芦原先生のご冥福をお祈りいたします。
なぜこのような前置きをした理由はこの感想には日本テレビに所属している社員、プロデューサーに注目したものであるからです。

この映画の感想を書くことは先生がお亡くなりになる前に構想しておりました。
ことの騒動についてはドラマ本編も観たことなく原作も読んだことはない自分が突っ込んだ意見を言う資格はありません。しかし、早急に第三者による原因や構造を調査していくことを求めています。
そして、責任の所在者が明らかになったとしても第三者が責めることはやってはならないものだと思っています。

また、個人的にはプラットフォームまるごと拒絶することはこれまで真摯にコンテンツ作りをしている社員・スタッフごと無視することになり、それもまたクリエイターを委縮させることになると感じています。

視聴者の立場としてできることは真摯に作品を作っていくクリエイター・社員・スタッフが誰かをちゃんと覚え、どのような作品を作っているかを知っていくことです。
そのようなスタッフが活躍、評価しやすい雰囲気にしていくことで実写・オリジナル問わず素晴らしい作品が生み出されやすい環境になり、このような悲劇につながらないようになると私は考えています。

この前文をもって映画「メタモルフォーゼの縁側」の感想を始めさせいただきます。



なぜこの感想を書くかの説明と河野P知名度低い問題

映画「メタモルフォーゼの縁側」は名作だと思いますが、私の求めているような感想が見つからない。これは自分で書くしかない。
ほっこりだとか、互いの相互理解だとか芦田愛菜氏のオタオタしい演技とかコミティアとかは他の人に任せて、この映画を作ったプロデューサー・河野英裕氏(以下、河野P)に注目した感想を書きたい。他人から見ればひねくれている、オードリーのオールナイトニッポンでよく使われる「ハスった」ものになりそうなものを。
ハスるって言葉を使った理由は河野Pの最新作が若林正恭と山里亮太に着目した「だが、情熱がある」だからである。

河野英裕プロデューサーについてと知名度の低さとリセット問題

まずは河野英裕プロデューサーについて紹介したい。やっとWikipediaにページが作られたのでまずは読んでもらえれば幸いです。

作品ラインナップを見て、「観たことがある」と思った人がいるのかもしれない。しかし、作品を長く追いかけてきた私は河野P作品が製作発表された時は低く評価され、放送時にそれを覆す現象を何度も観測している。

「だが情熱がある」の情報解禁時には旧ジャニーズ事務所という時点で反射的に拒絶する層を見ていたし、劇伴がT字路sと発表された時には「メタモルフォーゼの縁側と同じだ」といったものはちらほら見るぐらい。「観たことがある」の人が次に発表した作品を捕捉できていないのだ。
野ブタの主題歌「青春アミーゴ」のジャケットパロディをしたオタクたちはメタモルフォーゼの縁側が同じプロデューサーで、自分たちを題材にされているのに気づいていないのだ。とても寂しい。

その原因は日本テレビの場合チーフ等が付かない、純粋な「プロデューサー」の最初に表記されている人がそのドラマの作風の一因、作品自体の責任を担っている。それ以降の人は補助ポジションということが知られていないからだと考えている。

プロデューサー欄の最初の記名が重要であることの検証

例えば河野P以外の人を提示するなら、大平太氏を挙げたい。

併せて脚本家の遊川和彦氏のWikipediaの連続ドラマの欄を確認してほしい。

日テレの遊川脚本ドラマで幸福の王子以降すべてプロデューサー欄の最初に「大平太」があることが確認できるであろうか。
そのことから大平太氏の価値観、美意識は遊川和彦氏に近いものであると推察できる。実際に名前を検索してみるとインタビュー等が出てくるのでドラマを観る際の判断基準にしてほしい。長年タッグを組んできたという記事から価値観等が類似していることが推察できるのではなかろうか。その他にもドラマのプロデューサーインタビューの類は最初の人がインタビューされていることが多い。

「偶然じゃないのか」という声が聞こえてきそうなので反証もしておきたい。
河野Pの作品の一つである「泣くな、はらちゃん」にはチーフプロデューサーに大平太氏が任命されているのだ。

チーフプロデューサー
大平太

プロデューサー
河野英裕、小泉守、萩原真紀

https://www.ntv.co.jp/harachan/

チーフプロデューサーに記名しているにもにもかかわらず、泣くな、はらちゃん(以下、はらちゃん)には遊川和彦氏のような要素はなく、脚本の岡田惠和氏(以下、岡田さん)のティストであり、かつ大平太氏の名前で検索を行ってもはらちゃんに言及したものは見つけることがありませんでした。

そのことからチーフプロデューサーの作品自体の影響はごく薄く、放送枠自体、プロデューサー欄に最初に名前が載った人に作品を任せることへの責任を持つことが業務だと私は推測しています。

河野Pの作品は様々な脚本家・監督と組んでいるのですが、続けて観ていくと脚本家による表現の違いはあれど一貫的な河野Pの価値観、趣味、性癖(!)が見えてきて、私はそれに魅了されています。私はその価値観をこの感想文で共有したいのです。

知ったきっかけ

私が河野Pを知ったきっかけはちょっと複雑で最初に衝撃を受けたのは「銭ゲバ」、名前を知り追い続けようと決めたのが「妖怪人間ベム」です。(HuluってOGP統一されているんですね・・)

銭ゲバは過激なシナリオに隠された繊細さ、苦悩、白黒はっきりつけないグレーさをスポンサーを一社のみにされてもそれらを貫いたのが当時かっこよさと衝撃を受けました。いまだにマカロンを見つけるとお金持ちのお菓子だ・・と思ってしまいます。マカロンケーキの場面がマジで好き・・

原作を後に読みましたが、改変はすれど原作のメッセージ性を崩さずさらに進歩させたことに感銘を受けました。
原作者のジョージ秋山先生はドラマにとあるものを提供していたので改変には許容的だと思っています。

銭ゲバは当時の私に爪痕を残しましたが、プロデューサーが誰なのかには思い至らず時は進む。

時は進んで2011年。「妖怪人間ベム」(以下、ベム)と出会います。

当時の私は実写に対してかなり冷めた視線を送っており、これに対しても大多数同様「ケッ!」っと吐き捨てていきそうになりました。その理由は2006年版の妖怪人間ベムの視聴者だったから。

吐き捨てそうになるのを留めたのはドラマの舞台が一つの町だったこと。
「2006年版と一緒じゃん!!」と見始めたら、やられた。
人でないものの視点から人間を愚かしくも愛おしく描くのが好きで、狩山俊輔監督の光が印象的な引きのカメラワークに魅了された。
最初拒否感が強かったベムさん(こう言いたい)も受け入れることもできました。
このドラマで実写化に対しての拒否感がかなり和らいで、「まず俳優以外のメンツもチェック」「原作へのリスペクトがある改変ならあり」「改変度が大きくても原作へのリスペクトがあり別世界線と捉えられるならOK」というスタンスになりました。許容の閾値がグンと広がった。

実は青年ベム主人公ものはドラマ以前にもあるんですね。これがあったからGOサインが出たのかもしれない。
一つでまとめた三つ編みのベラもいるぞ!

ドラマはじめ映像作品にハマって、大体の人は次に演じている役者の沼にハマるのが王道コースだと思う。
実際河野P作品にハマり俳優にハマるパターンの感想文を多く見てきた。
でも、私は違った。ニチアサでプロデューサーで作品を評価する文化に触れていたため

「このプロデューサーについていけば
いい実写を食べ続けられるんじゃないか?」

という発想に至った。マジで人生が変わった。
ここから沼に落ちるのが速かった。
「すいか」をはじめ、かわいいファッションや生活感のある美術、
「野ブタ。をプロデュース」(以下、野ブタ)をはじめフレッシュな視線が衰えていない学生もの。
「泣くな、はらちゃん」といった人外もの。
どのような属性をフラットに捉え、正しくあろうとする倫理観であろうとするスタンス。
テレビの業界人イメージらしからぬ少女漫画はじめ多ジャンル漫画・文学読みのロック趣味。

新ドラマの告知が始まるたびにプロデューサー欄の最初をチェックするのが習慣になり、河野P作品以外好き嫌いがあったドラマはまずプロデューサー欄を確認するようになりました。それでTBSの新井順子プロデューサー(MIU404の人)を知り、チェックリストに入っています。

一年に及ぶメタモルフォーゼの縁側の映画待機

河野Pがメタモルフォーゼの縁側の実写化を手掛けるのは実写化の告知がされる前に「実写化するんだろうなぁ、してほしいなぁ」と予感していました。予感が的中しまった!

こんなツイートをちょこちょこしており、予感が確信に変わったのがこのツイート。

2019年5月12日、COMITIA128。この日のコミティアはメタモルフォーゼの縁側原作(35話等)で示唆されている、佐山うらら(以下、うらら)と市野井雪(以下、雪さん)がサークル参加したコミティアの日付と一緒だったのだ。

COMITIA128
2019/5/12(日) 東京ビッグサイト青海展示棟A・Bホール 参加:4869サークル/個人

https://www.comitia.co.jp/history/index.html

映画本編で出てきたパンフ、ティアズマガジンの表紙はくまみね先生で知る人ぞ知る人はざわついていたいたのですが、COMITIA128のものであることに気づいていたのは見つからなかった記憶があります。映画のこの事実も勘案すると少なくとも原作の時間設定はそれに近いと推察できるかと。

「これはやるぞ!!やった!!」と確信して時は流れて2021年1月に原作最終巻が発売と同時に映画化が発表されてテンションがブチあがりました。しかし、2021年11月主演キャスト・スタッフが発表されるまでほぼ一年音沙汰がない地獄に落とされました。

自分の確信はもしかしてはずれではないであろうかの不安と、ほぼ毎日検索をして新報を待つ日はつらいものでしたが、キャストとスタッフ陣の情報が解禁され確信が必中したのは報われてとても嬉しかった!!

そのあとのキャスト発表で反射的に拒絶する層や、実写化への信頼が低い層、BLがないがしろにされるかもしれないといった意見を見つけたけど、私はそうだとは思わなかった。これまで河野Pを追っていた中で少女漫画に含まれるBL要素も読むタイプの少女漫画読みだと知っていたから。

例として吉田秋生先生の「河よりも長くゆるやかに」の後半は少年少女が子供と大人の境目で生きていく静かな情景の雰囲気が強いのですが、前半は猥雑でコミカルでBLで同人ノリな雰囲気もあったので、最初読んだときは驚きました。
それ故にこんな漫画を読んでいるのだから大丈夫だろうという特等席っぽい安全位置で待機しながら封切りを待っていました。

映画の感想のnoteをつもりだったのに本編の話をしていないというものになってしまったので、一旦記事を切りたいと思います。
これ以降はメタモルフォーゼの縁側映画本編の感想メインです。

中編

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