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【映画感想】青春アミーゴのジャケットパロディを描いたオタクは観る義務があるとハスりたい:中編 - 『メタモルフォーゼの縁側』

前編


序文

映画館で鑑賞時の記録

住んでいる土地の関係上ホームの映画館ではなく、郊外のミニシアター系も上映する映画館で鑑賞することになった。
知名度がリセットされることがなかったら、もっと大きいハコで上映されることになったのであろうかと思いつつ。
ムビチケは二種類全部購入しました。
劇中作画担当のじゃのめ先生のクリアポスターはサイズが大きく、塗りの参考になりそうなものでした。

周りの観客はおそらくなにわ男子ファンなんだろうなと勘繰りをしつつ着席。
長い期間待って、期待していた映画を観ることになっているのはここだと自分だけなんだろうなぁと照明が落ちるのを待つ。

やっと本編の感想に入ります。内容に沿っての感想になりますが、すでに出ているような感想はガンガン飛ばしていくため、内容が飛んでいるような感触になるかもしれません。ご了承ください。

映画本編感想

始まり~タイトル表示まで

雪さんが本屋に向かうシーンで「三月のライオン」の棚の仕切り飾りとしてチラっと映りこんでいたのにハッ!とさせられた。
その理由は作者の羽海野チカ先生が河野Pの過去作「Q10」の関連した企画で脚本木皿泉と対談を行っていたのを知っていたから。

羽海野先生は同人出身でかつBL描いていたってことを知っているので、この映りこみはなんだか因果的だなぁと思った。

段ボールの中の書籍・同人誌が「ガチ」であることが感覚でわかる。
察している人もいるかもしれないが、私はBLを嗜む趣味を持っている。商業・二次創作を問わないタイプで、私事で余談だが最近ではゲ謎にフィーバーしている。
このチョイスは原作者である鶴谷香央理先生(以下、鶴谷先生)のものだ。こういったことに原作者が関わっているというのがとても配慮されていると思うし、河野Pが商業BLに触れているのは私にとってリアルメタモルフォーゼの縁側になっているのだ。

序盤

おどおどしているけれど、慣れている幼馴染の前ではくだけた態度になる演技が親しさを感じる。
なにわ男子・高橋恭平氏が演じる河村紡(以下、紡)は男子高校生らしさがよく、いいを演技されていたと思います。

書道教室。鬱屈。「好きねぇ、画数の多い文字が」の後に光石研氏をお出しされる。
河野Pの光石研氏キャスティング連発、偏愛を知っている身からすれば「好きねぇ、光石研が」と返したくなる。
本当に光石研氏が好きでね・・持っている「麒麟」の習字も出演している「麒麟の子」が主題歌の「ブラック校則」を彷彿とさせます。ラップさせるぐらい大好き。

はじめての喫茶店でのおしゃべり。
コメダ使えなかったのはライセンス料足りなかったのかなぁ…って上映館の少なさから感じてしまいます。
ロケハンの結果いいスポット、お店を発見したって考えもあるんですけど、もしリセットされずに知名度が高くなっていたらライセンス料も支払えたし、上映館も多くなっていたのかな・・って思ってしまう心もあり。
出入口であろう階段がいい画面を作っているんですよね。一種のトンネルになっている。走りの演出が目につきやすいけれども、トンネルも統一感のある演出としてプランを立てている感が。

連絡先を交換後の繰り返されるお辞儀の演技がなんだか好き。
「ばーちゃんじゃない」は原作ではびっくりした拍子にぽろっとでたような感じで、映画では強めの家族ではないという否定、今ははっきりとしていないが友人である認識がにじみ出ている。この演技が好き。

ウキウキとシュリンクをはがす演技が雪さんのウキウキさが伝わる。
ハイテクな道具でシビアな計算をする落差がヒヤッとさせつつ、「まだそっちには行けないわ」でフワッとするのがいい。
奥付はチェックしてしまう。

餃子を一緒に作る風景。すいかでもみたなぁ。

雪さん宅へのおすすめ布教へ

おすすめを問われて、ベッド一面に広げる商業BL。ここも鶴谷先生チョイスが一面。
「ひくなぁ〜」は私もそういう気持ちになった。自虐も含めた自分の好きなものが追っていいる人に見られているという照れ。

雪さん宅に向かううららと雪さんの料理シーンが同時進行のシーン。
劇伴とリンゴが刷っている音が音ハメしていて気持ちがいい。編集の技前。
環境音もハトの鳴き声で自然が身近にある住宅地ってイメージがわく演出。
「あ、カレーの匂い」はすいかオマージュでしょうか。

布教シーン、芦田愛菜氏のオタクオタクした演技とセリフに注目している方が多かったが、私はそれに加えて「これ、脚本の岡田さんも少なくともセリフに出ている作品を読んでいるんじゃ??」とアイデア成功からの正気度チェックイベントだった。

上映前に予習として「バケモノとケダモノ」を読んでいた。
なぜそのようなことができたのかというと、「BLアワード2022」の特典小冊子に鶴谷先生の映画に関するインタビューが掲載、鶴谷先生が選んだ作品として「バケモノとケダモノ」、「五十嵐くんと中原くん」「ミッドナイト・コンフリクト」「てだれもんら」が提示されていたからだ。

自分はまだ五十嵐くんと中原くんは読み途中で、ミッドナイト・コンフリクトとてだれもんらは未読。てだれもんらは休載中なので手を出しにくい・・

Hシーン展開は単行本3巻と遅いものの(だが、映画製作発表が2020年1月、3巻発行が2020年3月なので連載ベースなら確実に読んでる)
超体格差異種姦シーンを河野Pと岡田さんが読んでいると思うと血の気が引いた。自分の性癖の一つだから。
うららやめなさい!異種姦シチュだぞ!!初心者に!!とつっこみたくなった。

だからこそ、雪さんの「了解」がその前のシーンで緩んだ心の隙間にぎゅっとつまった。
私はこれは河野Pと岡田さんからの「了解」でもあるんだと思えたから。
自分専用の特大の承認シーンととらえることもでき、長年追ってきたからそう受け取れたという感慨とこう思うのは私だけなんだろうなぁと寂しさもありつつ。

じゃのめ先生の同人誌版の「夜の空に光るもの」がバーンと出てきたのがオオーッってなった。
じゃのめ先生の作品は映画部シリーズは現在進行形で追っていて、他の作品も読み進めています。初めてBLCDなるものも買いました。
この同人誌の中身、↓で読めます。

コメダ先生の本棚と机

軽やかな走りとともに時間経過。

習字シーンは後々の展開を考えるとのちの展開に生きると気づいた。原作では雪さんの書道の要素は後半になるにつれて薄くなっていると感じているので後々の展開はいい補強になっていると思います。

コメダ先生のターン。作画担当のじゃのめ先生は完成品の原稿だけでなく、下書き風(?)データ、制作環境の監修も手がけているということを考えるとお疲れ様ですと言いたくなる。
ワコムとセルシスも協力がありがたい…オタク御用達の企業をチョイスできる河野Pよ。

コメダ先生がはめてるワコムのタブ用手袋。自分も持っています。
封切り前1日前に注文していた液タブが届いた後に欲しくなって購入して愛用している。

コメダ先生の自作が置いてある本棚の2段目がオールKADOKAWA系のあすかコミックスで、原作の影響を思わせてすこし笑った。ビビッドなねこのぬいぐるみとだが、情熱があるの若林の部屋に置いていあるのと同じブロックカレンダー。

(00:06あたり左に注目)

これ、自分しか発見していなくて寂しかった・・

うらら宅にお邪魔する紡。うららの部屋の電気をスムーズにつけるのが通いなれているという演出になってて好き。
うららがお菓子を持っていくシーン、ポテチを盛ってあげていて丁寧だなーって初見の印象だったのですが、投げるような饅頭の置き方に気づいてちょっと笑った。
雪さん卓前ではハトの鳴き声で、団地で聴こえるのは救急車の音ってのが場面の環境の違いを演出している。

うららとえりちゃん

紡との本屋への来訪で橋本英莉(以下、えりちゃん)がBLに触れる。
その時に愉快なオタク達のハッピーライフを描いた「裸一貫!つづ井さん」シリーズが映りこんでいたのは後の展開を思うと皮肉入っているのかと思わせる。
序盤の雪さんが君のことだけ見ていたいに触れるシーンでもチラっと映っていたのでそのためだけに配置換えとかはしていないだろうけど。

そして「ずるい」と思ううらら。
ここのシーンは原作ファンにとっては解釈違いだと思われるようなシーンだと思う。原作では友達の友達(彼女)の距離が微妙な関係でうららとえりちゃんは勝手に落ち込んでいるってシーンだから。しかもえりちゃんにBLに触れさせている。

私はこの改変を原作3話にしか出ていないオタク集団のクラスメイト達の要素から発展させたものだと考えてる。
上記のクラスメイト達は雑誌らしきものに対して「も もえ死」「ツライ・・ありがとうございます・・」「こっちは見ましたかおのおの方」との反応で単純な萌えの感情の発露って印象を受ける。
それに対して雪さんは「咲良くんって気が弱すぎるのよ~」と心情を読み解くような意図があるセリフ。
性格が悪い解釈になるが対比のような印象を受けてしまい、鶴谷先生にとって単純な萌えの発露<深い解釈という構図があるのだろうかと考えてしまった。
原作を読むたびに「あいつらはどこに行ったんだ」という気持ちが頭をもたげる。
パンフレットやインタビューによるとうららは昔の鶴谷先生をモデルにしており、BLをオープンにするのは恥ずかしいという気持ちがあったのだという。うららは時間軸こそ現代だけれども、昔の鶴谷先生、BLは隠さなければの気持ちの亡霊の一面もあるのだ。

――物語では女子高生と老婦人がBL(ボーイズ・ラブ)を通じて友情を育んでいきます。そもそも2人が共通して好きなものとして「BL」を選んだのには何か理由があるんでしょうか。

 以前から、BLが好きな人を描いてみたかったんです。というのも、私自身もBLが好きなのですが、若いときはうららさんと同じように、それをオープンにするのはちょっと恥ずかしい気持ちがありました。もちろん、BLは自分の欲望が反映されるようなジャンルでもあると思うので、好きなことを隠していてもいいし、人に言いたくないと思うのも自然なことです。でも、だからといって、作品自体は恥ずかしいものではないですよね。大人になってからは「そんなに恥ずかしいと思わなくてもいいのでは」と考えるようになりました。そうした気持ちや考え方の変化を描けるのではないかと思ったんです。

https://book.asahi.com/article/14643607

あのレジのシーンはかつての亡霊と現代のオタク少女の対峙であり、後の「がんばって」のはうららの克服でもあり亡霊の成仏でもある。

河野Pの作風の一つがこのような負の要素面に手をつっこんで刺してくること。鑑賞する前に3話の要素に突っ込んでくる予測をドンピシャに当ててしまった。

BL初心者のえりちゃんのチョイスがBLのスタンダードと謳われる中村春菊。
スタンダードといえど最後のメディア展開が2014年の「世界一初恋」で、
おなじく初心者の雪さんがジャケ買いで買ったのは現役連載中のもので審美眼の対比があるように思える。河野P由来そうな意地悪さがちょっとだけ。
そこが好きなんですが。
初心者のチョイスで今っぽさを出すなら「海辺のエトランゼ」「同級生」あたりがあるだろうし、KADOKAWA系縛りでも選択肢があるはずなのにな・・

ほんわかだけでない、「ずるい」やうららのえりちゃんへの対応にも示されているように人の負の側面を描いた上での人間の素晴らしさを描くプロデューサーなのだ。

嘘とコミケ

再びコメダ先生とちまちゃんパート
原作の該当する場面、実写化したらどうなるんだと観る前にヒヤヒヤしてました。なぜなのかは各自で調べてください。

同じヒヤヒヤシーンといえば雪さんの庭にある豚の素焼きの鉢植え
こっちも各自で調べてください。「うららと雪」もそうなんだろう?

模写の作品も鶴谷先生らしい。わざと下手に描くのは大変だろうなぁ。

初心者にコミケは行ったことはない自分でもハードだということがわかる。
それを物語るSNSアイコンは今だとAIに取って代わられるかもしれないと当時ではない現代の鑑賞をもって変なことを考えてしまった。

また今度があるじゃないと言われても、実際には厳しいことを認識しているからこそ、嘘がつらい。
劇中漫画の内容とリンクさせることでそれが強調されている。
原作劇中漫画にはあったNTR未遂はカットすることでソフトにしていますね。

長くなったので一旦切らせていただきます。
次の記事で終わりになるはず・・

後編

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