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強さと優しさの狭間で揺れる

「どうなってるんですか。信じられない」

とある女性がアルバイト中に社員のスタッフの元へ怒っている。

接客のアルバイトをしていると、1年に数回は理不尽な怒りにさらされる。

僕は危機管理に長けている自分で自負しているので、あまりこういう場面に遭遇することがない。

誰より人の顔色を気にしているので、不機嫌そうな人には話しかけないし、近寄らない。

今回も抜群の回避能力でクレーム対応というサンドバックになるしかない拷問を回避する。

しかし、自分が回避したということは、誰かがとばっちりを受けるわけで、その人には大変申し訳ないと思うのだが、今回は社員の女性スタッフがとばっちりを受けた。

クレームの内容は言わないが、かなり理不尽なものであったし、何より態度がすこぶる悪かった。

自分の過失を棚に上げ、全面的にこちらを断罪し、こちらの言うことなど耳もかさずに自分の言いたいことだけ主張する。

結果として、何事もなく、終わったことはめでたしめでたしなのだが、理不尽な怒りにさらされた側としてはやはり、モヤモヤする。

自分も実際に被害を受けているわけではないのだが、自分の同僚が一方的にやられている姿は気持ちのいいものではない。

ここで考える。

この場合、必要なのは

理不尽に立ち向かえる強さだろうか?

それとも

全て受け入れられる優しさだろうか?

僕が危機管理に長けていると言っても、日常で多少イラっとすることはある。

それは相手の態度の悪さだったり、マウントをとってきたり、本人が悪いと思っていないような行為だ。

相手は悪いと思っていないから、こっちとしては危機を感じない。

だが、蓋を開けてみれば、虐げられるみたいなことはよくある。

僕が過剰に反応してしまうという点も大きいのだけれど。

まあ、とにかくこういうイラっとした時、感情的にはやり返したくなる。

それは皮肉であったり、否定であったり。

だけど、たいていは僕はやり返さない。

その場の空気が悪くなるし、何よりその人と戦おうという覚悟がないから。

でも、こう我慢すると、モヤモヤが止まらない。

言い返していたら、どうだろうと頭の中でシュミレートする。

もう何度、頭の中で両親や友人、態度の悪いお客さんと殴り合いの喧嘩を繰り返したか分からない。

けれど、どんなに頭の中で相手を言い負かしても、モヤモヤは消えない。

理性的には、この言い返さないという選択は間違っていないと僕は思っている。

たとえ、相手を言い負かしたとしても、何も得るものがないから

その場限りの付き合いの人ならまだしも、何かと関係値を築いている人なら、上手く言い負かしても、相手と自分との関係にひびが入り、自分が言い負かしてただ気持ちいいという以上に失うものが大きいはずだ。

それは理解している。

けれど、感情的にそれが納得できない。

感情的には理不尽に立ち向かえる強さを欲している一方で、

理性的にはすべてを受け入れられる優しさを欲している。

この矛盾の中で生きている。

感情と理性、どちらを大切にすればいいのだろうか。

理性が正しいのは、分かるが、感情の生き物である我々人間は感情を無視することはできない。

これも永遠に答えがでないのだろう。

ただ、僕は強さも優しさも欲しいと願ってしまう。

欲張りだろうか??

おわりに

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

今回、怒りというワードから派生してこういう話を展開してみました。

ある事情で2週間くらい暇になりそうなので、その事情のことも含めて投稿したいと思っています。

感情と理性どっちが大事かと思うか、皆さんの意見があったら聞かせてください。

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