気付けば逃げている僕へ
気付けば逃げている僕へ
朝起きて、今日やるべきことを6個書き、僕の1日は始まる。
毎日していることは、英語学習と来年の就職に向けての勉強。
これは、今年の5月、就職活動が終わり、何かしなければと自分で計画を立てて、決めた日課だった。
目標は
TOEIC800点
就職先での研修1位
これに向けて、必死で毎日、継続している。
はずだった、、、、、
最近、どうにも集中ができない。
理由は分かっている。
目標を見失っているからだ。
英語はTOEICがコロナウイルスの影響でなかなか受けられない状況だし、研修の方も向かうべき道に迷っている。
だから、勉強中に他のことを考え、いつの間にか時間が過ぎているし、正直、自分でもこんな勉強の仕方では何も意味がないなと自分で思っている。
それでも僕は続けてしまう。
これまでの人生において、意味がないと中途半端に切り捨てて、成果をあげられていなかったという事実があるからだ。
それと同時に頭によぎるのは、努力の方向が間違っていてはいつまでも成果は出ないという事実。
決めたことをやり続けることの重要さ
誤った選択を見極め、やめることの重要さ
この2つの重要さで僕はいま、揺れている。
その葛藤を抱えたまま、僕は惰性で続けてしまっている。
普通の人なら、もういいや。とやめてしまうところだが、僕は続ける。
自分が決めたことを自分で裏切ることに罪悪感を感じるから。
決めたら、とことんやる!!
これは僕の強さであると同時に柔軟性の欠如という弱みになっていると思う。
こんな葛藤を抱えたときにTwitterでビジネスインフルエンサーのTestosteroneさんのツイートを見た。
内容は努力中毒というお話
これは努力を続けるのは、立派なことだけど、何の根拠もなく「努力すればなんとかなる」ではだめ。努力には中毒性がある。努力している自分に酔って、努力が手段から目的に変わってしまう。
結果の出ない努力を貫いている自分に酔うな。
徹底的に結果にこだわっていけ!!
まさに自分に言われているような言葉だった。
僕の努力は手段から目的に変わっていた。
毎日やるということにこだわってやっていた。
だから、結果を出すのにもっといい方法がちらついても、そこから目をそらし、逃げていた。
考えれば、僕は努力を目的に色々やっていたように思える。
自分を制限して、何かに追われるように生きれば、虚無感という嫌な感情から逃げられると思って、努力を初めてし始めた。
目標はその付加価値にすぎなかった。
これもたぶん逃げだ。
本当は苦しさから逃げたいんじゃなくて、楽しさを、幸せを追い求めたいはずなのに。
僕はこれまで色んな所でたぶん逃げている。
自分を正当化して、納得させ、目の前の苦しさから逃げ、その苦しさの先の楽しさに気づいていないふりをしていた。
この習慣はそう簡単には直らないだろう。
僕は気づけば、逃げてしまうだろう。
だから、僕は定期的に逃げていないか見守らないといけない。
結局、最終的に楽しく、幸せになるのは、今が苦しい方だ。
今やっているところで逃げていることがないのか、目を光らせ、修正する。
それを継続していこう。
それが僕の強みだから。
目標を正す
スティーブ・ジョブズの名言で
もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にしたいだろうか
とある。
僕が毎日やっていることは1つもそれに当てはまらないだろう。
とは言っても、僕は今日が最後の日だとしても、特別やりたいことがあるわけではない。
だから、僕は名言を置き換える。
残り10年しか生きられなかったとしたら、僕は今日をどう生きるだろうか。
10年後、死ぬとして、僕は10年後どういう風になっていたいか考えた。
答えは自分自身が自分を認められる人になりたいと思う。
その自信を得るために明確な結果が欲しい。
僕が英語をやっていたのも、仕事ができるようになりたいのもこのためだ。
だから、僕がやっていることは誤っていないと思う。
ただ、やり方が間違っている。
英語は話せるようになりたいだけでTOEICはどうでもいいからTOEICの勉強をする意味がない
仕事は研修資料を読み込むだけが仕事じゃない。僕の中のいろんな経験がその支えになるはず
僕は視野が狭くなっていた。
だから、分かりやすく、明確に修正を入れる。
TOEICの勉強をやめる。そして、英会話を始める。
研修の勉強時間を減らす。そして、今まで経験しなかったことに挑戦する。
もしかしたら、この選択も間違っているのかもしれない。逃げているのかもしれない。
けれど、少しでも疑心を感じたら、この記事に自分で戻ってきて、自分自身の目標に向かうよう修正していきたい。
努力を目的しない
それだけは心にとめて、挑戦はつづく。
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