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三美神

このところ、世界がちょっとだけ
違って見えることに気付く。

私に起こったネガティブな出来事は
これまでは、ただの汚点だった。
忘れたいもの、なかったことにしたいもの、
でも取り消すことは絶対に不可能なもの。
脳裏にうかんだら最後、
心が真っ黒な雲に覆われるもの。

今、それが違ってきたのだ。
ネガティブな出来事が想起されたとき、
なんとも言えないいとおしさとともに
かなしみと美しさが入り混じった
不思議な何かが
湧き上がってくるのだ。

この湧き上がる何ものかは、
成功や楽しいこと、嬉しいことだけでは
決して形成されようのないもの。


ところで、
これはLa Graceという曲で、
訳せば「三美神」である。
ギリシャ神話などに登場する
美と優美の女神のことと思われる。

曲の前半は明るく穏やかな曲調。
清澄な、晴れ渡った空。

そこにいるのは例えば、
楽しく憩う、幸せな家族か。
死など想像しないような若者たちが
永遠の愛を誓いあっている図か。

しかし、曲の後半は
急に暗転する。
突然襲ってきた黒雲に世界は覆われ、
しあわせだった月日は否定され、
心臓が絞られるような切なさが訪れる。
何かが胸に迫り、たまらない心持ちになる。

このとき、私は
この曲の真髄を知る思いになる。
ここにこそ、
言葉にできない美が煌めいている。

芸術とは、
闇があってこそ価値を持つのかもしれない。
その価値とは、
もちろんValueではなくWorthである。
闇の中から何かが光る。
聖書に「闇は光に勝たなかった」
とあるではないか。

自然の中に、そうした美を見つけることがある。
ふとした日常に。
例えば、朝焼けは
時に夕焼けよりも荒々しく、
いどみかかるような色をしていることがある。
例えば焦燥して眠れぬ一晩を過ごし、
夜が開けて仕方なく起き上がって空を見た時、
そんな姿を空が見せてくれていたのを
見たことがあるような気がしている。

ただの美しさだけではない
自然の激しさを見る時、
本当の美を感じることはないだろうか。

人が謙遜という美徳を身につける時、
そこには必ずネガティブな出来事が
存在するのではないか。
楽しい、嬉しいだけしか経験しない人間に
謙遜を身につける機会はあるだろうか。


さて、その後曲は
また明るさを取り戻し、
再び優美な空気が流れ、
人々をは喜びを取り戻す。

「やまない雨はない」というが
実際に私が雨に打たれていた間は
この雨は決してやまないと
思っていた。
止まぬ雨に打たれることが
せめてもの罪滅ぼしだと思っていた。
あるいは、苦しみ抜いた末に命を絶った
父に少しでも近づく道があるなら
それは自分が苦しむことだと
思っていた。

しかし、どうやら長い年月の末に
止むことがあるらしい。


曲の最後は、
一瞬マイナーコードが表れる。
これが、何かの終わりをつげるようだ。
私の一生の終わりか。

実はそのまま暗転するのではなく、
いきなり調子が変わり、
これまでの美しき情景から
場面がぱっと変わる。
それまでの曲調からは、
だれもこれを予想できない。
これをある方は
「ひげのおじさんが出てきて、
 今までのは全部ジョークでした、
と言っているみたい」
とおっしゃっていた。

人生って、実は冗談なのかな。

気が遠くなるような永遠の視点でみたら
私の喜びも悼みも
ヒマつぶしのようなものなのだろうか。

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