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【エッセイ】「罪悪感」を持つのが重要なワケ

先日、私がペットボトルを道に落として、
すれ違った人に取ってもらった。

「ありがとうございます」とお礼を言うと、
そこに落ちていた「ビニールの切れ端」も貰った。

よくグミの袋を切ったりすると出る、
直径10cmほどの長方形のモノ。

このビニールの切れ端は、
私が落としたものではない。

私は帰宅する途中であり、
落とした場所から家まで200mほど。

ペットボトルとビニールの切れ端を持ち家まで歩いていたが、なかなかゴミ箱が無い。

途中何個か自販機があったが、
よく備え付けてあるごみ箱も無い。

その辺の排水溝に捨てようと思った。
路上に素知らぬ顔で捨てようと思った。

しかし、私はビニールの切れ端を持ち続け、
結局、家のごみ箱に捨てた。

*****
なぜ私はビニールの切れ端を、
路上に捨てなかったのか。

人通りの多いところではないし、
サッと捨てることが出来た。

そもそもわたしのゴミではない。
それをわざわざ家まで持って帰った。

私が路上に捨てなかった一番の理由は、
捨てた後に「ゴミを捨上に捨ててしまった」
という、ほんの僅かな罪悪感が発生するため。

この「ほんの僅かな罪悪感」が出ると分かっていたので、その辺に捨てるのは止めた。

罪悪感を感じる女子 なんかアレだ

*****
10cmほどのビニールの端切れなんて、
その辺に捨てても何ら問題はない。

それを捨てることにより、
何かの加減で火がついて、
街中が大火事になる。

「風が吹けば桶屋が儲かる」
そんな事はあり得ない。

私なんかより、
善良な市民が路上のゴミを拾い、
ゴミ箱に捨てればいいのだ。

私ひとりがこんな事をしても、
地球環境にも生態系にも何の影響もない。

しかし、ここで一番問題なのは、
前述したように「罪悪感」

大なり小なり「罪悪感」というのものがあると、自分が法的もしくは倫理的に問題な行動をとった後に、この「感情」が芽生える。

そして、その行動後に頭の中が一時的にその「感情」に支配されてしまう。

取った行動によっては、一時的ではなく「一生涯」その「感情」に囚われてしまうかもしれない。

人生が「罪悪感」で苛まれてしまうのだ。

これと似た記事をこちらでも書いていた。


人間は「罪悪感」と言う感情が、
とても重要
なのだと思う。

「罪悪感」を知るというのは、
「倫理」と「法律」を知る必要がある。

それらが少しでも分かると、
「罪悪感」は勝手に芽生える。

小さなごみであれ、
路上に捨てようと思わない。

「罪悪感」を知らないというのは.
「倫理」や「法律」が無知の状態。

つまり、子どもの頃に虫を殺したり、
その辺にゴミをポイ捨てする。
実際に、私もそうだった。

大人になっても、上記を何も意識せずに無知のままであれば、周りが敬遠するような立派なオトナとなる。

立派なオトナ


*****
「罪悪感」が何かを知り、
「罪悪感」を持たないよう行動する。

これが生きていくうえで必要なのでは、と。

「ビニールの切れ端」を、
家のごみ箱に捨てた時に感じた。


つづく。


◾️他のエッセイはこちら


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