【エッセイ】「罪悪感」を持つのが重要なワケ
先日、私がペットボトルを道に落として、
すれ違った人に取ってもらった。
「ありがとうございます」とお礼を言うと、
そこに落ちていた「ビニールの切れ端」も貰った。
よくグミの袋を切ったりすると出る、
直径10cmほどの長方形のモノ。
このビニールの切れ端は、
私が落としたものではない。
私は帰宅する途中であり、
落とした場所から家まで200mほど。
ペットボトルとビニールの切れ端を持ち家まで歩いていたが、なかなかゴミ箱が無い。
途中何個か自販機があったが、
よく備え付けてあるごみ箱も無い。
その辺の排水溝に捨てようと思った。
路上に素知らぬ顔で捨てようと思った。
しかし、私はビニールの切れ端を持ち続け、
結局、家のごみ箱に捨てた。
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なぜ私はビニールの切れ端を、
路上に捨てなかったのか。
人通りの多いところではないし、
サッと捨てることが出来た。
そもそもわたしのゴミではない。
それをわざわざ家まで持って帰った。
私が路上に捨てなかった一番の理由は、
捨てた後に「ゴミを捨上に捨ててしまった」
という、ほんの僅かな罪悪感が発生するため。
この「ほんの僅かな罪悪感」が出ると分かっていたので、その辺に捨てるのは止めた。
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10cmほどのビニールの端切れなんて、
その辺に捨てても何ら問題はない。
それを捨てることにより、
何かの加減で火がついて、
街中が大火事になる。
「風が吹けば桶屋が儲かる」
そんな事はあり得ない。
私なんかより、
善良な市民が路上のゴミを拾い、
ゴミ箱に捨てればいいのだ。
私ひとりがこんな事をしても、
地球環境にも生態系にも何の影響もない。
しかし、ここで一番問題なのは、
前述したように「罪悪感」
大なり小なり「罪悪感」というのものがあると、自分が法的もしくは倫理的に問題な行動をとった後に、この「感情」が芽生える。
そして、その行動後に頭の中が一時的にその「感情」に支配されてしまう。
取った行動によっては、一時的ではなく「一生涯」その「感情」に囚われてしまうかもしれない。
人生が「罪悪感」で苛まれてしまうのだ。
これと似た記事をこちらでも書いていた。
人間は「罪悪感」と言う感情が、
とても重要なのだと思う。
「罪悪感」を知るというのは、
「倫理」と「法律」を知る必要がある。
それらが少しでも分かると、
「罪悪感」は勝手に芽生える。
小さなごみであれ、
路上に捨てようと思わない。
「罪悪感」を知らないというのは.
「倫理」や「法律」が無知の状態。
つまり、子どもの頃に虫を殺したり、
その辺にゴミをポイ捨てする。
実際に、私もそうだった。
大人になっても、上記を何も意識せずに無知のままであれば、周りが敬遠するような立派なオトナとなる。
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「罪悪感」が何かを知り、
「罪悪感」を持たないよう行動する。
これが生きていくうえで必要なのでは、と。
「ビニールの切れ端」を、
家のごみ箱に捨てた時に感じた。
つづく。
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