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【エッセイ】1/52を言い当てたこと。

色づいてゆく美しい紅葉が見渡せるシーズンであった。

私はその秋に、新幹線で修学旅行へと向かっていた。

私の学年は2クラスと少なく、
生徒全員が新幹線の4号車に、
すっぽりと収まった。

私は、3列シートの真ん中の席に腰を下ろした。

隣の通路側の席には親友が座った。
窓側の席には、誰も座っていなかった。

車内では、前のシートの友達に「ちょっかい」を出したり、
スマホに入れていた写真を見せ合ったり、
後ろのシートの友達と話をしたりもした。

そういった話も、ひと段落付いたところで、
私が親友に向かって「トランプをやろう」と言った。

前席の後部にある、
付属の小さなテーブルの留め金を外し、
パタリと広げた。

長旅の感触が詰まっている、
なんだかとてもわくわくする。
私が好きな、小さな灰色のテーブルだ。

私の小ぶりな赤いリュックから、
プラスティックケースに入った紙のトランプを取り出し、その広げたテーブルに、ケースをカチャリと置いた。

私はケースからトランプを取り出し、
あてもなくトランプを混ぜ続けた。

どこかで覚えたカッコいい混ぜ方して、
親友から「それどうやるの!?」と聞かれて、
少し自慢げにやり方を教えた。

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そして、私が何の気なしに、
「カードの内容当てるから一枚引いて」と言い、
その裏返しにされたトランプの山から、
親友に一枚引かせた。

親友は、自分でトランプをワサワサと混ぜて、
一枚だけをスーッと手元に引いた。

その時、カードの中身がふと脳裏に浮かんだ。
これは透視とかいう類のものではない。
なんとなく、頭に浮かんだだけだ。
「直感」という言葉に置き換えてもいい。

「ダイヤの・・・J」と私は言う。
「え?見えてたでしょ!?」と親友は言う。

「全然見えてないよ!」と私は言い、
親友は少し首をかしげながら、
カードを表にした。

そこには「ダイヤのJ」がいた。

赤いインクで「J」と描かれており、
高貴な人物が横を向いている。

私はその瞬間、驚き困惑喜びと言った感情が、「ぐるぐる」と頭の中を目まぐるしく交差した。

「絶対見えてたよ~」とニヤけながら親友は言い、わたしは「見えてないよ~」と返すようなやりとりをした。

その他愛もない言葉の往復を、
3,4回ほど繰り返した。

その後すぐに、前のシートの友達2人が、
トランプをやっていることに嗅ぎつけて、
4人でトランプをすることになった。

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私と親友はその後、
別々の高校へ入学した。

そして約一年ほど前に、
親友と直接会う機会があった。

そこでは今の高校生活など、
身の回りに起きた様々なことについて、
日が暮れるまで話し合った。

「中学生の時、修学旅行の新幹線でトランプをやって、引いたトランプ内容を、私が一発で言い当てたよね」と私は言った。

「うーん、そんなのあったっけ」と少し怪訝そうな顔つきで、まるで他人事のように親友は言った。

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トランプの内容を一発で当てる確率は、
52枚あるので1/52だ。
約2%となる。

そのくらいの確率を引くのは、
長い人生では「何回も」あり得る。

あの秋の日、新幹線の車内で、
私と親友は二人きりでトランプをした。
小さなテーブルの軋む音やトランプの手触り、
そのすべてが詰まった「あの空間」

この世界中で、
今でも「あの空間」を覚えているのは、
間違いなく「私だけ」だ。

私が1/52を引かなければ、
私でさえ、脳内から消去されていた。

本当に「あの空間」が存在していたのか、
それさえも分からなくなっていた。

しかし「あの空間」は、
今でもハッキリと、
色鮮やかに私の脳内を駆け巡る。

それは、なんの変哲もない日常であり、
この世界に発生した大きな過去の「ひと欠片」
私はここに書き記すことができた。

とても小さくて繊細で、
今にも消え入りそうな「あの空間」は、
この世界の誰かの記憶の狭間に、
ずっと、ずっと、残り続ける。


つづく。

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