欲望とセオリー
「重要な部分は欲望に従え。それ以外はセオリーに従え」
こんな言葉を言った人がいます。いや、うろ覚えなのでこの通りに言った人はいないかもしれません。映画監督の今村昌平が言ったような気もしますが、検索しても出てこなかったので違う人かもしれません。
実に曖昧なのですが、この言葉も一種のセオリーとして非常に有効だと考えています。響く人ならば、たったこれだけのフレーズでも大きな力を得られることでしょう。
しかし、このフレーズだけでは「なぜそれがセオリーとして有効なのか?」はさっぱりわかりません。何となく納得感のあることが力強く言われているだけです。そのため、なぜセオリーとして有効なのかを考えてみました。