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阿部卓也『杉浦康平と写植の時代/光学技術と日本語のデザイン』/書評:宮地知「写真植字とはなんだったのか/丹念な調査から解き明かされる物語」(週刊読書人)

☆mediopos-3144  2023.6.27

雑誌『遊』及び工作舎の関係で
杉浦康平とそのブックデザインについては
大学の頃からずいぶん啓発されていたが
その頃は写植(写真植字)のことは
ほとんど知らずにいた

とくに就職する気はなかったものの
それがどんな仕事なのかさえわからないまま
コピーライターとして広告会社に就職してはじめて
新聞や印刷物・CMなどの制作のために
写植屋に日々出入りするようにもなり
写植のことがようやくわかるようになった

当時はPCなどゲーム機でしかなく
(日本語は半角の片仮名くらいしか表記できず)
企画書やコピーなども
2Bの鉛筆で手書きをしていた時代である
携帯電話などもほとんどSFの世界でしかなかった
音声も映像もアナログの制作だった
そのなかでの写植である

そうした写植の時代を経験したのは
八〇年代の後半から九〇年代までの十年間ほどで
その後写植の時代は終わりDTPの時代が訪れる

しかしあらためてふりかえってみると
テレビ放映がやっと登場した時代から
現代のようなアルゴリズム的な時代までの変化を
俯瞰できるというのはある意味とても幸運なことである

さてDTPではタイポグラフィーをフォントと呼ぶが
写植の時代には「書体」と呼んでいて
写研とモリサワという二つの系統の書体が使われていた

当時主流だったのは写研で美しい書体が多かったが
(あの美しい写研の書体がずっと気になっていたが
その写研フォントのデジタル化が
ようやく端緒に着いたらしくその行方も見守りたい)
DTPへ移行してからはモリサワが主流となる

なぜ写研ではなくモリサワなのか
その詳細については知らずにいたので気になっていたが
写植(写真植字)がいつどのようにして生まれ
どのように展開してきたのか
それがどのように継承され
いまどのような課題を抱えているのか・・・も含め
本書『杉浦康平と写植の時代』で
その経緯やあらたな問いかけを知ることができた

杉浦康平や写植については
興味のある方に本書を参照していただくとして
(写植を中心にしたこうした詳細な文化史は大変貴重である)

本書におけるる重要なといかけは
かつてのブックデザインとは矛盾している
デジタルテクノロジーにおいては
どんなブックデザインが構想可能かということである

歴史を振り返ってみれば
かつて古代においては
石板や竹簡・羊皮紙などに文字を刻み
本の原初的なかたちが生まれはじめ
やがて印刷技術の発達とともに
基本的なブックデザインが確立されてきたが
これからデジタル空間でのそれがどうなっていくかである
あるいは本というものが
今後どのようなかたちで使われ読まれていくか

とはいえアナログであれデジタルであれ
「かたち」はその内容を
どのように受容可能にするかに関わっている
内容なきかたちは
やがて意味を持ちえなくなってくるだろうから
内容をいかに充実させるかがかたちの役割となる
そしてそこにアナログとデジタルの境はないのではないか

■阿部卓也『杉浦康平と写植の時代/光学技術と日本語のデザイン』
 (慶應義塾大学出版会 2023/4)
■宮地知「写真植字とはなんだったのか/丹念な調査から解き明かされる物語」
 (阿部卓也著阿部卓也『杉浦康平と写植の時代/光学技術と日本語のデザイン』)
 (週刊読書人 2023年6月23日)

(「阿部卓也『杉浦康平と写植の時代/光学技術と日本語のデザイン』〜「終章 星の本」より)

「杉浦康平は、日本語タイポグラフィー手法の開拓、表記ルールへの問題提起、他の諸芸術領域との共振、西欧のデザインメソッドの再解釈、書体見本帳の制作による啓蒙活動、実験的な書体の活用や組版手法への挑戦といった多様な実践を通して、宇宙としての本という主題を深化させ、新しいデザインの可能性を探究し続けた。その道のりは取りも直さず、日本にブックデザインという新領域を創出するプロセスであり、なおかつ、西洋的な書物あるいは知の体系をアジアの文字と視覚文化の積層で受け止め、更新しようとする社会的実践であった。杉浦デザインの真の革新性と重要性は、表面的な絢爛さや流麗さ以上に、そのような意義を内包していた点にこそある。
 そして、杉浦のそうした活動を可能にしたのが、本書が光学的デザイン体制と呼んだ、イメージの複製技術をベースにした技術環境であった。特にも、日本で独特な発展を遂げた写真植字技術と、文字文化に対して特殊な強い信念を持った写研という企業の存在は、杉浦デザインの成立可能性を、基礎的な次元で支えた、だからこそ本書は、杉浦康平と写植及び写研の絡み合いについて、それぞれの起源と発展の経緯、連携の実際とその結果もたらされた社会への影響、そしてデジタルテクノロジーが導く次なる時代のなかで迎えた帰結までを、多角的に論じ、その実相を浮かび上がらせようとした。」

「「写植の時代」が終わってから、すでに二〇年以上が過ぎた。本書の最後の問いとして、われわれが杉浦康平や、彼の系譜にあるデザイナーたち(中垣信夫、鈴木一誌、戸田ツトム、等々・・・・・・)の書物やデザインに対する問題意識を、どのように発展継承していくことができるかを考えたい。そこに、非常に大きな困難が立ちはだかっていることは明らかである。これは、たんに担い手の能力が不足しているとか、日々深刻化する出版不況のなかで、本の社会的価値が目減りし続け、かつてのように豊かな実践がますます困難になった、という議論だけで済むものではない。問題は、本の存在様態そのものの変質である。戸田ツトム風の語彙で言えば、本を統御する「システム」や「アルゴリズム」が、もはやデザイナーでは担えなくなってきている、という問題だと言い換えてもよい。
 現実のわれわれは、出版不況どころか、スマートフォンを片手に、誰もが日夜寝食を忘れて「ページを読むこと」に没頭している。現実世界は情報環境に飲み込まれ、それはあたかも(・・・)人びとが本という宇宙のなかを生きているような世界、むしろ世界全体が普遍的な図書館になってしまったような世界の実現である。しかし、それは、一冊の本に宇宙を閉じ込めようとした『全宇宙誌』の実践とは、むろんかなり別の状況である。
 (・・・)
 「デジタル技術の全面化によって、世界が本の頁に飲み込まれた」という時の「本」や「頁」は、むしろそうした確定性とは逆の合意を持っている。物質的なレベルでユニークなグラフィックを作るアプローチが、マルチデバイス、文字サイズの変更、リフローなどの電子書籍の長所(形の変更可能性)と相性が悪いことは言うまでもない。それに加えて、いまや、デジタル空間に偏在するテクストの断片は、コンピュータの「アルゴリズム」が自動的に生成したインデックスと結びつき、頁同士がそれを通じて人間不在で自律的に相互参照しあうような形で存在している。私たちが、そのネットワークに対して検索ワードなどの意識的なリクエストを与えるたびに、(あるいはコンピュータの側が行動履歴を自動解析して推薦したり、人間の無意識的な反応を読み取ってトリガーに使うことで)、情報たちはどの都度かりそめに結びつき、私たち一人ひとりにカスタマイズして「編集」された「書物のようなもの」として差し出される。私たちは巨大な氷山の一角で、水面下の巨大な氷塊の全容を想像することさえできないままに、そうした断片をせっせと「読み書き」して生活を営んでいる。そして、そのような「本」の「形」は、私たちがそれを(ラップトップやタブレットやスマホを)閉じた瞬間、たちどころに消滅する。けれども、その時、私たちの読書経験、頁を読みすすめた手つきや眼球の動きや身体の一挙手一投足は、テクノロジーの側によってすでに「読み取られて」おり、情報のプールに送られて、次なる「本の形」を生み出すための資源に編入されている。そのような世界で、どうすれば人間的な「本の形」を再度構想できるのか、と問うことこそが、杉浦たちの問題意識を、真の意味でいまの時代に継承することであるはずだ。」

(宮地知「写真植字とはなんだったのか/丹念な調査から解き明かされる物語」より)

「デザインを学んだ人ならば「杉浦康平」の名は一度は目にし、その作品の数々を目にするだろう。本書はそんな杉浦の作品を詳細に分析し、日本語のレイアウト、ブックデザインに与えた影響を解説している。
 そしてその創作の元になる写真植字の発明から発展、全盛期、終焉までを丁寧に解き明かしていく。
 「写真植字」という言葉を印刷業界で知っている人は、どれくらいいるのだろうか。写真植字は一九二四年に発明され、全盛期は一九六〇〜一九八〇年代後半。九〇年代にDTPと呼ばれるPCを使ったデザイン・組版システムが主流になるまでが全盛期だろう。その時期であっても、一般の人は印刷文字と言えば金属活字を思い浮かべ、写真植字という技術は世間に出ることはなかった。」

「丹念に事実を調べていけば、そこにあった奇跡とも言える人の出会いとそれによって生み出された創作物に驚かされる。写真植字の誕生の最初の舞台となった戦前の革新的な企業、星製薬。製薬会社と印刷という不思議な組み合わせで出会った森澤信夫、石井茂吉。このふたりが生み出したのが、写真植字である。
 やがて彼らは別れて、モリサワ、写研の二つの個性的な会社ができ、写真・印刷業界に革新を起こす。写真植字からは、金属活字では実現が難しかった自由な書体を創り出す書体デザイナー中村征宏が生まれ、その書体と写真植字の特性を活かしたデザインを作り出したデザイナー杉浦康平へ続く。連鎖反応で次々に創造されたすばらしい成果物の数々を、この本は明らかにしている。
 写真植字はひとつの業種として成り立ち、たくさんの写植会社が生まれた。社員何十人、何百人の会社もあったが、多くは家族でやったり、一人から四人くらいの写植屋が多かった。昭和の高度成長期では、確かな技術力があればそれに見合う報酬が約束されていた。写植屋さんは確かな技術の職人が多かった。デザイナーの作品を支えていたのは、そんな写植職人だった。
 時代は変わり、黒船のように海の向こうからDTPがやってきた。写真植字は隅に追いやられていき、写植会社は廃業あるいはDTPに変わっていった。
 写真植字とはなんだったのか、それで文字を打つ技術はどのようなモノだったのか。写真植字の文字から誘発されてできたデザインは、どれほど印刷物を豊かにしたか。消えていった写真植字だが、その成り立ちや紡ぎ出した物語を知るのは、DTPを使う上でも決して無駄ではないことをこの本は解き明かしてくれる。」

◎阿部卓也『杉浦康平と写植の時代/光学技術と日本語のデザイン』
【目次】
序 章――ある解体
第1章――杉浦デザインの誕生と写植の革命(1956-1964)
第2章――杉浦タイポグラフィの躍進とカタカナ化する世界(1964-1978)
第3章――写植の起源 石井茂吉と森澤信夫Ⅰ(1923-1933)
第4章――写植の起源 石井茂吉と森澤信夫Ⅱ(1933-1945)
第5章――写植と杉浦デザインの深化 石井裕子と中垣信夫(1946-1972)
第6章――ブックデザイナーという発明 杉浦康平と和田誠(1956-1969)
第7章――新書体の時代 中村征宏と写研(1969-2001)
第8章――宇宙としてのブックデザイン 杉浦康平と戸田ツトム(1979-1987)
第9章――「組版」の文化圏 電算写植とCTS(1960-1987)
第10章――写植の終焉と書物の最後の光芒(1987-2001)
終 章――星の本
註・参考文献
あとがき
索引

◎阿部卓也(あべ たくや)
愛知淑徳大学創造表現学部メディアプロデュース専攻准教授、デザイナー。
1978年生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業後、東京大学大学院情報学環博士課程単位取得満期退学。
専門は、デザイン論、メディア論、記号論。
フランス・ポンピドゥーセンター・リサーチ&イノベーション研究所(フランス)招聘研究員、東京大学大学院情報学環特任講師を経て、2017年より現職。
主な著作に、『知のデジタル・シフト――誰が知を支配するのか』(共著、弘文堂、2006年)、『デジタル・スタディーズ2 メディア表象』(共著、東京大学出版会、2015年)、『日本記号学会叢書 セミオトポス11 ハイブリッド・リーディング』(共著・企画・編集・構成・装丁、新曜社、2016年)、『いろいろあるコミュニケーションの社会学』(共著、挿画装丁も兼担、北樹出版、2018年)、『デジタル時代のアーカイブ系譜学』(共著、みすず書房、2022年)等がある。
論文「漢字デザインの形態論」で第4回竹尾賞優秀賞受賞。第15回立命館白川静記念東洋文字文化賞教育普及賞受賞。

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