見出し画像

志村真幸『熊楠と幽霊』

☆mediopos-2345  2021.4.18

一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて
西洋でも日本でも「魂や死後の世界、
超能力といったものへの関心」が高まったが
二〇世紀末から二一世紀初頭の一世紀を経た現在もまた
現れ方は異なっているとはいえ
似た時代であるとはいえそうだ

それはおそらく実証的な「科学」信仰と
その対極にあり
バランスをとるかのように現れた
「霊」「オカルト」への信仰であるともいえる

現代の科学主義的な流れによる霊的なものの否定も
ニューエイジ的な流れによる霊的なものへの傾斜も
ともに天秤の両極なのだろう
どちらもどこか均衡を欠いた信仰的態度に他ならない

それは視点として限定された
部分性を持っているにもかかわらず
全体をカヴァーしているかのように錯覚しているからだ
ある領域において事実であり
なんらかの真実を明らかにしていたとしても
その領域を超えたところではそれはナンセンスになる

「科学的には説明できない」という
科学者がよく使うある意味で良心的な言葉も
ある種の事実を否定するためのレトリックになる
しかもそこには「科学的であるべきである」という
「べき」という信仰的態度が無自覚に現れている

「天使の声が聞こえる」という
ニューエイジ的な現象において使われがちな言葉も
たとえそれがその人にとっての
体験的な事実であったとしても
(それはごく一般的な体験においてもそうだが)
みずからの影に無自覚なままの信仰的態度であることは
科学主義の対極にあらわれたルシファーの影でもある

さて南方熊楠ははじめ理性的な態度をとって
オカルト的なものには否定的だったものの
さまざまな神秘体験をくりかえすことで
みずからのその体験を明らかにしようと
実験的に実証しようとする方向ではなく
民族学・民俗学的な方向に向かい
「古今東西の文献を渉猟することで、
自身の体験を解き明かす手掛かりを探そうと」した

熊楠がみずからの神秘体験を明らかにしようとしたのは
本書の著者も示唆しているように
「あくまで自分自身のための研究」であったと思われる

しかしこうして現代の私たちは
熊楠の書き残したさまざまな資料から
そうした神秘体験について考えることができる
それは熊楠がみずからのそうした体験に
真摯に向き合いつづけたからこそ
その資料が現代の私たちにも強く「響く」のだろう

おそらく私たちはだれでも
(それをどのように表現するかはひとそれぞれだが)
なんらかの「神秘体験」をもっているはずだ
そもそもこうして生きていること
じぶんがここにいるということそのものが
まさに「神秘体験」以外の何ものでもないのだから

その意味で私たちも
(熊楠のように夥しい資料を残す必要はないだろうが)
みずからのさまざまな「体験」に
真摯に向き合いつづけることこそが重要なのだろう
そうすることがおそらくは
「他者」への寄与にもつながってくる

■志村真幸『熊楠と幽霊』(インターナショナル新書065 2021.2)

「今年(二〇二一年)で没後八〇周年を迎える南方熊楠は、生物学や民俗学の分野で活躍し、近年では神社林保護運動にとりくんだことで、『エコロジーの先駆者』としても知られるようになった人物です。ところがいっぽうでは、幽体離脱体験をくりかえしたり、「夢のお告げ」で新種を発見したりといった神秘的なエピソードがあることをご存じでしょうか。水木しげるにも、熊楠を主人公とした『猫楠』という漫画があり、そのなかでは熊楠が幽霊たちと宴会をしたり、夜中に魂が身体を抜け出して遊びに出たりします。
 しかし、若い頃の熊楠は、むしろオカルト的なものに否定的な態度をとっていました。ロンドン遊学時代には「オッカルトごとき腐ったもの」と罵倒していますし、降霊術や行者の秘術といったものも信じていませんでした。
 ところが、帰国後に採集・研究活動にうちこむなかで神秘体験をくりかえした熊楠は、態度を一変させます。ブラヴァッキー夫人の『ヴェールをとったイシス』や、イギリスの心霊研究者であるフレデリック・マイヤーズの『人間の人格とその死後存続』を熟読し、以後は「魂の入れ替わり」や「幽霊の足跡」についての論考を量産していくのです。
 こうした熊楠の神秘体は、どのようにと捉えるべきなのでしょうか。それは「本物」であり、熊楠には超常的な能力が備わっていたのでしょうか。また魂や幽霊に関する研究は、どのように行われたのでしょうか。」
「熊楠が生涯に書き残した文章は膨大な量にのぼります。あまりに多いため、そこで扱われている心霊、幽霊、超能力、妖怪、民俗学、精神などのテーマは、これまでバラバラに捉えられてきたきらいがあります。しかし、細分化して扱ってばかりでは、見逃してしまうものが多く、それらを統合的に見る必要があるのです。」

「熊楠は若いころから不思議な夢を見ることがしばしばあり、それを日記に書き留めていました。死や病について記録することにも熱心でした。同時に脳機能的・精神的な問題から、いつ自分が正気を失うかという不安に怯えており、これらが魂への関心を発生させます。さらには父親の期待に応えることができず、親不孝の息子となってしまったことを後悔していました。
 そんななかで遊学したアメリカ・イギリスでは、神秘主義やスピリチュアリズム、心霊科学が大流行していました。熊楠はブラヴァッキー夫人や心霊現象研究協会に興味を持ちますが、全体としてはオカルチズムに否定的な態度をとります。ところが、帰国後に幽体離脱や「夢のお告げ」を体験し、また精神状態が悪化したこともあり、人間の精神や魂の問題に関心を高めていくことになったのです。
 こうした不安や悩みに対して、熊楠はいくつかのアプローチで解決を試みます。まず手にとったブラヴァッキー夫人の著書はオカルトの域を出ておらず、すぐに放棄します。つづいて接近したマイヤーズらの心霊科学にはのめりこみ、これが夢をはじめとする神秘体験を昂進させていくこととなりました。この段階に至り、おそらく熊楠は、魂が実在し、死後も存続する可能性について、とくに夢という側面から研究する決意を固めたのでしょう。
 具体的に熊楠がとった方法は、文献の渉猟でした。古今東西の古典籍、フォークロア集、民族誌などから魂に関する記述を集め、それらに共通する特徴を探ることで、真理へ迫ろうとしたのです。さらに変態心理に関心をもち、精神医学へも接近します。」

「一九世紀末から二〇世紀初頭にかけては、西洋においても日本においても、魂や死後の世界、超能力といったものへの関心が高まりました。科学の進歩と呼応して、キリスト教や仏教が力を失い、ひとびとは自分という存在に不安を感じ、さまざまな方法で精神や魂についてあきらかにしようとしたのです。科学者たちは実験をくりかえし、精神医学が生み出され、脳科学・神経科学が発達し、スピリチュアリズムや心霊科学が出現します。現在では、精神医学と脳科学と心霊科学は別々のものとみなされていますが、問題の根源は同じところにあったのです。同様に夢についても、科学、精神医学、民族学・民俗学のそれぞれからアプローチ法が生まれつつありました。」
「熊楠が方法論として採用したのが、民族学・民俗学だったのです。一九世紀後半から世界各地で民族誌的調査が行なわれ、民話や説話が収集され、それらをまとめた文献が大量に出版されていました。それにともない、タイラーやフレイザーによって民族学や民俗学が学問として整備されていきます。熊楠は、当時最新のその方法論に飛びついたのでした。そして古今東西の文献を渉猟することで、自身の体験を解き明かす手掛かりを探そうとしました。結果として、睡眠中に魂が抜け出るというような件について大量の類例が出てきたことは、熊楠の思考を深め、またある種の安心感を与えたことでしょう。そのようにして収集された資料は、論考や書簡にも使われました。」
「これまでもしばしば熊楠の神秘体験がとりあげられてきたにもかかわらず、もうひとつはっきりとした理解がされなかったのは、熊楠自身にも責任があります。(・・・)自己神秘化がはなはだしいのがひとつ。それから、熊楠の文章の特徴として、類例を述べるばかりで、考察や分析をしない点が指摘できます。ただ、実はこれは同時代のイギリスの方法論にのっとったものでした。」
「熊楠が現代的な意味での科学者・研究者ではなかった点も理解しておく必要があります。」
「熊楠の研究は、学界で評価を得るとか、論文として発表するというよりは。自分自身のためという色合いが濃いものです。それは自身の問題を出発点に展開したものだったからです。」
「そのため、熊楠は系統だった分析を行なったり、明確な結論を出したりしません。そもそもわたしは、熊楠にみずからの研究を公開する意図があったか疑わしいと考えています。あくまで自分自身のための研究であり、雑誌等に掲載された論考は、誌面に自分と関心の近い話題を見つけたときや、依頼があったときなどに、たまたま表出したものではないかと思うのです。」
「さらにいえば、熊楠が今日まで多くの人を魅了しつづけているのは、その問題意識が根本的に現代人にも通じるものだからです。魂の存在は科学的にはほぼ否定されたとはいえ、まったく「ない」と言い切ってしまうのには躊躇があり、不安に感じますし、また夢の仕組みはまだまだ解明されていません。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?