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石井ゆかり「星占い的思考㊼地中からの支配」 (『群像2024年2月号』)

☆mediopos3342  2024.1.11

昨日(mediopos3341/2024.1.10)は
「大きな視野で、ちいさなことをする」
という谷川俊太郎の言葉に導かれ
「ひとり」が「ひとり」でできる
そして「ひとり」でしかできないような
大切なことについて考えてみた

今日はそれをふまえながら
石井ゆかりが「星占い的思考㊼」の
最初で引いている言葉を導きとしたい

「まず、交流は依存を生みやすく、
依存は支配を生みやすいということが
忘れられてはならない」

「ひとり」でいるということは
「交流」による「依存」を避けるということであり
大小とわず「依存」によって
「集団」「組織」に所属することで生じがちな
「支配」関係から自由でいるということである

支配関係が生まれるということは
以下のようなプロセスを辿りやすい

石井ゆかりの言葉を引く

「最初は明るく力強い交流だった。
純粋な理想と希望を抱き、世に出た。
色々な人と知り合い、学び、成長したいと願った。
できるならより大きな力を得たいと望んだ。
自分より力ある人、より大きな力をくれる集団に所属し、
認められようとした。あるいは個人として愛され、
必要とされるために、全力を注いだ。
いつかその人間集団に依存し、支配されている自分がいて、
そのころにはもう、その集団から出られない。
もし、意を決してそこから逃れでたとすれば、
自分を守ってくれるものはもう、何もない。」

どんなひとでも多かれ少なかれ
社会のなかで生きざるをえない以上
まったく「ひとり」でいることはできないが
「依存」関係のなかでの支配−被支配関係に身を置けば
その「集団」から脱することは難しくなる

いま世界中は「万人の万人に対する戦い」のような
同時多発的な戦争状態だといえるだろうが
そんな状態をつくりだしているのは
とくに日本においては
「集団」依存(「洗脳状態」でもある)のままに
そこから逃れられなくなっている人たちの
戦争状態だといえるのかもしれない

政治家もジャーナリストもメディア人たちも
そして学者や良き人でありたいと望む人たちも
はじめは「純粋な理想と希望」を
抱いているひとが多いのだろうが
それが「交流」とそれによる「依存」によって
「ひとり」でいることができなくなり
支配−被支配関係のなかで
ともすればアイヒマン的な存在と化してしまう

さて占星術的にいえば
「2024年1月、山羊座に強い星が集まっている」

山羊座は「防御の星座」であり
「トップダウンの強く閉じた組織、国家権力、
伝統的な組織、社会的に権利ある組織、
揺るがぬ岩山のような組織、城塞のような組織を管轄」し
「守るために攻撃する」

そして2024年は「星占い的には大きな時代の節目」
となるような「冥王星が動く年」であり
「2008年からのひとつの時代が終わる年」だという

「1月21日、冥王星が山羊座から水瓶座に移動する。
もうあと一回、逆行して山羊座に戻り、
2024年11月に移動を完了する」

「山羊座は集団組織のための個人が大きな犠牲を払う世界だが、
水瓶座は個人の自由と独立が守られた人間集団を象徴する」

「水瓶座は友情の星座である。
オープンで、参加と離脱が自由で、誰も縛られず、
上下関係もなく、依存も支配もない」
というが
石井ゆかりは
「いったいそんなことが、人間に可能なものだろうか。」
と問いかけている

冥王星は「冥王星は非常に大きな力、巨大な暴力や財力、
地中の黄金を象徴する」
そんななかで
水瓶座に移動した冥王星は
果たしてどんなかたちで働くことになるのだろうか

「個人の自由と独立が守られた人間集団」を求めるとき
そこでひょっとしたら陥るかもしれない陥穽にも
注意深くなければならないだろう

物事には常に表と裏
そして表でも裏でもないことさえ存在する
善と悪・光と闇といったことについても同様である

ここ数年世界中で起こっている
半ば隠されてもきていた戦争状態が
ここにきて露骨なまでに目に見えるようにさえなっている

そんななか2024年11月に水瓶座へと移動を完了する冥王星だが
こうした現状の先に見えてくるのはどんな景色だろう
そしてそこから何を学ぶことができるだろう

■石井ゆかり「星占い的思考㊼地中からの支配」
 (『群像2024年2月号』)

「〝まず、交流は依存を生みやすく、依存は支配を生みやすいということが忘れられてはならない。(高坂正堯『国際政治 改版』中公新書〟

 タイトル通りこれは、国際政治の話である。国と国、経済圏と経済圏、勢力圏と勢力圏の関係を語る文脈で出てきた一文である。なのにこの一文は私の目には、ごくシンプルに「人間同士のやること」の公式のように飛び込んできた。「モノとモノとの間には万有引力が働いています」と言われたかのように、鮮やかな真理として心に響いた。マクロからミクロまで、人間が作る「関係」のどのレイヤーでも、多分このルールが当てはまる。

「若いとき『絶対にあんな大人にはなりたくない』と思ったような大人に、いつのまにか自分がなってしまっていた」という普遍的なセリフがある。他者と交流し、いつのまにか依存し、支配関係が生まれたところに、この現象が起こる。最初は明るく力強い交流だった。純粋な理想と希望を抱き、世に出た。色々な人と知り合い、学び、成長したいと願った。できるならより大きな力を得たいと望んだ。自分より力ある人、より大きな力をくれる集団に所属し、認められようとした。あるいは個人として愛され、必要とされるために、全力を注いだ。いつかその人間集団に依存し、支配されている自分がいて、そのころにはもう、その集団から出られない。もし、意を決してそこから逃れでたとすれば、自分を守ってくれるものはもう、何もない。このストーリーを、様々なハラスメントのシーンに重ねる人もいれば、部活やサークルでのイジメ、カルト集団のオルグ等に重ねる人もいるだろう。SNSでのエコーチェンバー、権力者によるグルーミング、犯罪集団の洗脳など、様々な場で同じことが起こる。人間は弱い。弱いからこそ結びつきあって、大きな力を作ろうとする。暴力、お金、権力、知力、影響力、そのほかあらゆる力を「皆で集まって大きく」しようとする。するとこの力が、そこに所属する当の弱い人間を「作用と反作用」のように、がんじがらめに縛り上げる。」

「2024年1月、山羊座に強い星が集まっている。特に闘いの星・火星は、山羊座で「高揚」する。つまり、他の場所にあるときよりも強い力を持つ、とされる。人間は様々な集団を作るが、山羊座はその中でも特に、トップダウンの強く閉じた組織、国家権力、伝統的な組織、社会的に権利ある組織、揺るがぬ岩山のような組織、城塞のような組織を管轄する。その山羊座に位置する火星は「将軍」のイメージで語りうる。力ある集団を統べる、その頂点の力のイメージである。山羊座は攻撃と防御で言えば、防御の星座だ。あくまでも守るために攻撃する。たとえ侵略的な攻撃だったとしても、それは他の力ある存在とのパワーバランスを考えた上での「自分を守るための、苦肉の策」なのだ。

 戦争は人間の集団が行う。あまりにも大きな、残酷な出来事が起こるのを目の当たりにして、小さな個人にはどうしようもない、止めたくても止める術がない、と絶望的な無力感に苛まれる。あの、言わば山羊座的な集団、山羊座火星的な闘いは、どのように生じるのだろう、と考えた。一人一人の交流が依存になり、依存が支配になる。支配は「される」側だけでなく「する」側でも、ほぼ無意識に始まることがある。したいと思ってしているのではなく、いつのまにかしてしまっているのだ。大きな集団の間に働く「力学」も、個人の間に働くそれも、同じものなのだとすれば、自分にもその大惨事を引き起こすような力の欠片がある。もとい、既にその大惨事にある意味、加担している。「普通に生活している」だけで、加担している。それが人間集団、人間社会で生きるということだ。

 1月21日、冥王星が山羊座から水瓶座に移動する。もうあと一回、逆行して山羊座に戻り、2024年11月に移動を完了する。山羊座は集団組織のための個人が大きな犠牲を払う世界だが、水瓶座は個人の自由と独立が守られた人間集団を象徴する。水瓶座は友情の星座である。オープンで、参加と離脱が自由で、誰も縛られず、上下関係もなく、依存も支配もない。しかし、いったいそんなことが、人間に可能なものだろうか。冥王星は非常に大きな力、巨大な暴力や財力、地中の黄金を象徴する。水瓶座というオープンでフラットな世界にこの冥王星が入った時、世の中を見えない所から支配していた強大な力は、理想によって分解され、より広い派ににオープンに分配されうるものだろうか。あるいは科学技術の星座・水瓶座に入った冥王星は、AIによる新たな「見えない支配」を象徴するだけなのだろうか。人間が創り出したものが人間を振り回すのは、集団も暴力も人工知能でも、同じことのように見える。2024年は冥王星が動く年、星占い的には大きな時代の節目である。2008年からのひとつの時代が終わる年である。」

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