今野真二『日本とは何か――日本語の始源の姿を追った国学者たち』
☆mediopos3186 2023.8.8
「日本の始め」
それを心情から
明らかにしようとするとき
もっとも古い日本語のテキストを
「丁寧によんでたどる」必要がある
それを明らかにしようとした
江戸の学問が「国学」である
もっとも古い日本語のテキストは
『古事記』『日本書紀』『万葉集』で
散文と韻文ということでいえば
『古事記』『日本書紀』は散文
『万葉集』は韻文である
本書ではそれらを読み解こうとした
契沖・賀茂真淵・本居宣長・富士谷御杖といった
国学者の「テキスト(をかたちづくる言説)」を
「あらかじめ用意された「物語」や
抽象的な「思想」」としてではなく
「精読=追跡(トレース)」する試みである
古文献は漢字によって文字化されたテキストで
国学者たちはその漢字の背後に
かつての日本語の姿をよもうとし
「日本とは何か」を探った
「国学の鼻祖」といわれた契沖は
仮名発生以前に中国語の文字である漢字により
日本語がどのように文字化されていたのかを探求した
賀茂真淵は「音」に言語の根幹を見いだし
「音節、五十連の音の気づきをもたら」した
本居宣長は「語化されたことばを精緻に読み解くことで
上代の人間のこころを知ろうと」した
「異端の国学者」ともいわれる富士谷御杖は
「心のままを直言しない、
感情のコントロールを経た表出である「倒語」を追求し、
人の感情=人情のありかたを深く探った」
著者の今野真二は
こうした「国学者のあらわしたテキストを
できるだけ丁寧によむ、
ということを「方法」とした」という
それは「書き手がテキストを生成していく道筋を、
言語表現を頼りにして追跡するという意味合い」をもつ
そうした「書き手の考えや「気持ち・感情」を
実感する、追体験する」というと
非科学的だという批判もあるだろうが
今野氏は「限定的ではあっても、
科学とみなし得る言説といえるのではないか」という
どちらにしても
現代の私たちはおおざっぱにみても
平安時代までの「古代日本語」
鎌倉時代・室町時代の「中世語」
江戸時代の「近代日本語」といった
たくさんのフィルターをとおして
「日本語の始原」を垣間見るしかない
本書はそのために江戸の国学者の「よみ」を
「精緻」に「追跡(トレース)」していく
きわめて啓発されるところの多い労作である
■今野真二『日本とは何か――日本語の始源の姿を追った国学者たち』
(みすず書房 2023/5)
(「序章 江戸のエピステーメー」より)
「江戸時代の知がどのような「枠組み」をもっていたかを簡単に説明することはできない。できないのではあるが、その、想定される「江戸時代の知の枠組み」の中で、現在「国学者」と呼ばれる人々がどのような「知」にふれ、どのような「知」にたどりついていたかということについて、国学者があらわしたテキストを丁寧に読み、たどっていくことを緒として考えてみることを本書の目的としたい。
「丁寧によんでたどる」は「精緻」と言い換えてもよいし、「追跡(トレース)」と言い換えてもよい。(・・・)「精読=追跡」は「テキスト(をかたちづくる言説)」という具体的なことを起点とし、そこを実際に歩いて観察するという、「知」へのアプローチの一つの「方法」でもあり、あらかじめ用意された「物語」や抽象的な「思想」として語らない、ということでもある。
国学者として、契沖(一六四〇——一七〇一)、賀茂真淵(一六九七——一七六九)、本居宣長(一七三〇——一八〇一)、富士谷御杖(一七六八——一八二四)四人に注目し、この四人のあらわしたテキストを採り上げ、可能な範囲で、これらの人々が「たどった道」をとらえ、同時に「道のまわり」にも目配りをしたい。「たどった道」をとらえようとする視点は、どのようにして学を形成したか、ということを含んだ「経時的・通時的な視点」である。「まわり」への目配りは、これらの人々のまわりに具体的にどのような人々がいたか、ということを含んだ「共時的な視点」である。「経時的(通時的)視点」と「共時的視点」の交叉点に具体的なそれぞれの人物がいて、具体的なそれぞれの「知」がある。
国学者と呼ばれる人々のあらわしたテキストは、一見するとまちまちに見えるが、その背後には「古代の日本」につよい関心をもち、「日本・日本文化の淵源」を明らかにしようとしたという共通性があるように見える。
さて、日本語を通時的にとらえる時に、「古代日本語」と「近代日本語」とに分けることがある。「古代日本語」は平安時代まで、「近代日本語」は江戸時代からで、鎌倉時代、室町時代を過渡期とみて「中世語」と呼ぶことがある。本書は、言語(日本語)をおもな観察対象としているので、「古代」は「古代日本語」と重ね合わせることにして、平安時代までの時期を指すことにしたい。」
「契沖は自身の悉曇(しったん)学の成果をふまえ五十音図にちかい表をつくっており、表をつくるための整理を通して「音素」的な発想にたどりつく。一方、賀茂真淵は『万葉集』を読み解く過程で、「冠辞」=枕詞に着目し、そこからさらに「音素」的な発想にたどりつく。この真淵の「音素」的な発想は、後の「音義学派」にそもまま、もしくはかたちを変えて受け継がれていく。」
「人間の感情について配慮しすぎると過剰に心理的な解釈に陥りやすい。宣長た、宣長の息である春庭は和歌を観察対象にして日本語の文法システムを考察した。言語量に制限が加えられている和歌においては、一つの助詞、一つの助動詞、一つの語の選択が重要になる。なぜこちらの語を選んだか、この語ではなくこの語を選ぶと歌意はどうなるのか、という「言語の小さな動き」の読み解きに沈潜したことによって、「システム」のありかたをつきとめたのではないだろうか。」
「国学者たちはほとんど例外なく和歌をつくっていた。『万葉集』を起点とし、『古今和歌集』『新古今和歌集』といった和歌を精読することは和歌をつくるための必須のプロセスでもあった。過去につくられた和歌にどのように「感情情報」がうめこまれているかを知り、自身は和歌を詠むことで、「感情情報」をうめこむ実践的なトレーニングをする。「読む」と「詠む」とをともに行なう。まさに双方向的(interactiv)なアプローチといってよい。
国学者たちは、詩的言語である和歌を素材とした言語観察をいわばごく自然に行なったと思われるが。宣長と宣長の息の春庭は和歌の分析から「係り結びの法則」を発見し、春庭は日本語の活用についての考察をふかめた。」
(「第一章 フィロロジスト契沖」より)
「『和字正濫鈔』が「かなづかい書」であるかどうかはともかくとして、契沖の残したテキストといえば、『万葉代匠記』と『和字正濫鈔』がまずあげられるであろう。その二つのテキストは「回路」で結ばれていることを述べた。「古代の日本」を追求した契沖がたどりついたのは、「漢字」であり、中国語をあらわすための文字である漢字によってどのように日本語を文字化しているかという思索、洞察を通して『和字正濫鈔』というテキストが生まれたと考えたい。漢字について正確に理解するためには、漢籍の精読が前提となる。契沖は漢籍を精読し、それを「自家薬籠中」のものとすることによって、『万葉集』を読み解いた。その過程において「文證」を重視する「文献学的アプローチ」が錬られていった。」
(「第二章 賀茂真淵――経験、直感による知覚」より)
「真淵は『万葉集』に沈潜した。それは、上代のことがら、徳に上代人の心を知ることで日本の淵源を知ろうとしたからであったと思われる。心は歌=詩的言語に盛り込まれるところから、真淵は自信も歌をよむ続けた。現代は「論理的であること」を重視していると少なくとも表面上は思われる。しかし、「論理的とはどういうことか」ということは案外と確認されていないように見える。「直感的アプローチ」は現代では「論理」とはみなされないだろう。しかし、では人間にかかわることがら、人間にかかわらないことがらのすべてが「論理」で説明できるだろうか。そう考えた時に、少なくともアプローチの「方法」として「直感・感覚」を認めることは考えてもよいはずであるし、場合によっては「論理」ということについてもう一度考えてみてもよいかもしれない。「温故知新」はいいふるされた表現かもしれないが、「過去」に丁寧にふれることによって新たな気づきを得ることには終わりはないように思う。」
(「第三章 本居宣長」より)
「音声化された言語=音声言語によっても、文字化された言語=文字言語によっても、「事の理義を得る」ことができるというのが現ダウの「みかた」である。音声化されてアウトプットされた音声言語はまさしく言語であり、文字化されてアウトプットされた文字言語も(二次的存在ととらえるみかたはあるが)やはり言語であり。現代の「みかた」では、音声言語も文字言語も実体的な言語である。しかし宣長はそれは「死物」であり、活きた言語はそこにはない、とみている。何らかの手段、媒体によってアウトプットされたものは、アウトプットされた瞬間に死ぬとみているのだろう。アウトプットされる直前の、稿者の表現でいえば「言語化された情報」こそが活きた言語ということになる。」
「文字化されたテキストに沈潜し、それを精読することによって、「日本の古代」就中「日本の古代のころ」に迫ろうとしていた宣長にとっては、テキストは「読み解く」対象であり。そこには「ことがらそのもの」も「こころ=感情そのもの」もない、と考えていたと思われる。」
(「第四章 富士谷御杖の言霊倒語説」より)
「御杖の「言霊」についての言説を抽出して、まとめれば、それ全体を「御杖の言霊論」あるいは「御杖の言霊思想」と呼ぶことはできるだろう。しかし、「思想」が「考えるの束・みかたの束」であるとすれば、そのように束ねたのは現代人ということになり、そういう「考えの束」が御杖にそもそもあったか、ということにならないだろうか。
御杖の「言語倒語」は「言霊」ではなく「倒語」に重点があると考える。それは思っていることを「直言」しないということで、人がもつ「感情」のコントロールということと深くかかわっている。そして御杖の目は言語化された言語表現を深く読み解くことによって人の「感情」のありかたを深く探っていく。「人の感情」すなわち「人情」を深く探ったということにおいて、荻生徂徠、本居宣長、富士谷御杖は重なり合うと考える。」
(「終章 詩的言語と国学者」より)
「脳内にある「他者に伝えたい情報」がアウトプットされる、そのアウトプットの一つの「方法」として「言語化」があるというモデルを稿者は考えている。視覚的な形式にアウトプットするのであれば。それは「映像化」という「方法」になる。「言語化」を経ずに「映像化」できるかどうか、ということについては考える必要があろうが、とにかく、アウトプットには幾つかの「方法」があると考え、その一つが「言語化」であると考えることにする。
「情報」を大きく「(あまり感情的な要素が入っていない)ことがら情報」と「(感情的な要素が多い)感情情報」とに分けると、和歌を初めとする詩的言語は、どちらかといえば「感情情報」を盛り込む器となることが多い。富士谷御杖の「言霊倒語」説は。和歌を「鬱情」をそらす器ととらえている点において、右のモデルに基づく稿者の「詩的言語」観と重なり合いをもつ。」
(「あとがき」より)
「「日本とは何か」という問いは大きなタイトルではあるが、少しことばを補うとすれば、江戸時代の国学者が「日本の始原」、すなわち時期でいえば「古代の日本」について知ろうとした、それが「日本とは何か」で、知るために「日本語の始原の姿を追求した」ということだ。
「日本とは何か」という問いは(ある程度にしても)最初から答えを見通すことができないような大きな問いといってよい。国学者は残されているテキストを溯っていった。そうしてたどりつくのが『古事記』『日本書紀』『万葉集』という、タイプの異なる三つのテキストということになる。「散文」「韻文」ということばを使うのであれば、『古事記』『日本書紀』は散文で『万葉集』は韻文、『古事記』は古典中国語=漢文を基準にするならば、少しイレギュラーな漢文で、『日本書紀』はほぼ正則な漢文ということになる。どのテキストを観察対象にするか、に国学者の「みかた」が反映する。
本居宣長について「不可知論」ということばが使われることがあるが、宣長を初めとして多くの国学者たちが文字化されたテキストの「よみ」の「地点」にとどまっていることは、むしろ評価すべきであろう。『古事記』『日本書紀』『万葉集』を超えて日本を探ろうとするのは、いわば海図なしに海に漕ぎ出すようなものといってよい。
漢字によって文字化されたテキストの、その文字の背後に日本語をよみとろうとすることがテキストを「よむ」ことであり、そのことによって「日本語の始原の姿」を追求し、「日本とは何か」を探る。本書は、国学者のあらわしたテキストをできるだけ丁寧によむ、ということを「方法」とした。そう述べると、テキストをよむことは「方法」かという疑問が提示されるかもしれない。宣長は『うひ山ぶみ』において、「古学とは、すべて後世の説にかかはらず、何事も、古書によりて、その本を考へ、上代の事を、つまぶらかに明らむる学問也」と述べている。
(・・・)
テキストをよんで書き手の「肉声」が聞こえてくるはずがない、と述べることは簡単だろうが、それは「肉声」という表現を探ったことの揚げ足取りのように思われなくもない。テキストを丁寧によむ、テキストを精読するということを稿者は「トレース」と呼ぶ。書き手がテキストを生成していく道筋を、言語表現を頼りにして追跡するという意味合いである。書くことによって、自身の考えが整理されていく、と感じることがあるし、書くことによって自身の「気持ち・感情」のありどころがわかる、と感じることがある。「書く」と「読む」とは双方向的な言語行為といってよい。そうであれば、自身が書いたようなつもりになって読むことにによって、書き手に考えや、もしかすると「気持ち・感情」のありどころがわかることになる。そうしたことを、書き手の考えや「気持ち・感情」を実感する、追体験する、と表現すると非科学的とみなされやすくなるだろう。しかし、では科学的とは何かといえば、それは根拠(と思われる)ことがらに基づく推論であろう。古事記が文字化されたルートを逆にたどろうとした宣長の「方法」は(宣長は「方法」とはみていなだろうが)内部観察的ではあるかもしれないけれども、たどることを「方法」としているという点において————つまり「方法」をもっているという点、そこに反論の余地があるという点において————、限定的ではあっても、科学とみなし得る言説といえるのではないか。内部観察的であることを批判し、外部観察的にみることを主張したとしても、それは観察点をどこに設定するかという違いともいえ、批判はそうした意味合いにおいて、相対的なものということになる。」
◎目次
序章 江戸のエピステーメー
二つのエピステーメー/古代のテキストを訓(よ)む/言語を分解する/「感情情報」への接近――メタ言語と和歌/双六から探る皇朝学/動的な江戸時代の学際/宣長宇宙
第一章 フィロロジスト契沖
一 契沖の『萬葉集』研究――万葉仮名を整理する
「正語仮字篇」というテキスト/現在の方法と契沖の方法/いろいろな「よめない」/契沖のアプローチ――漢籍の精読、サンスクリット(悉曇)研究/区別があるから通じる
二 『和字正濫鈔』は仮名遣い書か
『万葉代匠記』から『和字正濫鈔』へ/『和字正濫鈔』――漢字で文字化された日本語にたどりつく/思考を図であらわす
三 橘成員との論争
『和字正濫鈔』への批判――『倭字古今通例全書』/契沖の論駁――『和字正濫通妨抄』『和字正濫要略』/まことと和歌
四 語源・異名への意識――『円珠庵雑記』をよむ
語源について/異名について
第二章 賀茂真淵――経験、直感による知覚
一 『冠辞考』
あまとぶや/ぬえぐさの
二 直感によるアプローチと論理
いにしへのこころ/真淵と宣長
三 歌を詠むこと・歌を理解すること――実践的解釈論
ひたぶる心/心におもふ事がうたになる/感情の表出
四 五十音図による音義的解釈のさきがけ
「仮字(かな)」と五十音/音義的な語構成観/知のネットワーク/延約転略の説/今夜の月夜/おわりに
第三章 本居宣長
一 文法のダイヤグラム――『てにをは紐鏡』
「係り結び」の意識化――中世から江戸への伝授/『てにをは紐鏡』を観察する
二 仮名によって漢字の発音を示す――『字音仮字用格』
「假名都加比」と『字音仮字用格』/漢語を仮名で書く・漢字音を仮名であらわす
三 メタ言語としての口語
メタ言語――言語を言語で説明する/メタ言語の獲得/「古言」「里言」というメタ言語――富士谷御杖『詞葉新雅』/文献密着主義/文献における具体と抽象/日本列島外の日本語――岡島冠山『唐話纂用』/日本列島内のさまざまな日本語――越谷吾山『物類称呼』
四 宣長の方法――『古今集遠鏡』
『古今集遠鏡』を概観する/人文知のとらえかた/真淵との「始対面」/余白に書く/宣長のよみ/人情、感情の言語化/古文辞学の方法――荻生徂徠から真淵、宣長へ
五 上田秋成との論争――「呵刈葭』
「呵刈葭」を概観する/「呵刈葭」上巻の論争/民族主義的であることと論理的であること/音声言語の位置づけ/おわりに
第四章 富士谷御杖の言霊倒語説
一 異端の国学者
御杖の生きた時代/未分化なテキスト/二十世紀の御杖の評価
二 歌を詠むことで「真言(まこと)」を追究する
人の心のありかた/人にとって歌とは何か――歌論『真言弁』/歌の「稽古修業」――『歌道非唯抄』/古典を照らす「燈」
三 さまざまな言語学的知見
六運/脚結(あゆい)に着目する――『あゆひ抄』と『俳諧天爾波抄』/『和歌いれひも』/メタ言語としての口語――『詞葉新雅』/伝達言語と詩的言語
四 言霊倒語説
おわりに
終章 詩的言語と国学者
国学者が和歌を作るということ/本居宣長『新古今集美濃の家づと』/国学者たちの「連続」の「感覚」/人情にちかいこと/人情と思想のかかわり
註
あとがき
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