[インタビュー] Drug Store Romeos 〜バンドという名の物語〜
イングランドはハンプシャー、フリートの三人組、Drug Store Romeosは不思議な魅力を持っていて、僕らはそれに引き寄せられる。
Slow DanceにSports Team、Drug Store Romeosはロンドンの外からやって来て、音楽性だって違うのに、シーンを引っ張って来たバンドや人に活動初期から称賛されて仲間として迎え入れられた。根底にあるのはたぶん価値観が共有されているってことで、それがコミュニティを作っていく。自分の好きな人たちが好きだって言っているから気になって、追いかけているうちに気がついたら自分も好きになっているというお馴染みのパターン。So Young Magazineのこのポスターを見た時からずっとその存在が気になって仕方がなかった。
Drug Store Romeosの音楽はあいまいな夢の世界からやって来ているようなイメージで、それはしばしば形を変えて現実世界にも現れる。
これは大学のFacebookのページに貼り出されたベース募集の広告を見て「私、ベースやるよ !」とやって来て、その翌週に初めてベースを買ったという女の子、Sarah Downeyの世界の魅力に思えるのだけど、JonnyやCharlieだって一筋縄ではいかない。この二人は幼なじみで、Drug Store Romeosの前にThe Imbecilesという名のハードコア・パンク・バンドを組んでいて、Frame Of ReferenceのビデオではSarahに勝るとも劣らない素敵で微妙なダンスを披露してくれた。この3人が並んだ姿は本当に魅力的で愛おしい。
バンドを組むってこと、音楽が物語を生んで、物語が音楽を生む、Drug Store Romeosはそんな根源的な魅力であふれている。
今回、Charlieにメールして色々と聞きたかったことを聞いてみたけど、その答えが素晴らしすぎてDrug Store Romeosのことがますます好きになってしまった。こんな青春映画が見たくてたまらないって気分になったし、頭の中でDrug Store Romeosの曲がサウンドトラックとしてぐるぐる回りなんだかとても満たされた。
バンドとはやっぱり物語なんだって。
Interview with Charlie Henderson
——最初にDrug Store Romeosを結成した時の話を聞かせてください。JonnyとCharlieは15歳の時にThe Imbecilesというハードコア・パンク・バンドをやっていたんですよね?CharlieにTwitterで教えてもらってアルバムを聞きました。ほとんどが1分台の曲で、Black FlagのカバーやNapoleon Dynamiteなんて曲があったりして。そこからまったく違う方向に変化しましたが、新しいバンドを始める時に、最初から今のような音楽をやろうと思っていたんですか?それともメンバーを募集してSarahがやって来て、今のような形になったのでしょうか?バンドの初期のエピソードを教えてください。
顔なじみの50歳のおじさんばっかりのパンクフェスに出たことがあったんだけど、それに出た後にもう80sのハードコア・パンク・バンドはいいやって気分になったんだよね。そうじゃなくて、自分たちの世代のポピュラーなシーンにインスパイアされた音楽をやりたいって欲求がどんどん強くなっていって。で、辞めて二人でBurger Recordsのモダン・ガレージ・ロック・バンドのシーンに影響を受けたって感じの曲を作り始めたんだ(今となっては、そのスタイルで続けてなくて本当に良かったって思ってもいるんだけど)。近所に元BBCのサウンドマンが住んでてさ、その人がレコーディングしたがっていたっていうのもあって、Jonnyと僕とでインストの曲を3曲その人の家で録音したんだ。その時からドリームポップにハマっていたんだけど、自分の声じゃちょっと無理だなって感じてもいて。それでSarahがやって来た時にこれなら出来んじゃん!ってなったんだよね。
Drug Store Romeosを始めた最初の年はほんと楽しくて。特に夏ね。大学から帰ってSarahの家に集まって庭でキュートなlil jointを吸って、音楽聞いて、彼女の部屋で即興で数時間演奏して。その後にみんなで映画見たり、実験的な料理を作りながらキッチンで踊ったりしてたんだ。
最初のギグはロンドンの路上でやってね、5曲作ってブリック・レーンやウォータールーで演奏してさ。一番印象に残っているのは日が落ちてすぐのウォータールーの橋の上でやった時だな。ロンドンの夜の光と暖かい夏の空気が僕らを包み込んで……そこにラッパーが何人かやってきて、一緒にジャムってさ〜。
Sarahのフェイクオールドベッドルームにて〜ここで10代後半の時間のほとんどを過ごした(フェイクじゃなくてリアルの方)
——曲を書く時にインスピレーションを受けるものはありますか?Drug Store Romeosの曲について詳しく教えてください。
Now You're Moving
Now You're Movingにはトリップホップのビートが入っているんだ。なぜかっていったらこの曲を書く何ヶ月か前にサウサンプトンでVelvet Undergroundのカバー・ナイトをやってくれって頼まれてたからで。それと同時にBowery Electricのアルバム「Beat」にハマってたっていうのもあって、トリップホップ・ヴァージョンのChelsea Girlを作ろうって決めたんだ。Now You're Movingのドラム・パートを作る時にはそのカバーのおかげでもうこいつをトリップホッピーにしてやろうって思ってたんだよね。
歌詞の一部はTerence McKennaの本、「Food Of The Godss」に影響を受けているよ。
Quotations For Locations
歌詞の“the ball is in my court but my hands are my racquet”って部分はVanity FairyとLet's Eat GrandmaのRosaとノリッチで一緒に週末を過ごした時に思いついたものでさ。歌詞の書き方について話してた時にRosaが「私はイディオム使うなぁ」って言ってて。それを聞いて一ヶ月後にはイディオムをたくさん書き出してた。でもそれだけだと面白くないから、ちょっと違和感持たせようってイディオムの後半部分を変えたんだ。それは数ヶ月間使われないままノートの中で眠ってたんだけど、クリスマスにちょっと落ち込むことがあって、それでQFLのコーラスの歌詞を書き直そうって決心して変えた。子供の頃に習ってたテニスでも、大半の時間をボールを手で打ち返すことに費やしていたっていうのもあったしさ。まぁでも、この場合の歌詞は準備が出来ていない/対処するだけの力がない時にやってくるネガティブな状況に対してどうにかしようとしてみるってことを意味してるんだ。
——ビデオのアイデアはどういうところから出てくるのですか?
Frame Of Referenceについての話をするとね、僕の動画編集の仕事が決まってさ、で、そこの上司がアナログ・ビデオ・シンセサイザーに凝ってて、Frame Of Referenceのビデオのアイデアはそこから生まれたんだよ。僕たちみたいなジャンルのバンドはみんなグリーンスクリーンのビデオを撮らなきゃダメなんだよね。それがルールみたいになっててさ〜。そんなわけで、Frame Of Referenceを僕たちのグリーンスクリーン・ビデオにしようって決めたんだ。背景は全部YouTubeのLZXのデモ画像をループさせたものなんだけどね。LZXにメールしたら使っていいよって言ってくれて。
初期の頃は僕ら全員、他のバンドがプレイしてる時に毎回最前で踊っててさぁ。まぁかなりエキセントリックな感じなんだけど。ライブをめっちゃやってたからそれで正気を保ってたっていうのもあるのかもな〜。まぁでもそんな感じでビデオの中にダンスを入れてみることにしたんだ。
——サウス・ロンドン・シーンが盛り上がっている中、Drug Store Romeosはフリートという異なった場所からそのシーンにアプローチをしていたような感じで、音楽的にもシーンのバンドとは違っていたように思えました。そんな中でロンドンのバンドがこぞってDrug Store Romeosに注目していたのがとても印象的で……。今はロンドンに引っ越したそうですが、フリートからロンドンに通っていた当時のことを教えてください。ロンドンの他のバンドと自分たちの違いを感じたことはありましたか?フリートがどんな街なのかもあわせて教えてもらえると嬉しいです。
正直言うとめちゃくちゃ疲れたしストレスになることもあったんだけど、でも僕らのことをいい音楽をやってるバンドだって思ってもらえて、それで褒められた時は報われたって感じがしたな。
金曜日とか土曜日の電車が大好きになったってのもあったし。みんな酔っ払ってて超フレンドリーなんだって。普段なら関わんないだろうなって人たちと興味深くて笑える話をしたんだよね。サラリーマンの人とか、新米の兵士の人とか、suburban parentsの人とかみんなでさ。
ときどきヴェニューを出るのが遅くなって終電に乗らなきゃいけないこともあったんだけどね……。深夜1時05分の電車に乗ってフリートに着くのは3時半。その時間だとタクシーない時もあってさ、アンプとかキーボとかを駅から担いで持って帰らなきゃで、あれめっちゃキツかったな。
フリートっていうのは通勤の街で、ウォータールー駅(ロンドンの中心駅ね)まで電車で40分で行けるんだ。まぁ悪くはないよね。中心部はまあまあって感じで、ツィーゼルダウンの森が広がってて、そこにシーザーズ・キャンプがあって50マイル先まで見渡せる場所があるって感じでさ。フリートの街が作られたのは池があったからで、この池はマジでいいよ、でっかいし。まぁ犬の散歩をしたりLSDトリップするにはいい場所だって思うよ。
ロンドンの他のバントとの一番の違いは、僕たちはスレイジーなポストパンク・バンドになろうとしなかったってことじゃないかな。そんな感じのバンドといっぱい共演したんだけどね。
——Now You're Movingのビデオは監督がGG Skips(Marco Pini)、プロデューサーがDarius WilliamsとSlow Danceのチームでしたが、Slow Danceとはどんな繋がりがあるんですか?SarahとSaint Judeのコラボの曲(Dreaming! )がSlow Dance '18に収録されていましたよね?
ロンドンでライブをやっていくうちに自然とSlow Danceの面々とも友達になってさ、その時は僕たちのマネージャーがGlows(Marcoのプロジェクトね)のマネージメントもしていて、その人が僕らを繋げてくれたんだ。
アニメーションのシークエンスはSlow Dance本部で作ってさ。銀紙で包まれた小さな部屋があってそこで色々動かしてたんだよね。
SarahはMarcoと一緒にKongっていうちょっとしたプロジェクトもやってて、Organelle(オルガネラ)とかドラムマシンを使って即興でなんかやってたな。たぶんMarcoがSarahにJudeを紹介したんだと思うんだけど、そっちでも今、なにか作ってるっぽいよ。
——Sarahがインタビューで自分たちのライブを見る前にバンド名だけでSports Teamが対バンに誘ってきたって言っていて面白かったんですけど、このエピソードについてもう少し教えてもらえますか?
Sports Teamが僕らの名前を見たっていうのはロンドンでの最初のショーの時だったんだよ!Fluffer Recordsの為のショーでさ、僕らの出番は夕方5時で、7人のお客さんの前でライブをやった。Sports Teamの方はThe Lock Tavernでやる最初の公演で、ほとんどが彼らの友達で埋まっていたんだけど、その時は「あいつらに俺たち以外の本当のファンがつくかぁ?」とか言っている人がいたんだよね。
ライブのおしまいにラッパーがフリースタイルやりたいって言い出してSports Teamはそれに応じてさ。それで最後の10分はPavementスタイルの即興演奏の上にイングリッシュ・グライムのフローを乗せた感じのやつをやってて……あれはマジで良かったなぁ〜。
※Drug Store Romeosというバンド名はテネシー・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」からとられている。Sports Teamはそれで気になったのではないかと思われるが、Drug Store Romeosのメンバーは「欲望という名の電車」を読んでいない。
——もう一つライブの話を聞かせてください。Charlieのお母さんが働いている保育園でライブをやったっていうのを聞いて驚いたんですけど、それってどんな感じでやったんですか?ちょっと想像がつかなくて。
シンセ、ドラム、ギター、ベース、マイク、それとFXペダルを保育園に持ち込んで「ゆかいな牧場(Old MacDonald Had a Farm)」のドリーミー・ポストパンク・ヴァージョンみたいなのをやったんだよ。曲の半ばで子供たちの方にディレイをかけたマイクを向けて、コード進行を演奏している間にみんなに好きな動物を叫んでもらうみたいなことをしてさ。その後に子供たちをいくつかのグループに分けて、部屋に広げた楽器を試してもらって。一周してみんな一通りの楽器に触ったんじゃないかな。でさ、その中の一人にナチュラル・ボーン・ドラマーがいたんだよ!僕がそんなことを言ってたってうちの親がその子のお母さんに伝えたんだけど、そしたらその人凄い喜んでくれて。なんか聞いたらその男の子のおじさんがドラマーだったらしくて。で、その子はお母さんにドラムセットを買ってもらったんだって。
——ありがとうございます。最後に今後の予定について教えてください。
近いうちに15曲入りのアルバムを出す予定なんだ。そしたらその後はライブをいっぱいやりたいな!