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今しか見えない景色

1.アルゼンチンに移住してから



アルゼンチンに来て、親子だけの生活を始めてから半年が経過した。日々に起こることが全てが新鮮で、想定を超えてくる毎日に知らず知らずのうちに体重も移住前から5㌔減ったままで維持されている。特に体重を意識したり食事制限しているということではなくて、日本のストレスとはまた違った緊張がそうさせているように思う。いろいろとのんびりしたお国柄で、時間に対する意識と価値観のギャップに驚き、それに慣れてきた頃には生活の中で「壊れる」ということが時間を蝕んでいるように思う。
壊れることの一つの例として、子供にスニーカーを購入した時のお話。日本や欧米の有名メーカーのものが高価だったこともあり、子供の成長を考慮して安めのものを購入してみた。すると、二ヶ月ちょっとでスニーカーが穴だらけになってしまったのである。そう安いことの裏返しとして「質」の問題が露骨に生じていた。

買って二ヶ月のスニーカー



衣服については、チャックが故障してみたり簡単に糸がほつれたりということが日常茶飯事で、MadeinJapanの素晴らしさを痛感することばかりなのである。当たり前のものがそこにない生活が、当たり前とは言うものの、日本の便利さとのギャップとして今の生活に少しづつ影響しているのである。


ひと休みするワンちゃん


2.いつか見えなくなる景色


それとは逆に6カ月経過していく中で、季節の移ろいを肌で感じることができている。季節の端境期には体調を崩すことも多く、苦労も多い中で夜明けの時間や空の景色などで、日本とは真反対の季節を感じることが多くなってきた。日本からやってきてそんな余裕もなく、7~8月までの冬(アルゼンチンは日本の夏が冬)ですらも、冬の気温のピークがいつかもわからないまま過ごしていたくらいだった。何事も一度経験すればわかるのだが、初めてとなると今の季節感ですら不安になったりするもの。
これを機会として、今しか見えない景色を感じてみようと思えるようになった。日本にいたって同じ空に変わりはないとは思う、けど今しか見えない景色なのかもという感性で空の景色を感じてみたくなった。これがいつか見えなくなることがあるのかもしれないし、ひょっとしたら今だけしか見えない景色なのかもっていう心境になってきたという不思議な感覚。
それは景色だけに限った話ではなく、今は見えているものが見えなくなるということが当然だけどあるという感覚。見えているものを当たり前だと思うのか、見えなくなってから「今だけ」に気づいてしまうことなのかという話。言葉の通じない海外生活において、そんな感覚ばかりが先行して磨かれているような気がしているし、日本にいたら考える暇も時間もなかったように思う。


3.いつか出来なくなることが今は出来る


年齢を重ねるごとに感じる「老い」の感覚。それは自覚の中だけの話で、できることを自ら否定してしまっているということでもある。当然、若いからこそできたこともある、けれど人生経験を踏んだからこそできることだってある。
出来なくなることに後から気づく人生と、出来なくなるまでやると思って進んでいく人生。どちらも人生の選択として間違いなんてないし、選ぶ必要があるとも思わない。でも、どうせならやってみた方が面白いと思うし、出来なくなったことを悔やんだって何も残らないんだから。
人生の分岐点で悩んだ時は、面白そうな方を選ぶ方が良い。なぜなら「そういえばあの時・・」と振り返った時、選んだことを後悔することもないし、得たものの価値や財産は面白そうと思った方にしかないから。今出来るんだからやる、そんな理由で回りから反対されることもある。でも、人に止められたって、自分で決めたんだから進んでいくことも悪くないって思うし、それが財産になると信じて生きていきたい。人生の助走期間って自分にしかわからない感覚だと思うから。

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