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『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:Re:』を観て思ったこと

『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:Re:』を公開初日初回に観てきました。

「Re:Re:」が流れるのか否かのネタバレを絶対に避けたかったので。


結果的には流れました。流れてくれました。


サブタイトルに「Re:Re:」が入っていて劇中で「Re:Re:」が流れないとかそんな訳あるか~い!アホか~い!と多くの方が予想していたことでしょう。

でもいざ流れたらもう大歓喜。新規カットも盛り盛りで再編集された本編の内容はほとんどどこかへ飛んで行ってしまいました。

まだ結束バンドとアジカンは繋がっているんだ、共鳴しているんだ、と感じられて嬉しかった。

TVアニメ版のラストで「転がる岩、君に朝が降る」のぼっちカバーver.が流れた時の感動が蘇るようなエンドロールでした。


ぼざろのアニメが個人的に響いた最大の要因は「原作に少なからずあったアジカンへのリスペクトが、アニメ化に際し、より色濃く描かれたから」という点だと思っています。

学生時代、ロックなんかこれっぽっちも分からない小僧が耳が取れるくらい聴き続けていたアジカン。

今でも何も分かってはいないけど、多感な時期をアジカンの音と共に過ごした自分にとって、アニメぼざろは「アジカンのアニメ化」級のインパクトのある作品でした。

そんな作品の最終回のラストに流れた「転がる岩、君に朝が降る」。

結束バンドの楽曲はどれもハイレベルで最高だけど、最後の最後にアジカンの曲がぼっちの歌声で流れたことが堪らなく嬉しかったし、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品が自分の中で揺るぎない地位を確立したと感じた瞬間でした。


出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな
俳優や映画スターには成れない
それどころか君の前でさえも上手に笑えない
そんな僕に術はないよな
嗚呼…

何を間違った?
それさえもわからないんだ
ローリング ローリング
初めから持ってないのに胸が痛んだ
僕らはきっとこの先も
心絡まってローリング ローリング
凍てつく地面を転がるように走り出した

理由わけもないのに何だか悲しい
泣けやしないから余計に救いがない
そんな夜を温めるように歌うんだ
岩は転がって僕たちを
何処かに連れて行くように
固い地面を分けて命が芽生えた
あの丘を越えたその先は
光り輝いたように
君の孤独も全て暴き出す朝だ
赤い小さな車は君を乗せて
遠く向こうの角を曲がって
此処からは見えなくなった

何をなくした?
それさえもわからないんだ
ローリング ローリング
初めから持ってないのに胸が痛んだ
僕らはきっとこの先も
心絡まってローリング ローリング
凍てつく地面を転がるように走り出した

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「転がる岩、君に朝が降る」

もう一言一句ぼっちを歌った詞にしか見えない歌詞。

独りぼっちの少女の人生に少しだけの朝が降る。世界がどうとか、ロックがなんだとかの話とは関係のない些細な変化が訪れ、何事もなくまた夜が来て、日常は続いて行く。それだけの話。それがアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』だと思っています。


何も持たずに生まれたはずなのに、間違うことや失うことを恐れて臆病になってゆく私たち。
それでもこの世界を丸裸のまま転がってゆくのだという決意を歌った『転がる岩、君に朝が降る』という楽曲を、大切に扱ってくれて嬉しいです。

ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文 コメント

このゴッチのコメントが好きです。

ぼっちが極度の人見知りである理由みたいなものは特に明示されないまま物語は進んで行くんですよね。「何をそんなに怯えているんだい?」と思うシーンも割とあるわけです。

でも怖いものは怖い。それはぼっちにしか分からない感情だし、人間誰しも自分一人にしか持ち得ない痛みや孤独や悲しみを持ったままこの世界を転がっていくしかない。



前置きが長くなりましたが、今回の劇場総集編のラスト、TVアニメ版で「転がる岩~」が流れた箇所で「Re:Re:」のぼっちカバーver.は流れました。(正確にはタイミングは少し違います)

原曲とだいぶ違う印象のイントロで、ぼっち役青山吉能さんの不安定だけど高らかに歌い上げるボーカルが、もう一つの「Re:Re:」として真っ暗な劇場内で燦然と光っていました。

今回も編曲は三井律郎さん。


エンドロールに入る前のぼっちの人生(時間)が巻き戻る演出は、同曲の再レコーディングver.が起用されたTVアニメ『僕だけがいない街』へのオマージュでしょうか。

そもそもこの曲自体は「後悔」を歌った退廃的な曲で、そういう面ではぼっちや喜多ちゃん(こと劇場総集編においては「喜多ちゃん→ぼっち」の印象が強い)と重なる部分もあると思いますが、別に曲名以外に「ループ」「繰り返す」とかそういう要素はない気がするけど、どうだろう…


君を待った
僕は待った
途切れない明日も過ぎて行って
立ち止まって振り返って
とめどない今日を嘆き合った

記憶だって 永遠になんて
残らないものとおもい知って
僕はずっと掻きむしって
心の隅っこで泣いた

そしてどうかなくさないでよって
高架下、過ぎる日々を
後悔してんだよって そう言い逃したあの日

繋ぎ合った時もあった
ほどけない感情持ち寄って
それが僕のすべてだった
それもたった今 失くしたんだ

形だって 時が経って
変わりゆくものとおもい知って
僕はずっと掻きむしって
塞がれた今日を恨んだ

そしてどうかなくさないでよって
高架下、過ぎる日々を
後悔してんだよって そう言い逃したあの日

君を待った
僕は待った
途切れない明日も過ぎて行って
僕は今日も掻きむしって
忘れない傷をつけているんだよ
君じゃないとさ

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「Re:Re:」

「ぼ喜多」のカップリング自体はそこまで支持していませんが、曲中の「僕」と「君」をどう捉えるかを妄想するのも一興です。


何かに追われるように過ごした青春の風景。
前進しているのか後退しているのかも分からず、とにかく楽器とロックバンドだけが救いでした。
そんな当時の僕たちと似たような想いを、彼女たちもいくらか抱えているのかもしれない。
そう思って聞くと、当時の切羽詰まったような日々も無駄じゃなかったと感じて救われます。

ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文 コメント


この曲が起用された経緯はわかりませんが、劇場総集編を前後編の二つに分けて、前編をぼっちと虹夏に、後編をぼっちと喜多にそれぞれフォーカスし、サブタイトルを総集編ということで「再」を意味する『Re:』、前編を受けて後編を『Re:Re:』にして、主題歌もアジカンの『Re:Re:』のカバーにしたらおもろいやん、くらいのノリだったのかもしれません。


…と書いてはみたものの、やっぱり個人的には『Re:Re:』がぼっちと喜多ちゃんに重なる歌詞に思えるので、この曲の起用が最初にあったと思いたい。

パンフレットにはとりあえず先に曲が録られていて、斎藤監督がエンディングとして起用したと書かれていていたので、必ずしも最後に持って来る想定だったわけではなさそうです。EPのボーナストラック的なポジションになる可能性もあったとか。

ただ、こんな贅沢な曲を「君はこの曲を使ってもいいし、使わなくてもいい」みたいな感じで用意するんだ…

(余談ですが、アジカンの楽曲における『Re:Re:』は「アールイーアールイー」と読みます。)


劇場総集編内での2期の発表はありませんでしたが、おそらくZeppツアーで発表されるでしょう。東京公演か千秋楽の福岡公演か。(当然全落ち済み)


あくまで個人の予想ですが、2期ではアジカン要素は(1期と比べて)薄れるのでは、と思っています。

それは演出上、と言うよりは2期で描かれる「メジャーデビューに向けて邁進する4人」というストーリー上、アジカンとの訣別は自然且つ必然だからです。

言うなれば、文化祭を終えた地点が結束バンドにとってのスタートラインみたいなもので、ここまでは序章。ここから先はもう少しバンドとしての身の振り方を自分たちの目線で考えていくようなストーリーになります。

もちろん結束バンド4人の世界にアジカンの4人は存在しないので、楽曲に引っ張られるような展開はあり得ませんが。

おじさん的にはアジカン要素てんこ盛りの方が嬉しいけど、きっぱりと切り離されていくべきだとも思うのです。


本当に全て一個人の妄想・感想に過ぎませんが、今回の『Re:Re:』が最後になるんじゃないかとか、アジカンとの繋がりが薄れていくかもしれない結束バンドを今までと同じ熱量で追えるかとか、そんなことを考えながら今日発売した「Re:結束バンド」を聴いています。


一つだけ言えることは、これからも『ぼっち・ざ・ろっく!』と結束バンドは盛り上がり続けるということ。

願わくば、アジカンとの繋がりが今後とも続いてほしいところではありますが、今はただ、楽しみに待つこととしましょう。


𝙏𝙝𝙖𝙣𝙠 𝙮𝙤𝙪

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