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王越(おうごし)について part1

こんにちは~金曜日の千恵です😊
今日は私が移住した王越町についてちょっと詳しく紹介したいと思います。

どこにあるの?

王越町があるのは瀬戸大橋のまち、香川県坂出市の北東の端。
香川県全体で見ると真ん中の北の端にあります。
坂出市街からも高松市街からも車で30分以内で来られてアクセス良好な土地です。

ピン指してるところが王越です
拡大するとこんな感じ

こうやって地形図で見るとほんとに陸の孤島感すごいよね。
前回の記事に書いた通り、北側は海で、東西と南は五色台の山々の峰に沿って町外との境目があります。
真ん中のツンとした山は王越山といいます。

そしてまちの真ん中を走っているのがメインロードの県道16号線。
王越町に来るにはこの県道16号線を通ってくるか、東側の峰を走る県道281号線:通称”五色台スカイライン” を通ってくるしかありません。
いずれの道も、海沿いだったり山の中だったりと自然の中のくねくね道で、それを抜けた先にパッと集落のある平地が広がるので、初めて来たときはなんか異世界に迷い込んだかのような気分を味わえます。
(↑ 個人的な感想です)

夕暮れ時に県道16号を王越から坂出方面に走る時の景色
サイコーでしょ

王越の歴史

王越村が発足したのは1890年2月。
町村制の施行に伴って阿野郡(あやぐん)乃生村(のうむら)と木澤村(きさわむら)が合併したことによって生まれました。
今でも木沢(きさわ)と乃生(のう)という二つの地区の名前は残っていて、町内の東側が木沢エリア、西側が乃生エリアになります。
ちなみに私が住んでるのは木沢です。

そして1956年7月1日に坂出市に編入合併。
同日付で王越村廃止となり、坂出市王越町となりました。



…というかね、名前かっこよすぎません?
王越って。Beyond the kingですよ。
映画のタイトルみたい。
由来を調べてみました。

梅宮八幡宮の社伝によると、神功皇后三韓遠征のおり,木沢の浜に立ち寄り,宮崎ノ鼻(王越山)を越え,梅宮宮に戦勝と安産を祈願されたことから生まれたとある。

坂出市ホームページ 町名・地名由来より

神功皇后…三韓遠征…。聞いたことあるような無いような…。

(wikipedia“三韓征伐”より抜粋)
夫の仲哀天皇の急死(200年)後、神功皇后が201年から269年まで政事を執り行なった。仲哀9年(200年)3月1日に神功皇后は齋宮(いはひのみや)に入って自ら神主となり、まずは熊襲を討伐した。9月には大三輪の神を祀り軍を集めた。その後に住吉大神の神託で再び新羅征討の託宣が出たため、対馬の和珥津(わにつ)を出航した。お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服(降伏)して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90

要は、妊娠した状態で海を渡って異国の地に攻め入るとんでもないスーパーウーマンが、ココに、戦の前に戦勝と安産を祈願しに来たらしいです。
かつての王とも言える人が山を越えてお参りに来られたから王越ということですね。

噂の梅宮八幡宮。かなり山の上の方にあります。
妊婦さんならここまで登るだけでも絶対大変。


戦はしないけど、気概だけは神功皇后と同じぐらい持って私もココ王越でパワフルなスーパーウーマンになれるように頑張ろうっと。

次回part2は王越の人口とか産業のお話をしようと思います~!

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