私たちは愛嬌という剣で戦うんだ

どのコミュニティにも一人はいるのではないか?セクハラおじさん。またはパワハラおじさん。今では「セリーグ・パリーグ」なんて揶揄されているらしいけど、そんな言葉作られるくらい馬鹿げた世の中になったのね、と思う。私の経験上、セクハラをする人はパワハラしてこない。パワハラしてくる人はセクハラしてこない。気がする。あくまで経験則だけど。

こういうことするおっさんに限って、「今の時代は厳しくなったから気をつけないとねえ」みたいな、如何にも「自分は身の程わきまえてます」みたいなスタンス見せてくる。その上で、飲み会の場で平気でレ◯プなんて言葉をサラッと口にしたり、昔の性癖武勇伝なんかを自慢してきたりする。本当に悪意がないのか、それとも酔ってて口が滑ってるだけなのかは知らないが、こんなのが会社の上司や取引先に居れば、もうこりゃ厄介。下手に非難したり、もう二度と関わらないようにする、なんて簡単にできない立場だから。だから若い女は耐える。愛想という強くて柔らかい武器を手に取って、必死の思いで戦っているのだ。そんな心にも気づかず、おじさん達は平気で笑い、酒を飲み、女としてなのか部下としてなのか業者としてなのか知らないが、舐め腐ってくるのだ。

だけども、私も強くなった。そんなことでいちいち振り回されていては、何度転職しても身が持たない。第一、そんなことで私の大事な時間や、心を奪われてはならない。そして、仕事は仕事だ。やるべきことをして、お給料をもらい、衣食住を満たし、よく眠る。本来仕事の意味なんてこれ「だけ」で十分であって、やりがいや居心地の良さを求める方が間違っているのかもしれない。やるべきことは、ギブアンドテイクだ。(もちろん仕事を毎日楽しく生きがいにできればベストなんだろうけど、誰だってそんな日ばかりではないだろう)

だから、惑わされない。私は「仕事」をしているだけであって、あくまで私は私だ。仕事に乗っ取られることなく、私という人間でありたい。仕事というのは主語ではなく、目的語であるべきだ。取引先がいくら汚い人間であろうが、会社が途方もなくグレーなことをやっていようが、この世界が嘘と金と権力で埋め尽くされていようが、私は一切そこに染まるつもりはない。その汚れは、仕事に必要な分だけ、生きる上で仕方のない分だけ、知るのみで十分だ。

休日はカフェオレを丁寧に淹れて、好きな人と美味しいものを食べる。たまに写真を撮ったり、心躍るものを買う。音楽を聞いて、窓を開けて風を頬に当てる。夜はストレッチをして、余裕があれば肌のパックまでする。そういうものが、私を私に保ってくれるし、さらに私にしてくれる。

私は私であって、社会はただの場所だ。


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