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例にもれず

4月ももう1週間が過ぎようとしていますね。

うちの地域は、桜の花びらが地面を薄桃色に染めています。上を見上げれば葉桜。新緑の季節はもうそこに、ですね。

なかなか毎日投稿するというのは難しいことなのだな…と気づきつつあります。マイペースでゆきます。

今日は少し、弱音を吐かせてもらいます。就活についての。そう、山田は現在21歳。就活生なのです。こんなご時世に。はずれくじを引いたようにも思えますが、苦しいのは就活生だけでなく世界中みんなそうなので、そこについてはあまり何も言わないようにしてます。地球エマージェンシーだ。

就活っちゅうもんは、時世とか情勢とか関係なく落ち込むものなんでしょうな。今まで散々列に並んで前に倣えの教育を受けてきたのに、いきなり自分と向き合わねばならんくなる。個性を出せと言われる。私の長所ってなんだ?強みとかあるのか?なんで周りはそんなにうまく進んでるのか?自分って何?などなど、絶えず自己嫌悪に陥っております。苦しいよぉぉぉ。

題名にしている「例にもれず」というのは、わたくし山田も例にもれず就活の洗礼を受けているということです。時間をかけて書いたエントリーシート、緊張しながら挑んだ面接、しかしそんなことは関係なく届くお祈りメールの数々…!これか、これがうわさの就職活動かぁぁぁ!

お祈りメールというのは、ただでさえ自己嫌悪に陥っている状態の私にとどめをかけてくるのです。やっぱり私って何の取り柄もないやつなのだ、と。これが苦しい。よく人生の先輩方が「落とされても相性が合わなかっただけヨ」とか「就活失敗しても人生は終わらないわヨ」とか言ってくださる。それらの言葉はとても心強く、そしてありがたいのだけど、理解したつもりでもやっぱり就活真っただ中ではそう思える余裕はないのです。なんならダークな山田が、「それは就職ができて生活できている結果論であって…」と猜疑心プンプンに漂わせながら心の中でつぶやいたりしてしまうのです。本心ではないのだけど。余裕がないから考えちゃうのだけど。はぁ苦しい。

そしてもひとつ苦しいのが、無条件に周りがうまくいっているように見えること。すでに内定をもらっている友人なんかを見ると、もう焦りに焦るのです。なんというか、羨ましいという感覚とは違うのですが。ただただ焦る。あぁもうこれ自分は決まらないんだろうな、これからどうしていこうか、どう生きていこうかと焦る。まだ終わってないのに。これがしんどいですね。どうしても比べてしまいます。避けようとは思いつつ。トホホ

お祈りされるとなおさらつらいですね。いっそのこと「不合格でした」くらいがいいな。と思ったけれどどのみちしっかりと傷つきますね。

将来の夢は、鎌倉尾道富士吉田伊豆、この中のどこかに住んで温かいお茶を飲みながら日当たりのよい四畳半(あるいはそれ以上)で物書きの仕事をすることだったのだけれど、その夢は儚く散りそうです。この夢がすんごく理想度の高い(すなわち非現実的)という事に気がついたのは最近になってからです。でもやっぱり物書きは憧れるなぁ。私の文章力では足りないだろうけど、でもやっぱり…。夢見がちな山田です。どうかこんな山田を一笑してください。そして願わくば愛おしんでください。

見通しが立たなくて経験したことがないくらい苦しいけれど、どうにかもう少し前に進んでいこうと思います。そういえばこれまでも見通しの立っていたことなどなかったかもな。これからも洗礼され続けます。

それでは。


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