聞こえる世界と聞こえない世界を阻むものとは
昔、実際はどうかはわからないけど、
「聴覚障害は障害の中で1番テクノロジーの恩恵を受けやすいと言われている」
という言葉を聞いたことがあって。
人工内耳、補聴器、FM補聴器、磁気ループなどなど…
補聴する技術というのは種類があるし、技術も性能も今この瞬間も留まることなく向上してる。
それももう、補聴器が誕生してからずっと。
なのに、どうしてだろう。
聴覚障害者の離職率はほかの障害にくらべダントツに高く
「聞き返しをするから嫌」
「補聴器をしているくせに」
「こんな大きな声がきこえないなんてあるわけがない」
「努力して聞いていないから」
30年以上前に私が言われていたことを、
令和3年の現在、今のきこえない子どもたちが言われている。
これもともすれば150年も昔から言われていること。
もっと前からかも。
自分の経験の話で申し訳ないけど、補聴して聴者に合わせたコミュニケーションを実践しようとすると、
聞き返しはたくさんしちゃうし、相手の言う事を間違えてキャッチして失敗しちゃったりするし、双方にものすごくストレスがかかる。
ともかく大変。
聴者もこんな弊害があるらしい。
そして、こちらは目の人間。目に入った表情やしぐさを敏感に感じ取る。
何度も何度も聞き返すると、相手の表情が固まり無表情になっていくのがよくわかる。
これによって聞こえない人自身は「障害があるのは自分だ」と意識せざるを得ない。「きこえない」という事への負の感情が本人の中でも生まれてしまう。
それに対応した聴者にも
「聞き返しが何度もあって不愉快だ」「こちらの音声が通じにくい」
「違和感があって怖い」
という感情のみしか残らない。
そういう積み重ねで、社会と聞こえない人の間には障壁が形成されるんじゃないかな。
これはテクノロジーがどんなに進んでも、恐らく消えることがないのかもしれない。
補聴器もデジタル対応、人工内耳は鳴き声でセミの種類がわかるくらい。
音声認識システムも普通に喋っても、1mくらい離れていてもスムーズに文字変換してくれる。
なのに、聞こえない人間の生きづらさは変わらない。
なぜだろう。
私たちのバリアになるのは
「聞こえない」のではなく「コミュニケーションが上手くいかない」こと。
コミュニケーションは双方向。
だから、どちらかが一方的に合わせようとすると上手くいかない。
今までは私たちが聞いて声で話すことで聴者に合わせてきたけど、
これまでの様子を鑑みるに、それは私たちが社会で生きていく為にはあまり上手いやり方じゃなかったみたい。
「共生社会」といいながら、聴者社会にお邪魔してるみたいな。
これからは聴者の方も手話してみたり筆談したり、ジェスチャーや音声認識を使ったりすることによってお互い合わせる部分が同等になるような双方向のコミュニケーションを可能にしていくっていう流れになりそう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?