地獄を見てるのかと思った。(2)

次の日。

いつも通りの朝。
普段と変わらず、あたしは5時に起きて朝ごはんを作り、6時に子どもたちを起こす。

いつもと違うのは―

「いってきまーす!」
朝食を平らげて学校に行く子どもたちを見送った。
あの子たちが今のあたしの状況を知ったらどう思うだろうか。

あたしはパソコンの前に座り
ノートを広げ、通帳を広げ、今後の生活資金がどうなるのかという見立てをつけようとした。

昨日は電車から降りてその足で市役所に行こうと思ったが、思い直した。
何も判断材料がないまま相談に行ったとしても、何のことだかわかるまい。

あたしにだってわからないのだ。
いつまで生活出来るのか、それまでいくら必要なのか、いくら使ってはいけないのか。

自分の状況を把握して説明できるようにしないと。

計算した結果、しばらくの間は大丈夫そうだ。
遅くとも年明けくらいに仕事が見つかればいい。なんとか出来る。

ほっとした。

胸のなかがバクバクして、どこかがしびれて震えている。首の後ろがすごく冷たい。
朝からそんな状態だったのが、少し緩和した気がする。暖かい一本の芯がみぞおちからスッと通った。
「やらなければ」 

よし、この見立てが出来たところで、市役所に行こう。


市役所にはコーダの手話通訳士、田口さんが福祉課にいる。
あたしは彼女を呼び止め、相談したいことがある―と伝えると、
【相談室】という個室に案内された。

ことの顛末を話すと、田口さんは驚いて目を見開き眉をひそめて
頷きながら話を聞いてくれた。その姿勢で緊張がいくらかほぐれた。
話を聞いてくれる人がいるという安心感だろう。

「なんという…」
「本当です。自分でも何がどうなったのか、これからどうなるのか皆目わかりません。ただ、思ったよりしばらくは生活が出来そうではあるけれど…。失業手当、内定取り消しにあったって言うことをハローワークで説明したらどうにかなりますかね?給付が早まるとか。」
「離職票はありますか?」
「今は、年休消化中でまだ退職の書類が来ていません」
「今の職場に戻るということは?」
「考えていません」
「そっか」

間が空く。

こういうのを、どこぞの国では「天使が通り過ぎた」って言うんだっけ――なんてことを思い出した。
感染防止のために開いた窓に目を移すと、外から風が柔らかく吹き込んで、カーテンが躍った。

視界の隅で田口さんの手が動く。

「離職票がないと、失業保険関係はまだ出来ることはないかも」
「そうですよね。では今から仕事を探すというのは出来ますか」
「それは問題ないと思う。障害者手帳を持って行ってね」
「わかりました。今からハローワーク行ってきます」
「なにかあったら、相談してね」
「ありがとうございました」


コロナ禍での内定取り消しについては、今出来ることはないようだ。
そこは正直落胆した。

「今日は話を聞いてもらっただけでよかったんだ」
ひとりごち、あたしはワゴンRに乗りこんで隣町にあるハローワークに向け車を走らせた。

まだまだ夏の気温のなか駐車していたせいでハンドルが掴めないくらい熱い。


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